新宿LOFT発のイベント『2TO2』第3弾は、満を持して有村竜太朗と桜井青の2人が交わることになる。
母体となるPlastic Tree、cali≠gariはおよそ30年近いキャリアを誇る両者。もはや説明不要のルーツを敢えて照らし合わせながら、アコースティックであることの意味、新宿LOFTという場所で鳴らす意義について語ってもらった。(Interview:山内秀一)
出会った頃は舎弟のように頭を下げてPlastic Treeを見送った!?
──お二人の出会いはいつでしたか?
桜井:20年前の対談みたい(笑)。出会いはもう下手したら20年以上前ですよ。Plastic Treeが「絶望の丘」を出す前ぐらいですね。
有村:あれ、そうだっけ? 『Hide and Seek』のときは出会ってなかったっけ?
桜井:ちょうど『Puppet show』を作ってたときじゃない。だから25年以上か。
──いきなり歴史を遡るような作品名が出てきて胸アツです。
桜井:共通の友人がいたからもっと昔から知ってるような錯覚に陥るけど、25年くらい。それでも相当前だけどね。
有村:多分、ライブを観に行ったはずなんですよ。
桜井:そうそう、ライブに来てくれて。
──どのライブだったとか覚えてます?
二人:(本八幡)ルートフォーティーン。
桜井:うちはメンバー全員で整列して「Plastic Treeさん、お疲れ様でした!」って舎弟のように頭を下げた記憶があるわ。本当にこの人たちのカリスマ性が凄くて。
有村:いやいやいやいや、そんな記憶ないから。絶対ない! 嘘はやめて(笑)。
──結成が93年の同期ですもんね。
有村:俺らが活動し始めたのは94年なので…まぁでも、ほぼ同期みたいなもんですよ。
桜井:機材車が見えなくなるまでずっと頭下げて見送ってたわよ。
有村:無理でしょ。あの通りを見えなくなるまでなんて。絶対やってないって(笑)。
桜井:当時のV系は任侠だったから。
有村:それはさておき、当初から意識する関係ではありましたよ。cali≠gariってどの辺に出てたんだっけ? (市川)GIOとか(浦和)ナルシス?
桜井:その頃、うちは(高円寺)LAZYWAYSが閉店してルートや鹿鳴、試行錯誤してたかな? 初めてLOFTに出たのもこの頃。GIOだったらAREA(オールナイトでやってたV系イベント)かな? その頃にはPlastic Treeは結成して1年なのに超人気バンドになっていて、GIOでブイブイ言わせてた感。
有村:いや、オールナイトイベントの夜中3時台とかだったよ。人がいない時間。お客さん寝そうになってるの。でも、cali≠gariは当時から既に異色でしたよ。ビラ一枚でも、特殊なバンドなのが伝わるしね。あと俺は当時からそういうアングラっぽい雰囲気のバンドがすごく好きだったんですよ。だからずっとずっと気になってた。細かい話なんですけど、あのハロウィンのイベントがクラブチッタであって、そのときに僕、あのベースと一緒、“三毛猫病院”ってコピーバンドやって包帯ぐるぐる巻きで。そこでcali≠gariのスタッフさんとか共通の友達と会って「気になってるんだよね」と伝えたことがきっかけでライブに招待いただき、それの流れでルートフォーティンまで観に行ったんです。
今さら無理して会わなくても良いくらいの深い付き合い
──初見からかなりのインパクトでした?
有村:本当に結構、俺衝撃で。想像以上にやばかった。せいちゃん(桜井)もだし、当時はボーカルにもびっくりしたな。他に類を見ないもん。でも割と早く打ち解けましたよ。あの頃は打ち上げとかもよく朝までやって…いや、朝どころじゃなかったね。
桜井:2丁目で朝まで行って、それでも終わらなくて…。
有村:公園とかで飲んでたよね。
桜井:そう、行く店行く店追い出されるから。それで最後は新宿中央公園。
有村:もう朝じゃなくて次の夕方とかになってたもんね。ずっと語ってて。おいおい、もう20時間くらい飲んでるぞ、みたいな。長かったね。
──まさに人に歴史ありですが、昨今でもこの交流は続いてたんですか?
桜井:別にあんまり遠くにいる感じもないし、そんなに会ってるわけではないですかね。
有村:年に2、3回、俺は割と会いたいですけどね。夕方までとか公園じゃなければ。
桜井:あなたは友達多いじゃない。私は基本友達少ないし、増やしたくないし、LINE10人くらいしかいないもん。
有村:それは嘘!(笑)
──誘いにくい的な?
桜井:だって一人でいても幸せだもん。あと、夜飲みに行くとどこかしらに知り合いがいる環境だから寂しくないっていうのもあるかも。
有村:交流が希薄っていうよりは、ある意味でかい大家族に属してるっていう距離感じゃないかな。無理して会わなきゃってことでもないぐらいの深い付き合いというか。
桜井:でも、友達多いし、毎日飲んでるんじゃないの?
有村:そんなことはないけど、まあ飲んではいるよね。昨日も(長谷川)正くんと朝5時まで飲んでた。
桜井:だからさ、メンバーと朝5時まで飲めるのがすごいよ。あり得ない。結成して30年よ?
有村:1時からバーのカウンターで二人で歌詞書きについて結構良い話をしてたよ。
桜井:30年やっててまだ良い話があるの!? うらやましい!
有村竜太朗
──(笑)ちなみに当時の新宿LOFT界隈ってどういう空気感だったんですか?
桜井:移転前の小滝橋にあったLOFTの楽屋でメイクって何歳からできたっけ? って世界ですよ。
──あぁ…厳しい縦社会が。
桜井:何十年も前の話ですけどね。当時の上下関係って本当に厳しくって。若手は楽屋なんて使えないから、通路でメイクをしてたんですよ。下手したらワンマンができるようになった98年頃まで使えなかった。で、問題があって。トイレが楽屋の前なんですよ。先輩…特に西のバンドとかが楽屋周りでスタンバイしていると、入りづらくって、メイクしたまま外に出て、他所の建物のトイレ借りてたっていう厳しい時代でしたよ。当時のLOFTは厳しい下積みのイメージですね。小滝橋通りにあって。今あるステーキ屋さんの向かい側かな。階段が細くてギュウギュウだからいつも通りに人が溢れててね。
有村:あー、俺、当時のLOFTにcali≠gariのワンマン観に行ってるもん。懐かしいね。
桜井:LOFTは常に楽しいライブができた憧れの会場ですよ。高校生の頃からずっと出たかったライブハウスでしたし。LOFTに出ればバンドとして認められる感じがあったよね。そういう気持ちは今でも持ってます。自分の誕生日である6月28日はできる限りLOFTで迎えたくて、毎年のようにLOFTで何かしらやれるようにしてる。
有村:僕もLOFTに出れるっていうのは嬉しかったですね。トイレにdipのステッカーがあって、それを拝むように見てたりしたなぁ。青春です。プラで言うと正くんはLOFTにお客さんとしてライブを観に行くことも多かったから、ひと際嬉しかったでしょうね。
桜井:自分のライブで演者として行くことも多いけど、今でも、普通にライブ観に行ったり、バースペースに飲みに行くことも多い不思議な場所です、LOFTは。