コロナ禍中に突如辞任してから2年半、そして参院選のさなか銃弾に倒れてから8ヶ月、歴代最長の総理在任期間を誇る安倍元首相、そして安倍政治とは一体何だったのかを検証するドキュメンタリー映画が公開される。手がけたのは、日本アカデミー賞作品『新聞記者』や、官邸政治の闇を描いた『i-新聞記者ドキュメント-』など、 社会に訴える映画を手掛けてきたスターサンズと、邦画史上初となる現役総理大臣(菅義偉・当時)のドキュメンタリ ー『パンケーキを毒見する』の内山雄人監督。
世論の分断、森・加計・桜スキャンダルなど多くの問題を抱えながらも、選挙では圧倒的な強さを見せた安倍総理の影響は岸田政権になっても色濃く残り、統一教会との癒着、総務省の放送介入問題など、いまもその残滓は国会を揺るがしている。安倍政治以降の日本は果たしてどこに向かっているのか? 内山監督にお話を伺った。(インタビュー:加藤梅造)
メディアは何をそんなに脅えているのか
──まずは映画制作に至った経緯を教えて下さい。
内山 前作『パンケーキを毒見する』の直後からプロデューサーの河村光庸さんが次は本丸をやるべきだと言っていました。それとはまた別のルートで、ある大物政治家からも次は安倍をやってくれと言われて、大量の資料を渡されました。公開がこの時期になったのは4月9日からの統一地方選挙の前に間に合わせたかったという理由もあります。
──その河村さんは残念ながら昨年6月に急逝しましたが、古賀茂明さんに電話して映画への協力を依頼した、その翌日に亡くなったというのは劇的ですね。
内山 映画のタイトル『妖怪の孫』もその時に伝えたそうです。河村さんが亡くなったことで私たちも精神的な支柱を失ってしまい、どうしようと思って古賀さんに相談した所、古賀さん自身も河村さんからこの映画を託されたように感じておられていて、企画プロデューサーを引き受けてくれました。
──取材は苦労されましたか?
内山 政治家は共産党以外、野党も含めすべて取材NGでしたね。共産党だけだと全体のバランスを欠いてしまうと思って他の政党にもあたったんですが、結局どこもダメでした。
──与党の政治家がこの映画の取材を受けるのは難しいと思いますが、野党までNGですか。
内山 安倍元総理銃撃事件の後、世間の安倍さんに対する評価がどんどん変わっている状況だったんです。国葬に対する評価も。だから取材に応じることがリスクばかりでメリットがないというのもあるし、ネットなどで攻撃されるのを避けたい気持ちは分かります。ただ、結果的に国会議員に頼らなくてよかったですね。法律家や学者やジャーナリストの言葉によりリアリティを感じることができました。
──『パンケーキ』もそうでしたが、本人に直接取材ができないという状況にあって、どこに焦点を絞ろうと考えたんですか?
内山 それがこの映画の一番難しい部分でした。例えば、安倍さんを取り巻くネット右翼とは何なんだろう?という視点でいろいろ議論したのですが、なかなか実体として取材するのが難しい。ただ、その中で見えてきたのが自民党が力を入れていたメディア戦略でした。その前提となっている文書や証言などの証拠があることから、これは1つの柱として成立できるなと。
──長年テレビ業界に身を置く内山監督としては、自民党のメディア戦略にやられて、日本の報道の自由度がどんどん下がっている現状は耐えられない?
内山 メディアは何をそんなに脅えているのかと思いますね。メディア各社がちゃんと向き合うんだと決めてやればいいだけだと思うんです。政府を批判するだけで電波を止められるということが現実に起こると思うのか聞きたいですね。そこにはメディアの人間の自己保身が感じられてしまうんです。組織に属さないフリーのジャーナリストだけががんばっていて、組織に守られているマスコミ人が何も言えなくなってるというのが残念です。
──テレビができないなら映画でやろうと。
内山 そうです。さらに言うと、テレビはこの映画の存在すら扱えない。前回の『パンケーキ』を上映している最中に菅首相が辞任しちゃったんです。そこに映画の影響があるかどうかは別として、普通にニュースのネタとして、菅首相を題材にした映画が上映されていてそこそこヒットしているという状況は面白いはずなんですが、テレビは全く無視でしたね。今作も試写会にはテレビ関係者もたくさん来てくれましたが、この映画を取り上げるテレビは1つもないです。
──映画の中でニューヨーク・タイムズの元東京支局長が、大手メディアの幹部が総理と会食に行くなんてアメリカのメディアではありえないと呆れてますが、日本にいるとこの感覚が分からないんでしょうね。
自分にとって何が大事で、なぜ今これを伝えないといけないのか
──『パンケーキ』に続き、今作でも2016年に高市総務大臣が政府に批判的なテレビ局に電波停止の脅しをかけたことを大きく取り上げてますが、それが今の国会でも再び大問題になっていますね。当時、高市大臣が発言を「撤回しません」と半笑いで答弁するシーンは、何ともいえない嫌な感じがしました。
内山 映画を見てそういう部分に気づいてもらうのがいいと思うんです。彼らは議論する場を排除していて、最初から野党をバカにしている。ある種の幼稚さも感じられます。およそ国のトップにいる人が言う言葉ではない。ああいった部分に政治家の本当の人間性が表れると思っていて、そこから読み取れる所がたくさんあるんじゃないかと。
──安倍首相が「総理大臣である私が嘘をついているとでもいうんですか」とヒートアップしている場面とか、「どの口が言ってるんだ」と思いますよね。
内山 そういうツッコミはどんどんしていかないと。ネットで国会の映像は誰でも見ようと思えば見れるんですが、量が膨大でなかなか辿り付けないし、そのうちに忘れてしまいます。だからといってなかったことにはできないし、ちゃんとこうやってピックアップすることは大切ですね。
──「報道されない事件」として、下関市で安倍事務所や自宅に火炎瓶が投げ込まれた事件のことを取り上げてますが、当時、事件を調べていたジャーナリストの山岡俊介さんが、何者かによって駅の階段から突き落とされたという話にはぞっとしますね。
内山 権力に睨まれるとそういうこともあるのかなってぼんやり思っていましたが、山岡さんの話を聞いて、本当にあるのかと怖くなりました。これは他人事じゃないぞと。山岡さんが取材していたのは大きな利権や暴力団も絡んでいた事件なので、それに比べればこの映画が扱っている範囲は一部でしかないのですが。ただ、映画の中でも告白している通り、家族に影響がないかどうかはとても心配しています。あと、この映画を上映してくれる映画館にも、やはりクレームがたくさん来ているということなので、その対策として、そういう電話は全部こちら(映画制作側)で対応するようにしました。
──あと「官邸主導型政治」の問題として、古賀さんが現役官僚に覆面インタビューをしていますが、上司から「今の政権の方向性と違うことは一切考えるな」と言われた話とか、もはや独裁国家と変わらないと思いました。
内山 残念ながら彼らも抗う術がないんです。官邸は刃向かう人間はすぐにクビを飛ばすし、法律を無視してルールを変えてしまうということがこの10年間ずっと続いているわけですから、それまでの価値観は全部ふっとんでしまった。国をよくしたいという志を持って仕事をしていた人ほど、なんでこんな仕事をしなきゃならないんだっていう忸怩たる思いを抱えている。実際、それを理由に辞めていく人は多い。だからなるべく多くの人に今の現実を知ってもらいたいというのが映画の目的の1つです。それで私たちに何ができるのか? それは投票行動なのかもしれないし、まずは知って考えるしかないと思います。
──映画の最後、監督自身が「このまま終わっていいのか? これで人に届くのか?」と自問しているシーンにすごく共感しました。いまの日本は、まるでロシアや中国のように何か政治的な発言をするだけで危険な存在と見なされてしまう雰囲気になっているような気がします。そういうリスクを覚悟で映画を完成させた意志が伝わってきました。
内山 この映画がどういう受け止められ方をするのかわからないんですが、僕らは取材対象の方にリスクを負わせているのは確かなんです。だから制作している側もリスクを取ることを表したかった。他に予定していた終わり方はあったんですが、これで届くのかどうかが本当にわからなくなって、編集のデッドラインをとっくに過ぎても答えが出ない状況で、どさくさで、もうこれしかないと思って撮り足したシーンなんです。自分にとって何が大事で、なぜ今これを伝えないといけないのか、それを自分の言葉で語るしかないと思いました。正直、ダサいとは思いますし、そういう自分のダメさも含めてなんですが、映画としてきれいな映像で終わると、それだけで終わってしまいそうで、どうやって自分事に落とし込めるのか、それがあのラストなんです。観た人に伝わるといいのですが。