新曲のMVが海外のリスナーにも支持されて10万回再生
──そうしたイベントまでカウントすれば、126回、127回どころの話じゃないですね。
古澤:自分でもなぜ『ギリギリシティ』にカウントしなかったんだろうと思うんですけど、ローボーンのファースト・アルバム(『卑しい生まれの音響装置』)のレコ発は『ギリギリシティ』じゃなかったんですよね。ヒカシューや痛郎、RUINS aloneや脱線3のロボ宙さんとZEN-LA-ROCKさんがやってたユニット(SPACE MCEE'Z)に出てもらって、O-nestでやったんですけど。それだけの面子が揃うなら『ギリギリシティ』としてやったほうが良かったのにと今さらながら思いますね。
──ロックとお笑いの親和性の高さを象徴するように、JAM時代には椿鬼奴さん率いる金星ダイヤモンドもライブ枠で出演していますね。
古澤:ありましたね。奴さんとコンビを組んでいた(増谷)キートンさん周りの芸人さんに当時よく出てもらいました。あと、チャンス大城さんやユンボ安藤さん、野沢ダイブ禁止さん、加藤ミリガンさんらがやっている全日本プレス加工という芸人バンドにも、いまだにアニバーサリーなどのときによく出てもらっています。
──音楽とお笑いのクロスオーバーという意味では、ダイノジが主催していた『DIENOJI ROCK FESTIVAL』を連想しますね。『ギリギリシティ』の趣旨とはまた違うと思いますが。
古澤:方向性や見せ方は違うかもしれないけど、思想的には近い気もしますね。純粋に自分たちの好きな人たちを集めて楽しいことをやろうとする部分では同じじゃないかと思います。
──コロナ禍以降、この2年のあいだも『ギリギリシティ』の灯を絶やすことなく開催を継続しているのがまず凄いことですよね。
古澤:今さらやめられないし、ここまでくると引き際が分からないというか(笑)。去年から今年の前半まではほとんど無観客のオンライン配信を続けてきましたけど、それは僕らだけじゃなくハコも大変なわけだし、自分たちがどれだけ力になれるかは分からないけど少しでもコンテンツを提供できればと考えてのことだったんです。僕は後進の育成のために大学でレコーディングや映像制作を教えているんですが、大学としても今はオンライン配信のカリキュラムなどに力を入れるようになりました。そういうのも時代の流れだなと思いますね。
──古澤さん自身は無観客の配信ライブをやってみていかがでしたか。やはりやりづらかったですか?
古澤:テンション的には有観客と変わらずやれましたけど、モニターを見ながらライブをやるとライブ感が出ないのは何度かやってみて分かりました。こっちがカメラを追いながらカメラの目線で動かないとダメなんですよね。それはアーカイブを何度か繰り返し見ないと気づかないことだと思います。だからオンラインにはオンラインなりの見せ方がちゃんとあるというか。たとえば去年、配信ライブで一番稼いだのはサザンオールスターズだと思いますが、実はあのライブも事前収録だったそうですよね。配信できちんとした内容を見せようとするなら、生でそのまま見せるよりもあらかじめちゃんと編集したもののほうが今の段階ではいいのかもしれない。
──この状況下で『ギリギリシティ』を定期開催するだけではなく、ローボーンは6月に12年ぶりの新作『LAST GAME』を配信リリースするなどいつになく活発な動きを見せていますよね。開店休業を余儀なくされるバンドも多いなか、やり方次第でやれることはまだまだあると言わんばかりの行動力にも思えます。
古澤:『LAST GAME』は幸いにもiTunesのエレクトロニック・チャートで3位になったし、有り難いことにYouTubeにアップしたミュージックビデオが海外の人たちにかなりウケたんですよね。「かたはらいたし」はイタリアとフランスで最初に軽くバズって、そこから飛び火してアメリカとカナダでも視聴者が増え、今は10万回再生を越えたんです。「かたはらいたし」よりもローボーンらしい「CHANGE」というエレクトロ系の曲はインドネシアとか日本以外のアジア圏でよく見られていて、これも10万回再生を突破しました。「CHANGE」は着ぐるみのキャラクター効果もあったのかな。こうした流れは不幸中の幸いというか、これまで見いだせなかった僕らなりのアウトプットと言えますね。ただどれだけ海外でウケてもライブの集客に繋がらないのが悲しいところなんですけど(笑)。YouTubeに海外のいろんな人たちがコメントをくれたりして凄く嬉しいけど、そういうもどかしさは正直、若干ありますね。
──コロナ禍で世界的に巣ごもり生活を強いられたこともよく見られた勝因だったんでしょうか?
古澤:それはあるかもしれません。曲調としてウケるのは逆のイメージだったんですけどね。エレクトロ系の曲はイタリアとかフランスでウケるのかなと漠然と思ってたし、オルタナ系の「かたはらいたし」がエレクトロニックミュージックの本場であるヨーロッパでウケたのはちょっと意外でした。そういう自分なりの分析はありますけど、われわれはずっと低空飛行のまま続けてきて目立った実績があるわけでもないし、コロナ禍で急激な落ち込みがあるわけでもない。地道に活動を持続させてきた中でたまたま海外のリスナーにも楽しんでもらえたのは嬉しかったですけど。
──こうした世界的に閉塞した状況を曲にしようという発想はありませんでしたか。
古澤:人類が100年に一度と言われる未曾有の状況に陥っているわけだし、あり得るとしたらやはり励ます感じの曲になると思うんですよ。でもそういうのは僕らのキャラじゃないし、自分の実力不足もあり皆にウケるような歌詞の伝わりやすい曲は書ける能力が無いと言うか。日本でバラードが人気なのはそういうことだと思うし、僕らはそもそも歌よりも音がメインですしね。その音の上にどうせボーカルを乗せるなら、自分が思ったことを歌詞にしてるだけだし、聴く人に寄り添うような歌詞を書ける能力があれば、こんなに長いあいだ地下に潜ってませんよ(笑)。
文化庁の芸術活動の支援を受けて開催する『ギリギリシティ』スペシャル版
──聞くところによると、2019年の後半から再開したセカンド・アルバムの制作作業がずっと続いているそうですね。
古澤:制作を再開した途端にコロナになってしまって。緊急事態宣言の期間中はバンド内でクラスターを起こすわけにいかないし、家庭のあるメンバーもいるので2020年前半からレコーディングは見合わせていたんです。でも最近は感染者数もだいぶ減ってきたし、年内の『ギリギリシティ』2本を終えて来年早々から再開させる予定ではあります。
──レコーディングを見合わせていたということは、『LAST GAME』の収録曲はコロナ禍前にほぼ完成させていたものなんですか。
古澤:実はそうなんです。『LAST GAME』の制作自体は2019年の後半に一旦終わっていて、この状況なので新曲をレコーディングできる機会があるかどうかが見えなくて。このコロナ禍は当面収まりそうもないし、今ある音源を一度マスタリングして出すことにしたんです。それで僕らのサウンドプロデュースをしてもらっている、電気グルーヴのエンジニアとしても知られる渡部高士さんにマスタリングをしていただいて。「CHANGE」のミックスダウンは自分自身でやったんですけど、他の曲は渡部さんにミックスとデジタル用のマスタリングをしてもらいました。
──ミュージックビデオの撮影と編集は今年に入ってからの作業なんですよね?
古澤:「かたはらいたし」のほうは、撮影したのは去年の秋くらいだったと思います。
──アウトブレイクでの撮影ですね。これはやはり『ギリギリシティ』を定期開催しているがゆえに?
古澤:もちろんです。店長だった佐藤さんはいろいろ大変だったと思うけど、元気でいてくれたらいいですね。「ナゴム好きはだいたい友達」がモットーだった彼の持つチャンネル自体が凄くエキセントリックだったし、僕らとの相性も良かったし、本当にお世話になったんです。われわれがずっと『ギリギリシティ』をアウトブレイクで続けているのは、未だにアウトブレイクに対して恩返しができていないからと言う気持ちが強いからなんですよ。もうちょっとイベントなりバンドが世間に知れ渡るようになって、固定客も増えてきたら、やっと少しずつアウトブレイクに還元していけるのかなと。これまでずっと佐藤さんの厚意で続けさせてもらえたし、佐藤さんがいなければJAMの後に『ギリギリシティ』を10年もやれなかったと思います。
──今回はそのアウトブレイクで126回目の『ギリギリシティ』を、翌日に渋谷のヴィジョンで127回目の『ギリギリシティ』スペシャル版を敢行するという大胆な2DAYSですね。
古澤:渋谷のほうはレギュラーメンバーの日程が調整できるのが、たまたまその日だけだったのですが、『ARTS for the future!』というライブハウス、映画館、劇場などを支援する文化庁の補助対象事業での開催となります。支援事業的に僕らのやってることに合いそうだから応募する価値があると知り合いから薦められました。それで応募したところ、『ギリギリシティ』の16年に及ぶ歴史と、去年1年だけで5、6回やったオンラインの実績が認められて採択されたのかなと思います。今回の規模のイベントを手弁当でやるには限界があるし、こうした制度の援助を受けながら自分たちが影響を受けてきた人たちが一堂に会するようなイベントを、皆さんが来やすい価格帯で開催できればいいかなというところですね。そこを目標に年内に何とか開催できればと動いていて、結果的にこれだけ豪華な方々にご出演していただけることになって嬉しい限りです。