「ひかりのなかに」というバンドに出会ったのは今から5年ほど前だろうか。当時、3人の高校生が鳴らす真っ直ぐな音に衝撃を受けたことを今なお覚えている。ヤマシタカホが一人バンドを続ける形で音を鳴らしてきたがいったん活動休止を経て、今春「ひかりのなかに」が音楽シーンに帰ってきた。活動休止中のことやこれからのことを包み隠さず語る姿は、発する音楽そのままに今も真っ直ぐだと感じた。9月3日には初めて『ひかりのなかに&新宿LOFT presents すてきなひとりぼっち』と題したイベントを開催するが、開催目前のイベントに寄せたメッセージも彼女らしさが溢れているので、最初に引用してからインタビューを始めていこう。(interview:高橋ちえ)
音楽はひとりぼっちのときに聴くのが1番って思ってます
ひとりぼっちの時聞いた音楽たちが
寄り添ってくれたり怒りや悲しみをエネルギーに変換してくれたりしながら
なんとか地に足をつけて立っていられる
そんな、音楽を好きな気持ち、音楽を聴いた時にしか味わえない優しくてあたたかい、時には涙が出るくらい心の真ん中が震えるような感覚、そのすべてを交換できる場があったらいいのに、と思い、来たる2023年9月3日に開催をすることが決まりました。
是非楽しみにしていてください。
──ヤマシタカホ(ひかりのなかに)
音楽に戻らないと気が済まないぐらい方向が向いた瞬間があった
──ごぶさたしている間、本当にいろんなことがあっただろうと察しておりました。
ヤマシタ:本当に、どうしたら良いか分からない時期がずっと続いてしまって。自分で言うのも何ですけど、苦労したなぁ…という感覚を、とってもしています。
──それはまず、一人で「ひかりのなかに」を続けると決めたところから始まりますよね。
ヤマシタ:そうですね。それも“自分一人でやりたい”と言ってそうなったわけではなくて、(メンバーが辞めて)一人になってしまうから、これからどうしたら良いんだろうっていう。人生で初めて組んだバンドが「ひかりのなかに」で、それを続けたかったし、自分がどうするか(と考える)よりも先に、手助けをしてくれていた方々の言葉とかを“これが正しいんだろうな”と頼りに信じるしかなかった場面もけっこうあって。正しいのかどうかも分からないけど進んでいた、みたいなところも(一人になって)最初の頃はあったのかなと思ってます。
── 一人で進まなくちゃと思ったら、今度はコロナ禍が襲ってきましたものね。
ヤマシタ:その当時はまだ自分に事務所がついていたので、たとえば配信リリースとか配信ライブをやるとか、本来なら自分一人でできない機会をいくつかでもいただけていたのが随分と助けになっていました。もし何もできていなかったら、もう音楽はやっていられないと思ったと思うので。自分の音楽を発信する場をいただけて有り難かった反面、家にいることが多くて塞ぎ込むことが多かったし、もともとあんまり根が明るいほうではないので、楽観的に考えることも全然できなくて。バランスを取ることが苦しかったなという記憶です。
──いろいろと大変だった時期を経て、“もう一度音楽を鳴らせること(中略)に 喜びと、期待をふくらませています”と今春、「ひかりのなかに」活動再開を発表しましたよね。ヤマシタさんにとって音楽とは何でしょうか。
ヤマシタ:休止期間としては約2年になるんですけど、その間も音楽を嫌いになったわけではなかったし、曲を書いたりしていたタイミングもあって、自分にとってはそれぐらいの存在で良いのかもしれないって思っていたところもあったんです。たまに自分が書きたいタイミングで曲を作って、それがちょっと楽しくてある意味、趣味のようになっていれば良いのかなぁって。そう思っていたんですけど、自分が休止している間に自分より年下や同世代のバンドが少しずつ夢を掴んでいく姿を見て、“自分があのとき、音楽をやめずに続けていたらどんなことが待っていたんだろう”っていう想像をするたびに、悔しいな…と思ってしまって。何度か悔しいって思っているうちに…うまく表現するのが難しいんですけど、“やっぱり自分は音楽をやりたいんだろうな”って認めるタイミングがあって。それからは音楽のことしか考えられなくなって、当時、会社にも勤めてたんですけど仕事も手につかなくなるぐらい、自分が今すぐにでも音楽に戻らないと気が済まないぐらいに方向が向いた瞬間があったんです。自分がやらなくちゃいけないこと、自分が生きるということは、音楽なんだろうな、と。思いきって会社にも辞めますと伝えて、(活動再開への)準備を進めてきたという感じです。“音楽に引き戻された”という感覚で、自分が背負わなくてはいけないものだって思った…音楽は、そういう存在です。
──“音楽に戻らないと気が済まないぐらい方向が向いた”のはいつ頃でしょう?
ヤマシタ:はっきり覚えてます、去年の8月2日です。その日、朝に近いぐらいまで仕事をしていてしんどくなりすぎて歩けなくなったんです。家の近くで座り込んじゃって、そのときに“音楽をやりたい”ってとてつもなく思って歌詞を書いたんです。それまでも自分が迷っているときは歌詞を書いてきたので。次の日に会社を休んで曲を作って完成させた「pray」という曲なんですけど、その曲ができたこととその曲に自信も持てたから、もう一度音楽をやろうって思ったんです。今のバンドでライブでも演っていて、最近の私の中でとても大事な曲ですね。
──ドラマチックですね。それがターニングポイントで、活動再開への準備を進めてこられて。
ヤマシタ:はい、やっぱり一人では演奏面でも何もできないので、メンバーとか一緒に手伝ってくれる人を探す期間に充てました。それまで私は人に恵まれていたので、いろんな人があれこれやってくれていたことをこれからは全部一人でやらなくちゃいけないという難しさを感じていたし、まず“もう一度始めたいけどどうしたら良いかな”って口に出せるまでにずいぶん時間がかかってしまって。(去年の)10月とか11月ぐらいにそれを伝える決心が固まってきて、友達でギターをやってる子に言ったらそれが今のサポートメンバーのお2人と繋がるお話になっていって。昨年末ぐらいにようやく、活動再開できるなという状況になった感じでした。
──溢れる思いはあっても、まず伝えなくちゃいけないということへの葛藤が伝わってグッときます。そもそも「ひかりのなかに」としてやっていくと決めたのは?
ヤマシタ:私が一番怖いと思っていることが、忘れられることなんです。自信がないから、自分が思うより自分のことを知っている人っていないと思ってるし、何より私が「ひかりのなかに」っていうバンドがとっても好きだった。バンド名を変えたほうが良いんじゃないかな、とか実際に考えたりもしたんです。けど、「ひかりのなかに」のたった数年、その期間だけで潰せるほど簡単なバンドじゃないと思っていたし、「ひかりのなかに」というバンド名を聞いて“あれ、この名前聞いたことあるな?”って思ってもう一度、自分の音楽を聴いてくれる方もいるんじゃないかなとかも考えて。「ひかりのなかに」としてやっていこう、って決めました。
──“サポートメンバーをお迎えして活動をする”と明言されているのであれば、ソロ名義にするのも一案かと思ったりもしたのですが?
ヤマシタ:私の好きな銀杏BOYZも“一人しかいないけど銀杏BOYZです”みたいな(笑)、じゃあ一人で「ひかりのなかに」で良いじゃん! って思いました。