アルバム制作の流れを変えた「恋のヴァレンタインビート」
──なるほど。ジョン・レノンの「Whatever Gets You Thru the Night」をカバーしたのは、アルバムの発売日が命日と近いからですか。
AKIRA:うん、それもありましたね。ジョン・レノンの曲でこれを取り上げるケースもなかなか少ないとは思いますけど。
──オリジナル曲はわりとミッドテンポで聴かせるものが多くて、ロックンロールの華やかで賑やかな面はカバー曲に担わせているのが本作の特徴と言えますね。
AKIRA:自然とそんな形になりましたね。結果的にいいバランスになったと思います。
KOZZY:僕の好きな過去のレコードもそんな感じなのが多かったし、リンダ・ロンシュタットも自分のオリジナルはバラードがわりと多かったよね。カバーするのはバディ・ホリーやロイ・オービソンといったロックンロールが多かったけど、本質はバラードやミッドの人だったんじゃないかな。ボニー・レイットもブルースやロックンロールがすごく好きなように見えたけど、シングルで出てる曲はけっこう悲しいバラードが多かったりしてさ。
──今回は基本的に作詞:AKIRA、作曲:KOZZY IWAKAWAというクレジットですが、「恋のヴァレンタインビート」だけ作詞・作曲:KOZZY IWAKAWA & AKIRAという表記ですよね(註:「The Night in the Valley」の作曲も“KOZZY IWAKAWA & AKIRA”の表記になっている)。この曲だけ曲の作り方が違うということでしょうか。
KOZZY:その表記はたまたまで、根本的な作り方はどの曲も同じだね。「恋のヴァレンタインビート」はバレンタインデーをテーマにした曲を作るぞということで、僕の曲ありきで始まったからそういう表記にしたんじゃないかな。それ以外の曲は、「恋のヴァレンタインビート」ができて手応えを感じてから「歌詞よろしくね」みたいな感じでAKIRAに任せることができたから。
──AKIRAさんが主体となってメロディが生まれるケースもあったんですか。
KOZZY:さっきも言った通り、「The Night in the Valley」はAKIRAの鼻歌から生まれた。僕がギターを爪弾いていたらAKIRAがいきなり英語で唄い出したから。
AKIRA:急にメロディが聴こえてきたんですよ。頭の中で鳴ってた音を口ずさんでみたというか。
KOZZY:しかもAKIRAの場合、Aメロ、Bメロ、サビって感覚がないんだよ。僕らはずっとその形式に縛られて曲を作ってきたけど、彼女は元から自由なんだよね。「The Night in the Valley」もサビらしいサビがないし、Aメロはどこなの? みたいなことにもまるで意を介さない。曲の作り方自体が根本的に日本人とは違うっていうか。
AKIRA:もともとすごく短い歌詞で、真夜中に車で走っているとジャンキーが窓を覗き込んできて怖い思いをして…みたいな説明をKOZZYさんにして、そのやり取りの延長で「じゃあサビはこうしようか」とか詰めていった感じですね。
KOZZY:そうやってコードや形式が変わって、サビは最終的に“Driving, Driving...”しか唄ってないんだけどね。
──それでも暗闇の疾走感や不穏な空気は充分に伝わりますよね。
AKIRA:分かりにくいようで分かりやすい歌詞っていうか、やっぱり私には日本語の表現が難しくて。なかなか思い通りの言葉が出てこなくて悩んだけど、でもそこは歌なんだから聴いてくれる人が想像してくれればいいかなと思って。その想像が私の意図することと違くてもいいし、そもそも正解なんてないし。
KOZZY:今や音楽はサブスクで聴かれるのが世界的に主流で、再生回数を稼ぐことに重きが置かれるから曲は比較的短く、フックも早めに来るわけじゃない? そんな時代にイントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、大サビ…なんてやっててもね(笑)。日本で連綿と受け継がれてきたロック的なものが若い世代には演歌みたいに映る日も近いだろうし、それでも演歌が好きな人は確実にいるから残ってはいくんだろうけど、ロックというか音楽の在り方が変わっていくのは当然だし、僕もその新しいほうへ行きたい思いはあるね。
──音楽の豊かさとは時代という地層の積み重ねをいつでも気楽に味わえることだと思うし、世代による分断で先人から受け継いできた音楽の古典が失われてしまうのは非常に惜しいことですよね。その意味でも今回のAKIRAさんのアルバムはヤングとオールドをつなぐジョイントのような役割を果たす作品のように感じます。
KOZZY:そうだね。今や若年層と高年層の聴く音楽がまるっきり分かれちゃってるし、古いロックンロールも僕らがやめたらなくなりそうだしね。