録音からミックスまですべてを行なった代々木3丁目のアパート
──何でも自分の手で生み出そうとしたのはメジャーレーベル時代の反動もあったんですか。
マモル:それもあったのかな。たとえば『PRIVATE ONE』のジャケットはカラーコピーなんだよ。6枚分のジャケットをA3の紙に納めて、1枚ずつのジャケットを色鉛筆で塗っていくんだけど、6枚全部を同じように塗るのもイヤじゃない? それで友達のアイディアで全部色違いにしてみた。それを塗り分けてカラーで縮小コピーをして、自分で切り落としてさ。だから『PRIVATE ONE』のジャケットは全部で6種類あって、背景が緑だったり赤だったり違いがある。そんな手作り感満載のカセットでもちゃんとタワーレコードに卸してたからね。ライブで売るテープは家でダビングしたのもあったけど、基本的にちゃんと業者へ出して流通させたんだよ。当時のタワーレコードにはカセットテープのコーナーもあったし、まだインディーズも元気があって今より自由な感じだった。ライブで行った新潟のタワーレコードだったかな、店員さんが僕のカセット音源のポップを作ってコーナーで飾ってくれたのは嬉しかった。
──家でカセットをダビングするのはハンドメイドの極みですが、それも限界がありますよね?
マモル:2本目のカセットをライブで発売するってときも家でダビングしたんだけど、今みたいな何倍速とかないし、リアルタイムでコピーするしかなかった。確か1本につき30分かかったのかな。結局、ライブへ行くギリギリまで作業をすることになって、これはレコ発に間に合わないってことで知り合いの若い子を呼んで、ライブへ行くまで僕と交替でダビングすることになったんだよ。僕が寝てる間にそいつがダビングして、そいつが寝てる間に僕がダビングして(笑)。それで何とか50本くらいダビングできたのは覚えてる。
──結局、このカセットシリーズは累計でどれくらい売れたんですか。
マモル:最初の2本は100本、200本くらい行ったかな? もうあまり記憶が定かじゃないけど。
──こうして2枚組CDにまとまったものを聴き返して、今の自分ならこんな歌は唄わないかなというのはありますか。
マモル:いっぱいあるよ。その頃の精神状態っていうのが今とはまた違うしさ。
──たとえばドラムとピアノをバックにつぶやくような歌を聴かせる「何かいいことないかな」は、今のマモルさんのレパートリーでは珍しいタイプの曲ですよね。音の録り方も含めて。
マモル:あれは家でわざとボソボソ唄ってて、ちょっと実験的なことをやりたかった。ジョン・レノンの「Mother」みたいなことをやろうとして、当時はDAViESのメンバーだった(斉藤)エンジン君にピアノを弾いてもらった。まあその曲に限らず、あの頃は何でも実験だったね。
──最初の2本は純然たる宅録だったのが、3本目の『南新宿 R&R Band』(1996年8月発表)からはバンドで録音するという試みも大胆でしたね。
マモル:だんだん欲が出てくるんだね。2本目までで自分なりの宅録の仕方が完結して、8トラの限界を超える所まで行ったんで、3本目はバンドで録ってみようと思った。それも実験の一環とも言えるのかもしれない。津久井のスタジオで録ったけど、機材は基本的に代々木3丁目のアパートと同じ。適当にマイクを立てて何も考えずに録った。知識がないって逆に凄いんだよ。8トラだからどこかでピンポン(すでに録音された複数のトラックを一つのトラックにまとめて録音し、新たに空きトラックを作ること)しないといけないんだけど、今みたいに便利じゃないからそこでピンポンするのは一度きりの勝負だからね。それでいろんな音が混ざっちゃうから。
──その行為が独自の緊張感を生むことにもなりますね。
マモル:うん。今聴くとシンバルがデカイなとか感じるけど、知識がないなりによくやったなと思う。
──バンドのスタジオ録音の次はバンドのライブ録音をしてみようと試みたのが『PRIVATE 4』でしたね。
マモル:『R&R HERO』を出すのがすでに決まっていたからロフトのスタッフがいろいろ動いてくれてね。「手ブラで行こう」と「テレビマン〜すばらしい毎日〜」は新宿ロフトの昼間を借りて録音したんだよ。ロフトのエンジニアの人たちが来てくれて、ADAT(アレシス社のデジタルマルチトラックレコーダー)に「せーの!」で音をぶち込んで。シェルターで録った「ボクのうた」も同じ感じ。それらをまとめてミックスダウンしたのはなぜかラママだったんだけど。今思うと贅沢だよね、ロフトとラママが使い放題だなんて(笑)。ロフトと言えばね、『想像しよう』の録音も代々木の“Stepway”っていう古いスタジオだったんだよ。当時住んでたアパートから歩いて5分くらいの所でさ。何から何まで代々木で事が済んでた時代なんだよね。
──「新宿で飲みすぎて 歩いて帰れる距離なのさ」という歌詞(「オイラの部屋へおいでよ」)の通りだったんですね。
マモル:そうそう。レコーディングも僕だけ歩きだったし、代々木時代はとにかく生活の環境が良かった。僕が住んでたアパートは当時同じ事務所だったサミー前田君(現ボルテイジ・レコード主宰)がもともと住んでいて、彼に「僕は引っ越すけどいい部屋があるよ」と言われて遊びに行ったら、台所に風呂桶がズンと置いてあってさ。
──それも「オイラの部屋へおいでよ」の歌詞の通りですね。
マモル:そう、そこからもう面白くて。そのアパートは当時所属してた事務所の社長のお父さんの持ち物で、最初に住んでた社長の妹さんが台所を勝手に風呂場みたいにしちゃったんだよ(笑)。その部屋だけ家族の持ち物だから自分で改造しちゃったみたいでさ。台所で湯船に浸かれて窓から電車が走るのが見えて、ちょっとした露天風呂だから(笑)。その部屋の3代目住民が僕で、最初に部屋へ遊びに行ったときからめちゃめちゃ気に入ってね。「何これ!?」みたいな。ちなみにそのアパート自体は潰れないでまだ残ってるみたいだよ。そこの部屋の風呂桶は僕が住んでた頃に給湯器が壊れて使えなくなったけどね(笑)。
ローファイなアナログ録音独自の思いきりの良さ
──今回はDISC-1とDISC-2にそれぞれボーナストラックが収録されていますが、DISC-1のボーナストラックの「ふぬけ」は『MAMO'S BLUES Vol.2』(2001年8月発表)に収録されていたものと同じテイクですか。
マモル:うん、同じ。『R&R HERO』に入れた曲のデモ・バージョンだね。
──DISC-2のボーナストラックの「スキだらけで行こう」は、4本のカセットを出した後の1999年4月にレコーディングされたものなんですね。
マモル:当時のDAViESのメンバーと東新宿のスタジオで録ったんだけど、何のために録ったのかはよく覚えてない。ミックスは代々木3丁目のアパートでやったんだけど。あと今回、マスターがCD-Rで残ってた「ロックンローラー」だけミックスし直してみた。1トラックずつパソコンに取り込んでリミックスしてね。他の曲もマスターが残ってたら同じようにやりたかったんだけど、見当たらなくてさ。それと「今週週末来週世紀末」と「荒川へ行こう」は『MAMO'S BLUES』に入れた2001年のリミックス・バージョンだね。カセット音源の全部じゃないけど何曲かチョイスして、「オイラの部屋へおいでよ」や「君はぼくのどこが好きなの」の新録を入れたのが『MAMO'S BLUES』の2枚なんだけど。でも『MAMO'S BLUES』はカセットで出した曲順もバラバラだったし、なんか流れが悪いね。デジタル録音を始めた頃の実験的要素の強い作品だったし、曲順も適当にぶち込んだだけだったから。今回のように『PRIVATE ONE』から『PRIVATE 4』まで順番に並べて聴いたほうが作品としても面白いよ。ちょっと暗いけどね、さっきも言ったけど(笑)。
──やはりそこが気になりますか?(笑)
マモル:まだ若くて一人暮らしだったしね。ずいぶんひねくれた小僧だなと今は思うよ。面白いことを唄ってるとは思うけどね。
──凄く面白いし、「お金持ち」の歌詞とか最高じゃないですか。だって「ボクはお金持ち/あいつ世帯持ち/あの娘はやきもち」ですよ?(笑)
マモル:くだらないよね(笑)。僕が今聴いて面白いな、今は書けないなと思ったのは、ロフトで録った「テレビマン〜すばらしい毎日〜」だね。ヘンな曲だけど面白い。曲調も変わってるし、ヘンなセリフも入っててさ。
──ウクレレを取り入れた「野球小僧」もこの弾き語り時代ならではだし、グレイトリッチーズではできなかった表現ですよね。
マモル:「野球小僧」も宅録の実験だったね。家でリラックスして録るからなのか、宅録でしかできない何かがやっぱりあるんだよ。カセットに入ってた「野球小僧」は『想像しよう』のためのデモだったんだけど、ドラムとかはMTRを使ってクリックを入れながら打つわけ。でもそれだけじゃつまらないってことで、打ち込んだドラムをラジカセから鳴らしてマイクで録ったんだよね。今聴くとめちゃくちゃだけど、何でもいいからやっちゃえ! っていう感じだった。全部自分の部屋で完結することで、凄く勉強になったよ。今はデジタル録音のおかげで失敗をやり直せる良さがあるし、全体のバランスを取るのも大事なんだろうけど、ローファイなアナログ録音みたいに一か八かで思いきってやるっていいよね。
──根拠なき自信が為せる業、それゆえの勢いや思いきりの良さ、潔さの輝きってありますしね。
マモル:このカセットがメジャーから出るわけじゃないっていう気楽さもあったと思う。ライブでちょっと売るくらいの音源だからっていう気安さが結果的に面白いものを生んだんじゃないかな。これを公式に発売するってことだったらこうはならなかったと思うよ。もっと気を張ってちゃんとしたものを作ろうと空回りしてたかもしれない。
──今また8トラックカセットMTRを使って宅録するのも悪くないと思いますか。
マモル:うん。ヤフオクで1万円くらいで売ってるから買っちゃおうかなと思って。当時は10万円くらいしたんだよ? 400ccのバイクを売ってお金を作ってさ。でも確実に言えるのは、あの時代のカセットの実験がなければ今の僕はないからね。そしてその実験は今もずっと続いてるというか、さっきも言ったけどやってることが今とちっとも変わらないのが自分でも笑える。録音して絵を描いてデザインして、何から何まで全部自分で作業してさ。絵のタッチもあまり変わってないしね(笑)。