自分の人生に関わってくれたみんなと一緒に作り上げたようなアルバム
──アルバムの終幕を飾るのは、ミディアムテンポのメロディアスな楽曲である「黄昏」が最も相応しいと当初から考えていたんですか。
柳沼:「黄昏」のデモを最初に聴いたとき、アルバムのタイトルを『黄昏』にしようと思ったんですよ。それくらい印象に残る曲だったし、中尾の曲を唄わなければ「黄昏」を一押しにしていたと思うんです。この曲だけはなぜかスッと身体に入ってきたし、ああいう切なく染み渡る曲は個人的にも大好きなので。歌詞も程よく前向きで、4-STiCKSにはとても書けない曲だし。信吾の歌詞はちょっと前向きすぎるし、「ここは東京だぜ?」的な、どこかで聴いたことのあるメロディが多いので(笑)。
──アルバムタイトルを『黄昏』ではなく『Thank you』にしたのも磯江さんのジャッジだったんですか。
柳沼:アートワークのデザインをお願いした、HIGHZIE AND THE PLAYERSの(渡邉)灰二君に「『Thank you』がいいんじゃない?」と言われまして。「ヤギが55年生きてきて、いろんな人たちのお世話になったわけじゃない? 今回のソロアルバムもヤギの人生に関わったみんなで作り上げたようなものだし、そもそも4-STiCKSというバンド自体がそういう存在なわけだから、みんなに感謝の気持ちを表すようなタイトルがいいよ」って。言われてみれば確かにその通りで、4-STiCKSの前身バンドであるBOICEの『See Your Smile』というシングルを事務所の社長だったシゲさん(小林茂明、ロフトプロジェクト前社長)がポケットマネーで出してくれたとき、ジャケットが当時の新宿LOFTのスタッフや関係者の顔のコラージュだったんですよ。それも信吾が「みんなのおかげでシングルを出せたから」という理由で決めたデザインだったし、今回もそれと同じように自分が55年間生きてきた感謝の気持ちを伝える意味でも『Thank you』というタイトルにしたほうがいいなと思って。それで、今や少なくなってきた“Special Thanks”のクレジットを中ジャケにダーッと載せることにして。バンド仲間や仕事仲間、友人たちの後に、自分の家族、信吾の家族、橋本潤さん、シゲさん、一番最後に信吾と、僕の人生に欠かすことのできない人たちのお名前を列挙してみたんです。今の自分があるのはここに挙げたみなさん…特に信吾の無茶振りがあったからこそこうして今も音楽を続けていられるわけで、あらためて“ありがとう”と伝えたかったんです。
──確かに、32年前にVALENTZのベーシストだった柳沼さんを南野さんがBOICEに誘わなければ、今ごろだいぶ違う人生を送っていたでしょうね。
柳沼:それは間違いないですね。それに、磯江さんを紹介してくれたのもデジターボ(現・コンテライド)で働いていた信吾でしたから。信吾に磯江さんと、ずっと無茶振りが続いているんですよ(笑)。
──シゲさんも無茶振りが多かったですしね(笑)。
柳沼:そうそう。結局、そういう人たちに導かれてきたと言うか、どれだけその無茶に応えられるかでここまでやってきた(笑)。還暦になってこういう祝い事をやろうという気持ちは毛頭なかったので、このタイミングでお世話になった人たちに感謝の気持ちを述べておくのは良いことだと思えたんですよね。
──柳沼さんが今もずっと薫陶を受けているJOEさんからは、この『Thank you』に対してどんな感想をいただきましたか。
柳沼:「気持ち悪いな」って(笑)。でも自分の店(高円寺のバー、CHERRY-BOMB)でもたまにかけてくれているみたいで、「歌は多少上手くなったよな」とか各方面に好意的なことを言ってくれているそうです。僕には絶対、直接言わないでしょうけどね。
──今年も南野さんの命日である6月10日に新宿LOFTで『MINAMINO ROCK FESTIVAL』が行なわれますが、こうしてアルバムが完成した以上、ソロ楽曲をライブでお披露目するパートがあってもいいんじゃないですか。
柳沼:それがですね、4月24日という新宿LOFTが歌舞伎町へ移転した記念日に、華々しくソロ名義での出演が決まりまして。“SMILEY with FOREVER”というバンド名なんですけど。
──無茶振りを“永遠”に受け止めるという意味ですか?(笑)
柳沼:意味はお任せします(笑)。僕はベースを弾かずにボーカルに専念して、各パートはすでに揃えました。そこで評判が良ければ、6月10日も空きがあればやりたいと思っています。
──南野さんの追悼イベントを始めてから、早いもので今年で12年が経つわけですね。
柳沼:ここまで長く続けていると、新宿LOFTのスタッフもイベントの趣旨や進め方をよく理解しているから凄くやりやすいし、とても助かっています。ここ数年はようやく自分も少し楽しめるようになってきましたし。
南野の三女が20歳になるまでは『MINAMINO ROCK FESTIVAL』を続けたい
──2017年以降は『MINAMINO ROCK FESTIVAL』とタイトルをあらため、あまり湿っぽくならないような方向にしてきたのもありますよね。
柳沼:イベントを10年続けた後、BAD MUSIC代表の門池(三則)さんから助言をもらったことがあるんです。「もう命日にやるのはやめて、誕生日付近でやれば?」って。信吾の娘さんたちがいつまでも命日にとらわれるのは良くないんじゃないか? ということで。そこまで親身になってくれて本当に有り難い話だし、その提案をいただいてから自分なりに考えてみたんですけど、信吾の三女が20歳を迎えるまではやっぱりこのスタイルで続けたいなと思って。信吾が天国へ旅立った日にイベントをやることに意味があると僕は思っているけど、門池さんも娘たちの立場になって言ってくれたことなのでよくわかる。だから娘たち3人にあらためて訊いてみたんです。イベント自体をやめる、日にちをずらす、従来通り命日にやるという三択の中でどれがいいか? って。そしたら3人とも「これまで通り6月10日にやっていいよ」と言ってくれたんですよ。「それで大丈夫?」って訊いたら「大丈夫。いつもありがとう」と。そういう返事だったので、従来通りの形でやり続けることにしたんです。常に娘たちファーストでやってきたし、それを遵守した上で楽しくやっていきたいというのが今の『MINAMINO ROCK FESTIVAL』ですね。エンターテイメント性を保ちつつ、みんなで楽しく信吾のことを思い出してほしいっていう。ある種、小滝橋通りにあった時代のLOFTの同窓会みたいになっていますけど、去年はBOICEの初代ベーシストだった河瀬(真)君の息子さんがやっている“くゆる”というバンドに出てもらったり、新陳代謝も起きているんです。そうやって音楽の闘魂伝承ができる場所、先人が若手に大切なものを受け渡す機会としても『MINAMINO ROCK FESTIVAL』を続けたいという思いがありますね。僕ももう55歳になって、あとどれくらいこんなことを続けられるかわからないし。
──柳沼さんには上と下の世代を繋ぐ継ぎ手として、LOFTならではの意義深いイベントを仕掛ける旗手として、まだまだ頑張っていただきたいですが。
柳沼:年々涙もろくなってダメですね(笑)。去年の11月、信吾の長女と一緒に代々木競技場でマカロニえんぴつのライブを観たんですよ。LOFTのスタッフにチケットを取ってもらって。まさか信吾の娘と、LOFTと縁があるバンドのライブを一緒に観る日が来るなんて思いもしなかったし、とても感慨深いものがありました。ちょうど今回の「黄昏」をミックスダウンしていた時期で、ライブの後に一緒にご飯を食べて、もう18歳だから家まで送らなくても一人で帰れるわけですよ。駅で「じゃあね」と電車に乗る長女を見送ったら、そこで文字通り黄昏ちゃったと言うか、これが自分の娘だったら『いなかっぺ大将』の風大左衛門くらい大泣きするんじゃないかと思って(笑)。そんなことも重なって、この『Thank you』の作業は思い出深いものになりましたけど、自分が音楽に生かされているのをあらためて感じましたね。信吾の娘たちも音楽が好きだし、彼女たちの父親がバンドに誘ってくれたおかげで自分は今も音楽を続けているし、音楽を通じていろんなことが繋がっているのをこの歳になって実感します。最近の新宿LOFTのスケジュールを見ると、ベテラン勢と若い世代が程よくミックスされていてちょうどいいと思うんです。LOFTは老舗だけど次世代を担うバンドに活躍の場を与えるのはライブハウスの使命なので、どちらかに偏るのは良くない。小滝橋時代を知る世代と今の世代を上手くミックスさせるのが理想だし、どちらの世代も互いに声をかけづらいというのなら、僕が喜んで繋ぎ役をやりますよ。このあいだもCOLTSの岩川(浩二)さんから「間を繋ぐ世代がいない」という話を聞いて、ますますその役目が重要なんだと思いましたね。
──今後たとえば、ルーパーを駆使したベースの弾き語りでソロ楽曲を生演奏する形式もできそうだと思うのですが、いかがですか。
柳沼:ベース&ボーカルは以前試したことがあるんですけど、凄く難しいんです。比較するのもおこがましいけど、僕はスティングやポール・マッカートニーみたいにはなれない(笑)。あれだけよくできた曲を弾けて唄えるなんて神業ですよ。僕の大好きなラリー・グラハムもそうですが、弾けて唄えるベーシストは憧れではあるけど、そこまでのレベルにはとても到達できませんね。今回のようにまな板の鯉になって歌に徹するのが自分らしいスタイルなんだと思います。
──若い時期特有の自我も薄れて、年輪を重ねて他人に委ねられることで新しいものが生まれることもありますしね。
柳沼:そうなんですよ。いつもは自分で決めることが多いから、今回はお任せでスムーズに進める作業を体験したい気持ちもどこかにあったんだろうし。ライブやレコーディングでベースの種類や音色を決めるのは異常にこだわりますけど、ドラムやギターの選択に関しては波長が合えばそれでいいので。
──尊敬する橋本潤さんのレパートリーを受け継ぎ、世に知らしめることも柳沼さんに託された大事なミッションではないかと思うのですが。
柳沼:唄いたい歌はあるんですけど、ちゃんと許可を取らないといけなくて。LAZY LOU's BOOGIEという、テレビアニメ『YAWARA!』のエンディングテーマも出したことのあるバンドの曲なんですけど。あと、TH eROCKERSが解散した後に橋本さんがやっていたTHE BLACK-50にも凄く良い曲があって、それもやりたいんです。実は去年、BLACK-50のメンバーにベースを弾かせてほしいと直談判したんですよ。あいにくスケジュールが合わずに実現しなかったけど、この歳になると思い残すことがないように、やれることは全部やっておきたいんです。
──最後に、盟友である南野さんがこの『Thank you』を聴いたらどんな感想を言うと思いますか。
柳沼:信吾の墓にはCDを持っていってもらったんですけど、どうかなあ…きっと無言だと思いますよ。同じバンドマンとしてライバル心もあるだろうし、「バンドはファミリーです」と常々言っていた人だから、なぜバンドではなくソロなんだ?! という嫉妬に近い感情を抱くかもしれない。「僕らがいるじゃないですか! なぜ僕らじゃダメなんですか?!」みたいな感じでね。以前、僕が違うバンドのサポートでベースを弾いたデモを渡したときも無言だったし。おそらくJOEさんと同じく面と向かってではなく、陰ながら応援してくれるんじゃないかとは思いますけどね。