『KISS』から42年の歳月を経て完成した橋本治への恋歌
──水族館劇場主宰/座付作者の桃山邑さんが作詞した「海を渡る蝶」は、2019年4月に新宿花園神社に設営された水族館劇場野外天幕で行なわれた結成50周年1stライブ『揺れる大地に』(PANTAが音楽を担当した水族館劇場の芝居が行なわれるテント小屋でのライブ)で披露された曲ですか。
田原:あのライブではやらなかった曲なんです。『揺れる大地に』のために用意されていたんですけど、「海を渡る蝶」だけ芝居の中で使われませんでした。途中で入る台詞の部分は女性の声を想定してあって、PANTAさんの中で「これはマリアンヌ東雲しかいない」と考えていたようです。
──ジャジーなテイストでアレンジを固めるのは満場一致だったんですか。
田原:そうですね。サックスの竹内さんが『上海バンスキング』みたいなイメージを提示していたし、水族館劇場の芝居もかつての満州を舞台にしたものだったので、そういう曲調がいいだろうと。
──楽曲自体は20年以上前から存在し、『暗転』にも収録されていた「時代はサーカスの象に乗って」を再録したのはどんな意図があったんですか。
田原:PANTAさんがこのアルバムを作ろうとしたときに最初から収録したいと考えていたのが「時代はサーカスの象に乗って」だったんです。それも今回のアルペジオ・パターンのアレンジで入れたいということで、竜ちゃんに「イントロはこんな感じで弾いてほしい」とPANTAさんが直々にレクチャーしていたんです。(TOSHIに)このアルペジオ・パターンのアレンジは、90年代に一度やっているんですよね?
TOSHI:うん、何度かやってたね。当時、その形で録音しようと思っていたけど、結局しなかったんじゃなかったかな。
──2008年に発表されたシングル・バージョンと比べて軽やかな感じが増した印象を受けますね。
TOSHI:そうだね。シングルで出したときはもっと重い感じと言うか、引きずったところがあった。
──奇しくも今日(1月29日)が命日である橋本治さんへの鎮魂歌「冬の七夕」ですが、PANTAさんが亡くなったのが去年の7月7日=七夕だったので、ちょっとできすぎた話だなと思いまして…。
田原:橋本さんが亡くなった日に、荒川の土手にいたPANTAさんから電話をもらったんです。そのときに「こういう曲ができたから聴いてくれ」と、ケータイ越しにアカペラで唄ってくれたんです。それが「冬の七夕」の原曲でした。当時、宮沢賢治と彼の親友である保阪嘉内の関係に焦点を当てたドキュメンタリー(ETV特集『宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~』)をPANTAさんが見たんです。保阪嘉内は『銀河鉄道の夜』のカムパネルラのモデルとも言われていて、宮沢賢治は生涯をかけて彼を愛していた。その2人の関係性に着目したPANTAさんが橋本治さんとの姿を重ねて書き上げた曲なんです。2人の友情と愛情、宮沢賢治と橋本さんの著作にある世界観が歌詞の中に織り込まれています。橋本さんが作詞を手がけた「悲しみよようこそ」や「恋のクレセント・ムーン」を収録したPANTAさんのソロ作『KISS』から42年の歳月を経て生まれたラブソングの完成形とも言えると思いますね。
──「冬の七夕」を頭脳警察として発表すべきかどうか、PANTAさんは考えあぐねていたそうですね。
田原:頭脳警察のイメージにそぐわないのかもしれないという迷いもあったようです。でも最後にはすべてを一つにして、頭脳警察として発表しようという境地になっていました。それだけ頭脳警察が懐の深いバンドになっていたということではないかと思います。
TOSHI:それはやっぱり、50周年を機にいい若手が揃ってくれたからだと思う。その上に俺もPANTAも甘えて乗っかって(笑)、みんなが神輿を担いでくれたおかげだね。
澤:僕らが頭脳警察に参加して以降、PANTAさんと“黒い鷲”や“隼”という頭脳警察と別のユニットで動いたり、けいさんとの“PANTA et KeiOkubo”やGSバンドの“ピーナッツバター”があったり、いろんなプロジェクトをやれたのが頭脳警察の間口の広さに繋がったと思います。実はそれらのソロユニットの活動は、そもそもこのメンバーと一緒にやるPANTAさんのソロ活動をTOSHIさんが見たいという話から始まったというのを最近聞いて、ああ、そこからすべてが始まったんだなと初めて知って驚きました。
田原:そのTOSHIさんの発言が、PANTAさんの中の起動スイッチを押したと言うか、重荷の鍵を外したように感じます。「このメンバーで出す音を聴いてみたい」というTOSHIさんの発言がなければ、今の頭脳警察がここまで自由度の高いバンドにはならなかったでしょうね。
──TOSHIさんも70年代、90年代、2000年代の頭脳警察と比べて、やれることが格段に増えた印象はありますか。
TOSHI:うん、あるね。1990年の再結成のときは周囲の期待もあって荷が重い部分もあったし、2001年の再々結成でやっと身軽になれた。みんなが期待するイメージや重圧みたいなものを良い意味で無視できるようになったし、他人からどう思われようと関係ないと思えるようになった。今はそのとき以上に身軽になれてるよ。
今の頭脳警察には“ワンチーム”と言うべき結束感がある
──そうした頭脳警察の変遷を見てきたアキマさんは、今回のアルバムでどんな音作りをしようと具体的に考えていたんですか。
アキマ:今の頭脳警察は凄く雰囲気がいいと僕も感じていたし、その雰囲気のままで良い音を録れればいいなと。これまでの頭脳警察はPANTAとTOSHIさんさえいればいい、他の演奏はバックバンドでもいいみたいな感じがどうしてもあったじゃないですか。だけど今はこのメンバー全員が揃って初めて頭脳警察という感じだし、実際、ここ5年くらいはずっと不動のメンバーでやってきたから余計そうなっていますよね。だからこそPANTAが若いメンバーに曲作りを依頼したり、今の頭脳警察は何をやっても自由なんだという境地に達したんだと思う。前作の『乱破』でも若手がアレンジを主導した曲があったけど、僕は凄く新鮮で格好いいなと感じた。昔からの頭脳警察をただやり続けるのではなく、若い感性を吸収してフレッシュな形でバンドをやり続けているのが素晴らしい。若い連中もPANTAとTOSHIさんというレジェンド・ミュージシャンの顔色を窺う感じではなく、バンドマンとして対等に意見を言い合うのがいい。今回の歌入れでも、岳が自分で書いた曲でPANTAのメロをしっかりとチェックしていたよね。メロが外れると「ちょっと違うんですけど…」ってPANTAに注意していたし(笑)。PANTAはPANTAで、全く嫌な顔をせずに「ああ、そうか」と聞き入れて。
澤:「また違ってますよ」とか言うと、PANTAさんはむしろ喜んでくれていましたね。曲にしろプレイにしろ、もっと良くしたいという思いで繋がっている喜びがみんなにあったし、僕らを受け入れてくれる懐の深さがPANTAさんにもTOSHIさんにもあったのがとても有り難かったです。何から何まで本当に自由にやらせてもらえましたから。
アキマ:まさに“ワンチーム”と言うべき結束感があるからね、今の頭脳警察には。
──今にして思うと2018年までの頭脳警察は、PANTAさんとTOSHIさん以外のメンバーがどうしてもヘルプに見えてしまう部分が拭えませんでしたね。
TOSHI:そうだね。俺たちもちょっと肩張ってるところがあったし。
アキマ:とにかくTOSHIさんが「頭脳警察をやめない」と宣言したことが今いい状態にある何よりの証拠だよね。TOSHIさんは元来、自由奔放な人だし、実際に70年代は一時脱退しているわけだから(笑)。そんなTOSHIさんがずっと続けているんだから、今の頭脳警察は絶対にいいバンドなんですよ。
──仰る通りですね。さて、本作の最後は「絶景かな」で締め括られていますが、PANTAさん亡き今、ドキュメンタリー映画の主題歌として聴いた当時とは違う聴こえ方になってしまいました。どうしてもPANTAさんの遺書のように感じてしまうし、そうした部分も踏まえてアルバムの大団円を飾るにはこれしかないという判断だったのでしょうか。
アキマ:曲順については、僕はノータッチなので。
田原:もしかしたら、最後の最後にPANTAさんが曲順を変えていたかもしれません。いつもそうだったし、PANTAさんが存命ならその可能性はあったでしょう。『乱破』のときもそうだったし、ライブでセットリストを変えるのも日常茶飯事だったし。だから『東京オオカミ』というタイトルすらも変える可能性があったと思います。まあ、今となってはわかりませんけど。今回のアルバムを「東京オオカミ」から始めるとPANTAさんは最初から話していたし、僕と話していた中で曲順は概ね決まっていたんですけどね。
──ちなみに、偶然にも今日(1月29日)未明に死亡した、連続企業爆破事件の指名手配犯・桐島聡容疑者が所属していた東アジア反日武装戦線に「狼」というグループがありましたが、それとの関連性は?
田原:その連想を避けるためにも“オオカミ”とカタカナ表記にしたんです。最初の歌詞は漢字で“狼”だったんですけど、“東京”に“狼”だと絶対そっちに受け取られるだろうとPANTAさんが嫌がったので。
アキマ:でも結局、PANTAが引き寄せちゃったよね(笑)。
宮田:しかもまた、アルバムの発売前に(笑)。
田原:「今度のアルバムの『東京オオカミ』とは、あの極左テロ集団のことなんですか?」と、すでにメディアから数件問い合わせが来ているんです。そんなわけがないし、これでまた発売中止になったらどうしてくれるんだ!? って(笑)。