感情を俯瞰して音楽に昇華する視座
──暗い歌詞はポップが似合うっていうのが、なんかわかってきたような気がしてきた(笑)。
豚汁:「ノスタルジア」の歌詞は喪失感なんですけど、小森さんは失われたものを見ているんであって、小森さん自身はそんなに悲しいわけじゃないんじゃないかな。僕はそういう気持ちで演奏したんですよね。
小森:あぁ、うん。媒介ですからね。
豚汁:小森さんは景色を見ていて、それが失われてしまった景色だとしても、その景色を慈しんでいる感じで。だから演奏していても悲しい気持ちとか暗い気持ちで演奏してないし。暗いフレーズであっても全然ネガティブな気持ちではなく。自分はそうやって演奏してたのかもなって、今話をしていて思いました。
小森:うん。生きていく中で自分自身が悲しいことももちろんあるんですけど、それを音楽化するっていうのは自分の表現のやり方とは違うんですよね。これまで友人や尊敬する人が亡くなって、そこから作った曲もあるんですが、悲しみの感情をそのまま音楽にしたっていうのとは違って。悲しみの感情そのものには、なんていうか、辿りつかないですからね。
──悲しみは心の中のもので?
小森:そうですね。どこか俯瞰的にしたい。音楽を作るという行為は、俯瞰の視線が自分には大事なことで。
──あぁ、はい。音楽を作ることで悲しみを俯瞰できるようになったり。
小森:あぁ、そうかもしれない。悲しみの感情そのものではなく、俯瞰して消化して音楽にするという。
shino:監督って感じかもね。俺らは演者で。小森君も演者の一人だけど。
高橋豚汁(drums)
──小森さんの歌詞がだんだんわかってきました。あと「グロリア」っていうとドアーズやパティ・スミスを思い出すんですが。壊れかけはドアーズやパティ・スミスといったアーティストに憧れがあったと思います。憧れからの旅立ちっていうことかな? と思ったんです。
小森:「グロリア」は先ほど申し上げた通り、一度目の緊急事態宣言が出されたときに作った曲で。ライブがやれない環境に置かれて、かつてそれが当たり前だったこと、その素晴らしさに気持ちを向けて作ったんです。おっしゃる通り60's、70'sの音楽に憧れていたし、そういう音を目指そうとした時期ありましたが、この曲はそれとは関係なく。さすがに17年バンドやってると自分たちができることの範囲もわかってくるので、憧れというか、背伸びするようなことはほとんど意識しなくなりました。もちろんずっと好きですけど。
shino:好きなロックはそれぞれ全然違うし、個々のロック観は全然関係ないですしね。
──最後の「夢の、終わりの、そのあとで」はオルガンがパイプオルガンのように響いてますよね。柔らかさと厳かさを感じる。
遊佐:「グロリア」もそうなんですけど、最後の掛け合いっていうか、カウンターメロディのところとかちょっと讃美歌っぼいかなと。「グロリア」というのがキリスト教で出てくる言葉だし。私はキリスト教の学校に行ってたんで、そういうのが下地にあるのかもしれないです。
──小森さんの歌詞もキリスト教的なところがありますよね。私はキリスト教は全然知らないですが(笑)。小森さんもキリスト教の学校?
小森:キリスト教と全然関係ないところです。自分の歌詞には確かにそういう言葉が出てきます。宗教的なことは私も詳しくはないのですが何か指針というか…、何かを感じる言葉ではありますよね、キリスト教の言葉は。
ロックンロールには一歩踏み込む何かがある
──では最後に。今作の歌詞には失ったもの、失われた景色、そういうものが描かれていますが、どの曲も最後にその先に向かう予感をさせて終わっていくように感じます。光や希望を微かだけど確かに感じる。それはどういった心境なのでしょう?
小森:そうやって終わっていく曲が多いですね。うーん、音楽って元気にするのが素晴らしいとか音楽を聴いて元気になるとか、そういうのがあるとは思うんですけど、それとは違って…。
──私は今作、元気になりましたよ(笑)。
小森:あ、ありがとうございます(笑)。自分は元気とか頑張るって言葉がそんなに好きじゃなくて。元気じゃなくていいと思うんです。
──あ、「元気じゃなくていい」っていうのは同感(笑)。
小森:元気とか頑張るって言葉はあまり好きではないんですが、でもロックンロールは確実に前に、後ろでもいいかもしれないけど、どこかに一歩、確実に一歩踏み込むものだってずっとあるんですよ、ロックに出会った頃から。だから一歩を踏み込む何か、一つだけでいい、込めたい。それが自分の思いなんです。そういうことを、bloodthirsty butchers、ニルヴァーナなどから受け取ったので。元気なわけでも明るいわけでもないけど、だけどグッと踏み込む何かがある。やりたいのはそれだけかもしれないです。メンバーにも聞きたいですね。曲の最後とかを、どんなふうに感じたか。
豚汁:僕が壊れかけに入ったのは前作の前にリリースした3曲入りEP『FRAGILE E.P.』からで、それ以前から前のバンドで何度も対バンしてるんです。で、当時の僕から見た壊れかけのイメージってもっとドロッとしたものだったんです。ちょっと怖いおとぎ話みたいな曲もあるじゃないですか。あと何か意志や主張があるような。そのイメージが僕にはあって、それを受け止めつつ、でも自分はこれでいいのか? って思いもあり。自分がいない頃の壊れかけ、自分がいる今の壊れかけ、そして次の壊れかけ。過去、現在、未来の時間軸を感じながら演奏していて。だから今作は僕にとっても一歩進んでいく感じだと思うんです。一歩進んでいくぐらい、というか。止まるでも走るでもなく、等身大で前に進んでいく感じだなと。
──豚汁さん自身の軸で、過去、現在、未来が繋がっていく感じかな。shinoさんは?
shino:小森君が言ってたニルヴァーナで言うと、I'm so happyで始まる「Lithium」って曲があるけど、全然happyじゃない。でもhappyっていう。あの一言がロックだと思うんです。
一同:おぉ、カッコイイ(笑)。
小森:今のはホントにカッコイイ。
──見出しにしますか(笑)。遊佐さんは?
遊佐:このアルバムには光があると思うんですけど。それは…、自分たちが大人になってきて現実脳になってきた。頭の中の世界から現実に立つ感じがして。今の現実ってキツ過ぎますよね。でもここ数年、バンドは凄く良くなってきてるんです。その理由は全力だからだと思うんです。持ってるカードを全部出すっていうのが今作だし。出し惜しみしてる余裕はないっていう。そういうギリギリっていうか。ギリギリだからこそ希望が出てきた感じがして。単純に演奏は楽しいんですけど、やるなら全力でやろうっていう。そういう意識はキツイ時代だからこそ自然に出てきたっていうのはあると思います。
──私は今作を聴いて、喪失感から目を逸らさないからこそ励まされて元気が出たんだなって思ったんだけど、遊佐さんが今言ったことかもしれないです。キツイ時代、キツイ現実だからこそ全力で、全力だからこその光。あ、ジャケットも素敵ですね。
小森:素敵ですよね。凄いですよね。森千咲さんっていう画家で。去年、ほたるたちと共同企画『懐中電灯の月』というイベントを割礼を呼んで3バンドでやって、そのフライヤーを描いてくれた方で。たぶん曲からのインスピレーションや曲の世界を描いてくれていると思うんですが、広げるとびっくりするような。CDの楽しさってジャケットとかだと思うんですが、サブスクっていわば表しか見えないじゃないですか。CDは裏も見える。ジャケットの後ろ側、広げる楽しさ、立体感を感じることができる。ぜひCDを手に取ってほしいです。