ex-グレイトリッチーズ、現在はソロとMAMORU & The DAViESの両輪で活躍を続ける生粋のミュージシャン、ワタナベマモルが1995年から1998年のあいだに"プライベートカセットシリーズ"として発表した4本のカセットテープをまとめた2枚組CD『PRIVATE TAPES 1995-1998』を1月19日に発売する。本作は8トラックカセットMTRを使用して録音された、宅録からバンドでのスタジオ&ライブ録音までを試みた"ワタナベマモルのロックンロール実験室"の原点とも言える作品集。ローファイなアナログサウンドが炸裂した全33曲のカセット音源を聴くと、朴訥として温かみのあるワタナベマモルの歌の雛型がすでにこの時点で確立されていることが窺え、その原石の無垢な輝きが眩い。代々木3丁目にある線路沿いのアパートの、台所になぜか風呂桶が鎮座した部屋で掻き鳴らされた歌と演奏は程良く肩の力が抜けたもので、これが実に良い。「今週週末来週世紀末」「8月4日B級劇場」「死ぬ程に生きてみる」といった初期代表曲のファーストテイクを聴けるのも貴重だ。グレイトリッチーズ解散後、覚束ない足取りでソロキャリアをスタートさせた当時の音源を今のワタナベマモルはどう聴き、何を思うのか。忙しないツアーの合間の東京滞在時に本人を直撃した。(interview:椎名宗之)
カセット音源は今に至る一番最初のスタートライン
──このタイミングで秘蔵音源復刻に着手したのは、コロナ禍でなかなか新作のレコーディングが進まないことも理由としてありましたか。
マモル:そうだね。最初は知り合いのレーベルから「CDを出しませんか?」って話が来て何かないかなと考えて、昔出した4本のカセットテープを2枚組CDにするのは面白いかなと思って。でも2枚組で出すのはちょっと大変だってことで、それなら自分で出しちゃおうと。カセット音源を2枚組CDで出すアイディアが浮かんだときから自分のレーベル(MAGIC TONE RECORDS)から出したいと思ってたんだけどね。
──今でもちゃんとCDとして聴ける状態にしておきたいほどマモルさんにとっても愛着のある音源だったと?
マモル:4本のカセット音源をどんなもんだったかなと聴き直してみたら、自分でもけっこう面白く聴けてね。なんだ俺、意外とちゃんとやってたじゃないかって(笑)。当時はそこまで思えなかったもんね。グレイトリッチーズが終わってとにかく何か発表しなきゃって思いで、カセットでガッチャンと録っただけのものだったから。
──宅録は盟友トモフスキーさんの勧めで始めたそうですね。
マモル:トモ君が先にカセット音源を出してたから。まだMTハピネスはやってなかったけど、当時はトモ君のバンドでベースを弾いたり、2人でユニットを組んで一緒にライブをやったりしていて。「マモル君も宅録やりなよ」ってトモ君が言うから「いいね、面白そうだね」なんてことで始めてみることにした。でも宅録のことなんて何も分からないから、トモ君の使ってた8トラックカセットMTR(TASCAM PORTASTUDIO 488)、ローランドのMIDI音源、MIDIキーボードっていう全く同じ機材を買って使い始めてね。そのMIDI音源が僕みたいな素人でもわりと簡単に操作できるもので、サンプリングの音も意外と良かったんだよ。ドラムやピアノ、弦の音まで入っててさ。
──2枚組CDとしてまとめられた音源を今聴くと、ソロ黎明期の代表曲が原石の輝きを放ちながら凝縮した貴重な作品集と言えますね。
マモル:今に至る一番最初のスタートラインだよね。それは僕も改めて聴いて凄く思った。
──しかも当時の住まいの生活音まで収録されているのがユニークですね。「オイラの部屋へおいでよ」や「南新宿のうた」には電車の横切る音や踏切の音が入っていて。
マモル:当時は代々木3丁目の線路沿いのアパートに住んでいて、意図的に入れた曲もあったけど、アコギとかを録ってるとどうしても音が入っちゃうんだよ。「南新宿のうた」はバンドでも録ってみたんだけどなんかイマイチで、家で悶々としてたら朝になっちゃってね。しょうがないから弾き語りでやってみるかと朝方にテレコを回して唄ったら、ちょうど通勤時間だったみたいで電車の音がたまたま入っちゃった。
──朝方に弾き語りをして近所迷惑にはならなかったんですか?
マモル:充分迷惑だったよ(笑)。ただまあ、30年近い昔だから平気だったのかな。線路沿いだったから音がうるさいのは大丈夫だったのかもしれない。たまに怒られもしたけどね。
──当時は機材を買ったから曲を書き始めたのか、曲が溜まってきたから録り始めることにしたのか、どちらだったんでしょう?
マモル:最初の『PRIVATE ONE』(1995年7月発表)を録るときはもうだいぶ曲があって、MAMORU & The DAViESを始めた頃だったかな。最後の『PRIVATE 4』(1998年8月発表)の頃になると、B面に入れた曲とかはカセットに入れるために書いた記憶がある。
──マスタリングの手腕もあると思いますが、CDとして蘇生した音がとてもいいですよね。温かみがあって手作りの良さが如実に感じられるし、カセット特有のヒュルヒュル言うヒスノイズも愛おしく感じられるし。
マモル:音がいいっていうか、ローファイの面白さはあるね。安いコンプレッサーは後で買ったけど、大した機材も揃えてなかったし。歌は普通のカラオケマイクを使ってたから。カセットは入力するとテープコンプがもともとかかるので、音が最初からいい具合に混ざるんだよ。それがデジタルには出せないアナログの良さなのかもね。当時は適当にテープを回して、BOSSのコンプ1個だけでボーカルも何も適当に録って、それで何とかなってたんだから乱暴だよね(笑)。乱暴っていうか、いい加減っていうか。モニタースピーカーもラジカセだったしさ。始めた頃は何の知識もなかったから。
ダサい日本語でもいいから自分なりの言葉で唄うことにした
──だけど凝り性のマモルさんのことですから、宅録の奥義を極めていこうとしたのも時間の問題だったのでは?
マモル:うん。今聴くと2本目の『今週週末来週世紀末』(1995年12月発表)なんてめちゃめちゃ凝ってる。自分が完全に宅録オタクになってるのが分かる。
──最初のカセット発売から2本目のカセット発売まではわずか半年足らずで、その短期間で宅録にのめり込むようになったわけですね。
マモル:いろいろ覚えるといろいろやってみたくなって、たとえばビートルズの録音方法を真似た擬似ステレオとかをやってみたりした。ドラムを分けて録ってみたり、歌をこっち側に分けてみたりといろいろ遊んでたね。当時はちょうどロフトレコードから『想像しよう』(1997年10月発表)を出す頃だったんで、そのレコーディングでも擬似ステレオを試してみたんだけどスタジオだと上手くいかなかった。だけど宅録のカセットだとなぜか上手くいくんだよね。それもカセットだと最初から音が混ざってるからかな? 『想像しよう』はデジタル録音だったからなのか、音がバラバラに聴こえちゃう。
──これらのカセット収録曲が、後にロフトレコードからリリースされる『想像しよう』、『R&R HERO』(1998年11月発表)でどのように変化したのか聴き比べてみるのも面白いですね。
マモル:『PRIVATE 4』を出したのは『R&R HERO』の出る3カ月前で、同じ時期に曲作りしてたしね。ロフトレコードから出る2枚目のアルバムを自分のプライベートカセットシリーズとリンクさせようとしたんだと思う。
──ロフトレコードのスタッフがカセット音源を聴いたことで、のちのリリースにつながったんですか。
マモル:そうだったのかもしれない。ちょっと記憶が曖昧だけど。
──曲の世界観も唄い方も含めて、グレイトリッチーズ以降のマモルさんの歌の原点がカセット音源に集約されていますよね。ロフトレコードから発表した作品よりも先に。
マモル:ちょっと今より暗いけどね。アパートのほの暗い感じが若干あるというか。30代になったばかりっていう年齢的なものもあると思うけど、今よりもひねくれてるし。今でもひねくれてるところはあるけど、自分で自分を分析するとね。
──「ひとりで何ができるかな」のように、自分自身への応援歌みたいな曲はこの時期ならではじゃないですか?
マモル:まあね。グレイトリッチーズが最後はミクスチャーみたいなバンドになってさ、唄ってた僕も頭の中がぐちゃぐちゃになって、解散して一人ぼっちになってから「自分は何をやりたいんだ? 何ができるんだ?」と考えたわけ。その答えが、自分が音楽を始めた頃のシンプルなロックンロールというか、弾き語りでも唄える曲をやろうってことだった。そう思い立った頃にできたのが「ひとりで何ができるかな」みたいな曲で、ダサい日本語でもいいから自分なりの言葉で唄おうと思ってね。言いたいことは大したことじゃなくても、自分だけの言葉で唄おうっていうのをこの時期からずっと大事にしてる。そこには未だにこだわりがあるね。
──どれだけ拙くとも借り物じゃない言葉で唄おうと。
マモル:それはグレイトリッチーズが終わった後の反省としてね。グレリチの最後の辺りは自分の言葉がおざなりになった感じがあったし、ソロを始めるにあたっては自分一人でもできる身の丈に合った音楽をやろうと思った。
──一番最初にできたソロ楽曲はどれなんでしょう?
マモル:「今週週末来週世紀末」はグレイトリッチーズの最後の頃にはもうあった。弾き語りのライブに呼ばれると唄う動機が必要で、それで新曲を作ることが多い。グレリチ時代にソロでライブに呼ばれて、何か曲を作らなきゃと思って作ったのが「今週週末来週世紀末」。その次が「ひとりで何ができるかな」だったのかな。それもライブでやるために作った。自分のテーマ曲みたいなものを弾き語りでやったら面白いと思って。それ以降、「オイラの部屋へおいでよ」や「8月4日B級劇場」みたいな曲がポンポンできるようになった。やっぱり「ひとりで何ができるかな」が大きいね。あれができてから自分の脳がポンと開いたというか、「これだな!」という手応えがあったから。トモ君のおかげもあって、やっと自分なりの方向性を見いだせるようになったっていうかさ。
──マモルさんには絵心やデザインの心得があるし、当時のカセット音源でもジャケットや歌詞カードのイラストをご自身で手がけていて、録音からデザインまですべてハンドメイドで仕上げる姿勢はずっと一貫していますよね。
マモル:そう、何も変わってないんだよね。今も録音からマスタリングまで全部家でやってるし、何一つ変わってないじゃん俺、っていうのに気づいて心の中で笑った。カセットがCDになった、パソコンがあるかないかの違いだけでさ。