村上春樹の小説を映画化した『ドライブ・マイ・カー』でカンヌ国際映画祭・脚本賞を受賞し、今、世界から最も注目されている濱口⻯介監督の最新作が早くも12月に公開される。本作『偶然と想像』は、監督初の短編オムニバス映画となり、今年のベルリン国際映画祭では銀熊賞を受賞した話題作だ。
元カレをめぐる複雑な女性心理をつづる「魔法(よりもっと不確か)」、大学教授と女子学生の奇妙な心の交感「扉は開けたままで」、20年ぶりに「再会」した「同級生」同士の絆を描く「もう一度」。登場人物も状況も異なる3編の作品から構成された本作は、全部で7つの短編からなる連作の最初の3つで、全作品に共通するテーマである『偶然と想像』が映画のタイトルになっている。
ひとつの偶然が起きることで、いつもの日常が変化を起こし、新たな日常へと人を導く。人生の中の思わぬハプニングで回り出すこうした「運命の輪」を、濱口監督はどのように想像し映像化していったのか。小説家のように短編と長編の世界を往来する監督にお話を伺った。(TEXT:加藤梅造)
──監督が今作を撮るきっかけになったのは、エリック・ロメールの編集を長年やっていたマリー・ステファンさんとパリで出会ったことなんですね。
濱口:もともと短編映画を作るのは好きでしたが、それをどう世に出せばいいかというアイデアがなかなか浮かばず、作りたいけど作れないという状態でした。マリー・ステファンさんとお会いした時に、ロメール監督にとって短編映画を撮ることは、長編を撮る上で非常に大きな役割を果たしていたというお話を伺いました。確かにロメールのオムニバス映画『パリのランデブー』のようなやり方もあるのかと。小さいチームでやることは経済的でもあるし、創作のリズムを作るためにもすごくいい方法でもあるなと思い、実際、マリー・ステファンさんから「あなたも撮りなさいよ」とはっぱをかけられたこともあって、「よし、やろう」と決めました。
──現在公開中の『ドライブ・マイ・カー』は3時間の大作ですが、ほぼ同時期に長編と短編を撮っていたということに驚きました。
濱口:『ドライブ・マイ・カー』はこれまで体験したことのない規模のプロジェクトだったので、そのための準備をする必要もありました。監督としては『寝ても覚めても』(2018年公開)以来なので、自分の勘を取り戻すためにもやっておこうと。
──村上春樹さんは、長編小説を書くのとは別に「実験の場として」短編小説を書くことが大切だとおっしゃってますが、濱口監督にとっての短編映画もそういう位置付けですか?
濱口:そうですね。短編の方がチャレンジできるし失敗もできると思います。ただ、小説家が長編と短編を行き来することはわりと普通で、それこそ村上春樹さんのように短編と長編を1つのサイクルにしている作家も多いですが、映画でそれをやるのは状況的に難しいと思っていました。でも、こういうやり方だったらできるんじゃないかというのを今回提示したいなと。
──また今作は、同じテーマによる全7本の短編集として構想されていて、ロメールの連作『六つの教訓話』や『四季の物語』のような側面もありますね。
濱口:シリーズのいいところは、作品のテーマが重なることで、一話が単なる一話でなくなり、作品同士が響き合う関係になることです。あと、始めたら最後まで完成させなければいけない重圧が生まれるのもよいことです(笑)。
──第一話の冒頭、タクシーの中で芽衣子(古川琴音)とつぐみ(玄理)がずっと恋バナをするシーンもそうですし、二話の大学教授の瀬川(渋川清彦)と生徒の奈緒(森郁月)の長い対話シーンもそうですが、本作の多くは会話で成り立っていて、そこも非常にロメール的と言えますね。
濱口:僕はフランス語はわからないんですが、ロメールって文法的にも完全な台詞を書くらしいんです。書き言葉のような長い台詞を話すことでかえって役者自身が表現されることがあるような気がしていて、それはすごく学びました。自然と不自然の間というか、単に自然なものではないけど、誇張した不自然なものともちょっと違うというか。
──映画『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹さんの短編小説『ドライブ・マイ・カー』を主軸に、『女のいない男たち』の中の他の2つの作品のモチーフも入れて長編映画にしていますが、今作『偶然と想像』も、3つの短編作品のテーマを重ねることで、まるで1つの長編映画を観たような感覚になっていると思いました。
濱口:短編映画といっても、ぼくの場合は一つの物語を完結するのに40分ぐらいはどうしても必要になる。結果として、一つ一つが長編に近いようなドスンとした重みが生まれたんじゃないかなと。
──確かに、どの作品もこの後どうなるんだろうと思わせる展開で、もっと長い作品にできそうですよね。
濱口:自分も、それぞれの登場人物のその後が気になるものができたと思います。短い話だけど、そのキャラクターがどこかで生きているような感覚がある。それは役者さんたちの演技の賜物だと思います。
──第一話の主人公・芽衣子は、嘘がつけないゆえに他人を傷付けてしまうタイプとして描かれてますが、監督の撮りたかったテーマとして、シリーズテーマの「偶然」の他に、自分らしく生きようとして社会と折り合いがうまくつかなくなっている人を描きたいというのがあったのでしょうか。
濱口:そうですね。これまでも僕はそういう人を撮ってきました。物事は社会規範のみでは測れません。人が自分らしくあった時に、それが必ずしも社会の規範に合うとは限らない。その時の苦しみというのが始まりにあって、それが物語を動かしていくというのはありますね。
──第二話の中で瀬川が奈緒に言う「社会の物差しに自分を測らせることを拒んで下さい」というセリフがとても印象的だったんですが、監督自身が社会の物差しに疑問を持ってきたんだろうなと思いました。
濱口:まあ、疑問は持ちますよね。社会の物差しだけが正しいということはないでしょう。
──そうした社会の物差しに「抵抗して下さい」という言葉は、この映画の重要なメッセージでもありますよね。
濱口:そういうふうに響くだろうとは思いますが、それ自体が作品のメッセージであるわけではないです。あのセリフはあくまであの二人の中の関係性の中から出てきた言葉であって、物語が終わるために必要な言葉だったかなと。どの台詞もそれが作品の直接的なメッセージというのはないですが、それをどう解釈してもらっても構わないです。