Genius P.J'sのトラックメーカー・クロダセイイチが、業界の第一線で活躍をしてきた先輩たちと対談をする連続企画。クロダが影響を受けた作品やコロナ禍での表現方法についてそれぞれの視点をうかがい、各シーンの若い世代に自分たちができることはなにかを考えていく。第一回目は映像記録者の次廣靖が登場。(photo:村上大輔/構成:成宮アイコ)
田舎で受けた"殺害塩化ビニール、猛毒"の洗礼
クロダ:Genius P.J'sのクロダセイイチです。長年、第一戦で活躍をしている業界の方々からお話しをお聞きしたいなと思って、この対談企画を計画しました。第一回はテレビの番組や映像を作っている次廣靖さんにお越しいただきました。次廣さんは、今まで対談をされたことはありますか?
次廣:話しを聞かれることはありますが、対談っていう形は初めてですね。
クロダ:ライブハウスで次廣さんを見かけたことがある人はすごく多いと思いますが、「実際なにをしている人なんだろう?」って気になっているんじゃないかなと思います(笑)。
次廣:それは、よく言われますね(笑)。『次世代ロック研究所』(ジロッケン)をやったときには、みんなから、「初めて仕事をしているところを見た」って言われました。
クロダ:もともと自分のバンド・Genius P.J'sはshibuya CYCLONEとかでライブをしていたので、下北沢で活動している方たちと対バンをすることはなかったのですが、ズボンズのドンマツオさんと一緒にライブをするようになってから下北沢でもライブに出るようになったんです。そこで、よく見かけるなぁってずっと気になっている人がいて……(笑)。
次廣:それが、僕(笑)? たしかに、普通のお客さんにしては風貌が怪しいからね。
クロダ:目立ちますからね。それで、ずっと気になっていたんですけどTwitterのタイムラインで見たことのあるアイコンの人がいて、「これ、あの人だ!」ってすぐに気づいたんです。プロフィールに飛んだら、次廣靖さんという方で、フジテレビの深夜帯で『輝け! ロック爆笑族』という番組を作っていた人だって判明したんですよ。
次廣:あの番組って、半年に1回ずつの放送で全3回しか放送してないんだけどね。
クロダ:実は、自分が音楽をやるきっかけのひとつが『輝け! ロック爆笑族』だったんですよ!俺は茨城県出身なんですけど、田舎にいると情報を得るチャンスがすごく少ないから、毎朝テレビ欄を見て、音楽関係のものは全て録画していたんです。学生時代はネットは今ほど普及をしていなかったので、情報源はテレビかラジオか雑誌だけだったんですよ。だから、耳で聴いて目で見られるテレビって、自分の情報源としてすごく大切なものだったんです。それで『輝け! ロック爆笑族』を見て、それはもう衝撃を受けました。
次廣:初回放送はたしかお正月だったから、2回目の放送を見てくれたのかな。
クロダ:そうだと思います、司会はきんたミーノさんでした。
次廣:じゃあ2回目だね。1回目と3回目の司会はデーモン小暮さんで、2回目がきんたミーノさんでした。モダチョキの矢倉邦晃さんと濱田マリちゃんにも出てもらったな。
クロダ:見た瞬間に、「変な番組が始まったな!」って思ってたんです(笑)。お笑いとロックがまざったような……とにかく衝撃でした!
次廣:面白いバンドを出してみようっていう番組だったので、いろんな人に出てもらったよね。モダチョキの矢倉さんにはバンド選びも協力してもらっていて、関西のバンドをよく紹介してもらいました。
クロダ:そうだったんですね。そのなかで、いちばんえげつないなって思ったのが殺害塩化ビニールレーベルの猛毒でした。だって、いま考えても、民放で猛毒を出演させるってすごいですよね(笑)。田舎にいるとあんなに刺激的な音楽に出会えることがなかったので、とにかくショックで、感銘を受けて。すぐCDを買いに行ったんですけど、地元のCD屋さんには「ウチには入荷しません!」って言われて、今みたいにネットですぐ取り寄せられる時代じゃなかったし、「今すぐ猛毒のCDが欲しい!どうしたらいいんだ?!」って思って、池袋のタワーレコードに行けば買えるっていう噂を聴いて、地元から2時間半かけて買いに行ったのを覚えています。
次廣:へえ、タワレコで売ってたんだ! 殺害塩化ビニールは早くから通販をやってはいたんですけど、ちょうどオウム事件の頃で、「殺害」と書かれた封筒が届くって郵便局にクレームが入って怒られたらしいですよ(笑)。猛毒は、たしかラママで最初に見たんだよね。
クロダ:ええっ、ラママでライブをされていたんですね!
次廣:すぐ出禁になったらしいですけどね(笑)。火とか水とか使っちゃうから。当時、音楽とお笑いの人が一緒にラママでライブをしていた時代ですね。
忌野清志郎さんに影響を与えた映像作品とは…?!
クロダ:そんな経緯で、大好きな番組を作った人だったんだと知って、ずっと話してみたいって思っていたんですよ。最初に話しかけたのは、新宿ロフトの笹口聖誕3億周年記念企画『笹祭』でした。次廣さんを見かけて、トイレに行くタイミングを見計らってついていって話しかけたんですよ。
次廣:そういえば、ロフトだったね!
クロダ:『ロック爆笑族』をやっていたころ、深夜番組の『トゥナイト2』でいろんなカルチャーを紹介するコーナーがあったんですけど、そこでロリータ18号が紹介されたんです。
次廣:僕がちょうどビデオを撮っていたころですね。じゃあ絶対ロリータ18号の現場でも会っていましたね。
クロダ:そうなんです! めっちゃかっこいいし面白いバンドだなって思ってライブハウスに見に行って。ロリータ18号の『アメリカ珍道中』っていうドキュメンタリービデオ作品を買ったら、なんとそれも次廣さんが制作していて。
次廣:そうそう。ロリータ18号が「SXSW(サウスバイサウスウエスト)」に出るのに合わせてアメリカツアーをやって、そのドキュメンタリーを撮影したの。僕は5日間くらい一緒に行ったのかな。
クロダ:しかも『アメリカ珍道中』は、かの忌野清志郎さんに影響を与えた作品っていう。
次廣:清志郎さんが日本ツアーやりたいって思ったのは、あのビデオを見たかららしいよね。下北沢CLUB Queにロリータ18号が出たとき、最後に清志郎さんと藤井裕さんが出てきて「サルーン」を歌ったりもしてくれたんだよ。ロリータ18号のライブはキョンキョンが出てきて「学園天国」を歌ったりもしていましたね。
クロダ:猛毒の殺害塩化ビニールと、BENTENレーベル(女性アーティストを専門とするインディーズレコードレーベル、ロリータ18号はここからデビュー)が一緒にラママでやっていたイベントを見たときなんて、今まで田舎でためこんだフラストレーションが爆発しました!
次廣:ちょうどロリータ18号が伸び盛りだったから、お客さんもたくさん入っていましたしね。
クロダ:こんな風に好きな音楽を共有できる場所があるのか……って感動しました。そういえば、『タモリの音楽は世界だ』もすごく見ていたんですよ。あれも次廣さんが担当されていた番組ですよね。
次廣:見てくれていたんだ!
クロダ:世界的な人からアンダーグラウンドな人まで、毎回いろんな人が出ていてすごかったですよね。
次廣:デヴィッド・ボウイ、10cc、ギルバート・オサリバンとかも出ていましたからね。
クロダ:やばいですね(笑)。俺はパット・メセニーを初めて知ったのが『タモリの音楽は世界だ』でした。ジャングルというジャンルを知ったのもこの番組なんですよ。バラエティ番組だけど、音楽の知識をたくさん教えてくれる番組でした。モダチョキも出ていましたよね。
次廣:モダチョキはすごく長い時間を使って紹介しましたね。キューンからデビューした直後かな。彼らのライブを見に行ったらすごく良くて、自分からすぐ番組にプレゼンをしたんですよ。あのころは、有名じゃないバンドでも、「面白かったらとにかく10分でも流せばいい」っていう幸せな時代でした。
クロダ:そのときにはもちろん誰が作ったのか知らなかったんですけど、「俺が影響を受けた番組たちを作ったのは次廣さんだったんだ……」ってあとから知ったんです。
次廣:テレビはチームだから、僕はその場にいたっていうだけだけどね。僕が作ったというよりは、そういう番組を作るチームに関わっていたって感じかな。