日本の音楽の第一線にいたい
クロダ:『ライブハウス「ロフト」青春記』を読み返したんですけど、その中に出てくる音大生とのやりとりがすごくおもしろいんですよね。平野さん、その子のことを好きだったんですか?
平野:お手紙のやりとりをしただけだから、惚れた腫れたはないですよ。でもあのやりとり部分いいでしょ(笑)? ああいう書き方をしてしまったから、まわりからも、「平野さんってあの人と結婚するんだと思った」って言われたりもしちゃったけどね。僕たちはただの音楽好きだったんですよ。
クロダ:当時の平野さんは1年ごとにお店を作っていてそのたびにその音大生にお手紙を書いているんですけど、お返事のなかで、「平野さんは急いでいる感じがする」って言われてましたよね。
平野:僕はね、やっぱり天下を取りたいっていうのがあったし、日本の音楽の第一線にいたかったから。「西荻ロフト」を作ったときに、ここでは大きな音が出せないぞって焦って、ちゃんとロックができるような「荻窪ロフト」を作って、そこから新しい音楽がガンガン出たらもうそこでは人が収容しきれなくなって、そして下北沢に進出したんだけど、その頃って他のライブハウスが渋谷や銀座とかのターミナル駅にたくさん進出しだしたんですよ。僕はすごく焦ったわけ。俺たちは中央線沿いでずっとやってきたわけだから、このままだと「ロフト」は軽く負けるぜって。それで借金をして、焦って新宿に進出したんです。「新宿ロフト」を作ってやっとここだなと思いました。
クロダ:すごい勢いでお店を増やしていましたよね。音大生の方からは、「離婚されたつらさから逃れたいんじゃないか」とも指摘されていましたが……。
平野:それはありましたね、自分が悪いんだけど(笑)。男と女の関係は一回冷めちゃうともうだめだから。だから、仕事に集中するしか自分の気持ちの持って行き場がなかったんだよ。そこでがむしゃらになるしかないぞ、と。店を作るたびに借金をして、生涯でいちばんきつかった時代だね。
クロダ:それで突き進んでいくのに、最後には「自分は孤独願望症」とも書いていて。自分もそういうところがあるので、わかるなと思いました。でも平野さんって、いろんなことをやっていろんな人に会っているのに、それでも孤独に感じるナイーブなところがあるんだなと感じました。
平野:ひとりでいるとさみしいから人と会ったりするんだけど、ワイワイしたところにいると1時間で嫌になって逃げちゃうんだよ。結局、孤独でいるのがさみしいのに好きなんですよ。ひとりでポツネンとしているのがいい。ひとりで音楽を聴いて、酒を飲む。寂しいけど、ヒロイズムみたいに気持ちいいんです(笑)。
もうやめてくれと思いながらも、予定調和を超える衝撃がおもしろかった
クロダ:「新宿ロフト」ができたときはパンクが流行っていましたけど、実際の会場も異常な盛り上がりをしていて。無茶をする人ほどすごいものを作ったりするけれど、そこに向き合って付き合い続けていく大変さっていかがでしたか。
平野:俺は適当だからさ(笑)。うちの個性になっている白と黒の市松模様の床だって、黒いタイルが1つ足りなくてしょうがないから白と黒を順番に並べてればいいだろって適当にやっただけなんだよ、それがライブハウスの床は市松模様ってイメージが勝手についただけで。パンクも同じだよ。最初は単なるイギリスとかアメリカのモノマネだろって思って見ていたし。でも、それまで「ロフト」に出ていたニューミュージックの人たちがみんなメジャーに行って「ロフト」でライブをやる必要がなくなってきた時期なんですよ。そこで埋まらないスケジュールでパンクをやりだしたら……おもしろかったんだよな。しかも客が入る。もうやるしかないよ(笑)。もしかして、借金がなかったら「ロフト」でパンクはやっていなかったかもしれない。純粋に、好奇心と借金。
クロダ:「ロフト」のスピーカーがよく飛んでるっていう話しは聞いてました。スピーカーってそんなに飛ぶのかなって(笑)。
平野:あはは、よく飛んでたね(笑)。音を出しすぎてめちゃくちゃなの。1発直すのに4万とかかかるのにさ。
クロダ:自分で払っていたんですか?!
平野:そうだよ、ミュージシャンにお金なんて請求したくないし自分のポケットマネーからはらって。まぁ当時はライブハウス黎明期だったよね。パンクの連中に店が壊されていくのも腕組んで楽しく見てたよ。「おいおい机壊すなよ」って思いながら。すごいんだから、スピーカーは飛ぶし机はなんども壊れたしコップは割れるし(笑)。
クロダ:自分自身もいろいろな方と作品制作やライブをしているんですけど、みなさんいろんな意味でパワーがすごくて(笑)、大変なことが多いです。でもその反面、パワーのある人って自分のイメージを超えるような新しくて感動するものを持っている。そういうところに触れると、大変だけど頑張るか……って思ってしまうんですよね。
平野:そうだよな。あまりにもめちゃくちゃなライブの翌日なんてさ、店員がみんないない日もあったんだから!もうこんなところでは働けませんって(笑)。俺はもう頭かかえちゃって……。でもやっぱり、「なんじゃこりゃ!」っていつも驚いていたいわけ。だからもうやめてくれと思いながらも、結局はどこかでおもしろく思ってたね。
クロダ:その覚悟を持てるかどうかですよね。作品を作ることと、ライブハウスを続けることは少し似ているのかなと思いました。
平野:やっぱりね、はみ出してしまうようなやつらがライブできる場所がないとだめだよ。予定調和だけじゃつまんないから。
クロダ:西新宿はその当時のイメージが強くて、とにかく危ない場所っていう印象でした。でも、それが町全体のカルチャーになっていきましたよね。
平野:そうそう、今はもうないけど、当時は周辺にレコード屋さんが40軒くらいできたからね。
クロダ:音楽が文化になっていく道すじを「ロフト」が作ってきたんだなと思います。
平野:日本で一台もないスピーカーを輸入して、ちゃんとしたステージのある大型ライブハウスとして、「新宿ロフト」を作ったことで、「ロフト」というかライブハウスとロックバンドがやっと市民権を得たと思うんですよ。日本のロックの雰囲気を変えたっていうのは自信を持っている……なんて、また偉そうに言っちゃった。まぁ、何度も言うけど単なる好奇心だよ(笑)。
クロダ:その好奇心がライブハウスの基盤を作ったんですね。今のライブハウスに思うことはありますか?
平野:今の若い人がロックを聴かなくなってきたし、YouTubeで十分だから生のライブなんて必要ないって人も増えて、ライブが見てもらえなくなって……ネットだけで音楽が成立してしまう危機感はもっていますね。そんなばかなって思いますよ。だってさ、音楽は音圧を体感して自分の心に打ち込んでいくことで始まる世界だから。いくらいいイヤホンやいいヘッドフォンでひとりで音楽を聴いても、それがどんなにいい音だろうが僕はやっぱりライブに行きたくなるんですよ。むしろ、今はハードなロックが聴きたい。ライブは耳じゃなくて体で受けるものだから。それで、舞台とフロア、それからライブ後にバーカウンターや喫茶店に寄り道してその日のライブのことを話す。音楽には、ライブのことを振り返る時間っていうのが必要なんですよ。