映画監督が「映画と時代」を語るシンポジウム第8弾〜なぜ日本映画は政治を語らないのか?〜が2022年1月23日(日)にLOFT9にて開催。
なぜ日本映画は政治を語らないのか?もちろん、政治をかたってきた映画はあるし、個人を描いていてもその周りに社会が見える映画はあった。でも、それって、数えられる程しかないんじゃないのか。戦争映画だって、自国の加害行為や天皇の戦争責任まで描いたものは何本あったろうか。お隣の韓国を見ればいい。自国の黒歴史を堂々とエンターテイメントにして、大ヒットさせている。台湾だって、フィリピンだって、ドイツだって、みんなやっている。その最たるものはハリウッドだ。なのに、この国は。投票率が低いのは当たり前だ。映画のみならず、ほとんどの表現が政治を語っていない。半径1メートルの世界しか描いていない。
2016年、フジロック内のトークコーナー「アトミック・カフェ」に、津田大介氏とともにSEALDsの奥田愛基氏が出演することが決定したさい、「音楽に政治を持ち込むな」という批判が殺到したことは記憶に新しい。漫才で政治ネタを語るウーマンラッシュアワーの村本大輔に対して、「お笑いはお笑いだけやっていろ」という批判は未だ根強い。そうやって、政治を語ることを潰そうとしてきた歴史がこの国には確かにある。でも、転ばぬ先の杖で、そういう批判を恐れ、映画は政治や社会を描くことを過剰に避けてきたのではないだろうか。それって、もしかして忖度や自主規制という名の「表現の自由の無自覚な放棄」なんじゃないだろうか。
2019年の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」の問題を、しんゆり映画祭の『主戦場』の上映中止問題を、思い返してみればいい。普通にそこにあると思っていた「表現の自由」は、我々が政治を語ってこなかった内に、足下から崩れようとしている。何をやろうと自民党が勝ち続けるこの国で、今こそ、その問題を考えたい。そこからしか、「表現の自由」を守るすべはないのだから。
映画監督が「映画と時代」を語るシンポジウム第8弾〜なぜ日本映画は政治を語らないのか?〜
2022年1月23日(日)
OPEN 11:30 / START 12:00
会場観覧(映画上映+シンポジウム参加): 予約2000円+ドリンク代600円
配信(シンポジウムのみ) →YouTubeLive(投げ銭ぜひ)
主催 : 自由と生命を守る映画監督の会
共催 : 学問と表現の自由を守る会
●上映作品「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」(2020年 アメリカ 83分)
(監督 : スー・ウィリアムズ/出演 : デニス・ホー/配給 : 太秦)
デニス・ホーは香港のスーパースター。香港の芸能界ではじめて同性愛者であることをカミングアウトしたスター歌手だ。しかし、2014年、香港で起きた「雨傘運動」を支持し、デモに参加したため、中国のブラックリストに入ってしまう。スポンサーは離れ、公演すらできなくなる。しかし、彼女は歌うことをやめない。正しいと思ったことを口にすることをやめない。この映画はそんな彼女の気高くも孤独な闘いを追ったドキュメンタリーである。香港から自由が奪われた今、この映画が語りかけてくるものは大きい。
●シンポジウム「映画と時代」
【パネリスト】
河村光庸(プロデューサー/「新聞記者」「宮本から君へ」「パンケーキを毒味する」)
宮崎信恵(映画監督/「終わりの見えない闘い 新型コロナウィルス感染症と保健所」)
小林三四郎(配給・宣伝/太秦代表取締役/「金子文子と朴烈」「乱世備忘 ぼくらの雨傘運動」)
戸田ひかる(映画監督/「愛と法」「マイ・ラブ 6つの愛の物語」)
リム・カーワイ(映画監督/「新世界の夜明け」「カム・アンド・ゴー」)
日向史有(映画監督/「東京クルド」「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」)
金子修介(映画監督/「平成ガメラ三部作」「デスノート二部作」「信虎」)
司会・井上淳一(脚本家・映画監督/「止められるか、俺たちを」「誰がために憲法はある」)
(タイムテーブル)
11:30 開場
12:00 主催挨拶
12:05 「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」上映
13:30 休憩
13:40 シンポジウム「映画監督と時代」
16:00 終了