赤い公園の衝撃
クロダ:次廣さんは、なぜ映像を作る仕事についたのですか?
次廣:他に行くところがなかったからかな(笑)。テレビの製作会社なら、いろんなことをやらせてくれるんじゃないかなって思ったんです。当時は大きな製作会社がたくさんあったわけじゃないから、株式会社イースト・エンタテインメント(入社当時は株式会社イースト)も、ゴールデンの番組がひとつあるかないかくらいだったんですよ。そのくらいならちょうどいいかなと思って(笑)。その頃はインディーズ音楽を聴くことはほとんどなかったけれど、何年かしてライブハウスに行くようになって猛毒とかを知って、現場に見に行ったらすごく面白かったので、すぐに番組で取り上げました。
クロダ:そのおかげで俺は猛毒を知ることができました(笑)。一時期は仕事が忙しくてライブハウスにずっと行っていなかった時期があるそうですが、また現場に行くようになったきっかけってなんだったんですか?
次廣:たぶん、「SXSW」に遊びにこないかって誘われてからかな。ちょうど、2011年に自分の情報番組があったから、そこで取り上げるっていうことならスケジュールもつけられるかなって。それで見に行ってみたら、小さいバーから大きなホールまで、もう町中に音楽が溢れているのを見て、東京のシーンはどうだったかなと思ってまた現場に顔を出すようになったんですよ。東京でも「SXSW」みたいなイベントができるとは思わなかったけれど、シーン自体はあるのだろうか、って。そうやってライブハウスをまわっているときに、新宿レッドクロスで赤い公園に出会ったんです。
クロダ:衝撃的でしたか?
次廣:すごかったですね。赤い公園も、最初はお客さんが20人とかしかいなかったんですよ。しかも、演奏をしている間にお客さんがどんどん帰って行っちゃうみたいな感じだったけれど、すごい才能ってあるんだな、と一瞬で感じました。一つの曲、ちょっとしたフレーズからも、その背景にある音楽の歴史とかを感じられるし、そこに加えて新しい試みがあるバンドだと思いました。
クロダ:そのあと、『次世代ロック研究開発室』にKing GnuやCHAIが出たりとか。
次廣:あの番組はもともとソニーミュージック作った部署で、若い人を紹介する番組を作りたいっていうことだったんですね。僕はたまたまライブハウスで部署の人を紹介をしてもらって、「そういう内容なら僕はできますよ」と思って担当になったんです。
クロダ:それで担当されたんですね。次廣さんはこの業界にはいってどのくらいですか?
次廣:35年くらいです。
クロダ:……その長い間で、もうやめたいって思ったことはありますか?
次廣:ないですね(笑)。昔は過酷でしたけどね。でも、この仕事をやめても他にやることがないし(笑)。あとは、新しい機械に触れたり、新しい才能や、子どもの頃から尊敬する方々に会えますから。仕事を続けていたほうが自分が好きなことができるんですよ。映像に関しても、テレビの世界がいちばんお金をかけて撮ることができるから。僕はアーティストじゃないし、番組は作品ではなくて商品だと思っています。もちろん、こういうものにはしたくないっていう選択肢はあるけれども、スポンサーやテレビ局からお金をいただいて作る限りテレビの番組って商品だと思うので。工場のように、予算内で納期を守って番組を作るのが僕の仕事。
クロダ:最近も、「無事に納期が間に合った」ってTwitterに書かれていましたもんね。
次廣:アーティスト気質を否定するわけではないですが、僕自身は違うタイプだと思います。MVを撮るときも、アーティスト本人の、「こういうものにしたい!」という想いがありきだから、それならば僕は望まれる映像にどうやって近づけていこうかなっていう気持ちが強いかな。作り手としてではなくて、ただ単にお客さんとして見る側のときは、子どもと同じころのようなわくわくする感じがありますけどね。
クロダ:そのワクワク感はちゃんとキープしているんですね!
音楽をやめてしまうことこそが不幸
クロダ:音楽を聴き続けてきて、幸せだなって感じることはなんですか?
次廣:ブライアン・ウィルソンが『スマイル』を完成させたことですね! 2004年にロンドンでお披露目ライブがあったんだけど、世界中の音楽ファンが、「『スマイル』っていうアルバムがどういうものなのか」とずっと考えていた答えがついに見られた、っていうのが中学生のころから聴いていた音楽が一区切りついた感じかな。かと思えば、2011年くらいには赤い公園を見て、こんなにもポピュラーに訴えられるのにイノベーションもある音楽を作る天才っていたんだな! って思いました。そういった音楽に出会うことが、僕にとって幸せなことですね。でも、日本の若い人たちって、テレビに出ることだったり、フジロックのような音楽フェスに出ることをゴールだと思っているじゃないですか。そんな不幸な状況って、日本だけな気がする。
クロダ:たしかに……。それはなぜでしょう?
次廣:音楽の楽しみ方が狭いんじゃないかな。だってさ、イギリスとかアメリカとかでは、「レコードを出してそれなりに売れてはいるけれど普段は普通に働いている人」っていっぱいいるんですよ。週末はバーで演奏をしている会社員だったり、それを30年くらいずっと続けている人がたくさんいるんですね。そういう人が、自分の音楽がヒットチャートに入らないからって音楽をやめてしまうことこそが不幸だし、その音楽を求めている人にずっと届け続けることが幸せなことだから。日本は、売れるという定義がものすごく狭いような気がする。
クロダ:生活のためには、売れないと音楽を続けられない状況も多いと思うんです。
次廣:そうだね。渡邉ケンさんがはじめた「TOKYO BOOT UP!」というイベントには、若いミュージシャンが働きながらでもどうやって音楽を続けられるかを考える人たちが集まっていました。生活をしながらもバンドを続けられる方法をもっと大人たちも考えたほうがいいんじゃないかって、よく話していましたね。
クロダ:お金がなくて音楽をやめることを見るのはつらいですね。俺自身も、次の世代に知識や自分の経験を渡していく立場になってきた気がしているんです。若い世代が活躍する場をつくることも重要な仕事だから。
次廣:もし、本当に音楽で食べていこうと思うなら著作権のことも知らなくちゃいけないのに、みんな調べる様子もないし。だから、事務所や出版社と不利な条件で契約させられたり……。
クロダ:そうですね。でも、自分も20代のころは知識を得るための時間すら音楽に使いたいって思っていたから(笑)、できるだけまわりの大人がそれを教えていけたらいいですよね。
次廣:それはすごくわかる。ちょっと前まではバンドが物販のことを考えることですら、「ロックらしくない」って言う人がいたし。でも、それはおかしいよね。
クロダ:お金の問題で音楽が続けられない状況は悲しいことですからね。そのなかで、次廣さんのように音楽を広げていってくれる人の存在はありがたいです。
次廣:そういう願いはすごくありますね。映像を撮ったり番組を作っている間は、少しでも彼らの音楽が多くの人の耳に入ったらいいな、と。それはほんの少しかもしれないけれど、でもみんなが音楽を続けられたらいいなって思います。視聴率しか考えない番組もあるから、全部の番組が志を強く持っているわけじゃないですけどね(笑)。
クロダ:あと最近は、トークの上手さを注目されがちなことも気になっていました。
次廣:そうそう! テレビは顕著にそうだよね。だから、曲が良くてもトークが上手にできない人は番組に出づらいんじゃないのってすごく感じる。
クロダ:トークが下手でもいい音楽があるのに。
次廣:トークは良くも悪くも印象づくからね。『笑っていいとも!』に大槻ケンヂさんが初めて出たときは、ああこの人はすぐに人気者になるなってすぐ思った。筋少の音楽が流れたわけじゃないのに、大槻さんのキャラクターで全国区になっていきましたよね。