“ジャケ食い”はいかにリラックスできるかが大事
──そうした10代から続くレコード愛の蓄積が「厳選!ジャケ写10+1枚」のジャケ写タイトル命名にも活かされていると思うんです。特に《キリン食堂》(神奈川県・相模原市)のジャケ写に「Killing me softly with your song」とロバータ・フラックの有名曲を命名しているのは声を出して笑いました(笑)。
久住:ヒドいですよね(笑)。今度ロフトでもやらせてほしいんですけど、このあいだ店のジャケ写に合うレコードのジャケ写を対比して見せるオンラインイベントをスチャダラパーのBoseと一緒にやったんですよ。ああいうのはトークライブでやると面白いと思うんです。カバーイラストが『クリムゾン・キングの宮殿』みたいってよく言われるけど全然違うでしょ? って実際のジャケ写を見せたりして。
──ジャケ食いの勝負における秘訣、極意みたいなものはあるんでしょうか。
久住:リラックスすることですね。勝負するぞ! と力むと大切なものを見落とすので。
──とはいえ《ひまわり》を訪れたときのように、次の電車の予定などで見える範囲内で食事を済まさなければならないときはなかなかリラックスできませんよね。
久住:そういう時間が限られた場合でもいかにリラックスできるかなんですよ。極意やコツ、こだわりを持つと、視野が一気に狭くなって面白いものを見落としてしまう。リラックスしてるとヘンなものが見えるんです。この本には載せなかったけど、勝浦で見つけた勝浦タンタンメンの店があるんです。勝浦には勝浦タンタンメンの店が30軒くらいあって、向こうの人がボクに食べてもらいたい店を紹介してくれそうになったんだけど、そこはぜひ自分で探させてほしいとお願いしたんです。そのなかで見つけたのが表に勝浦タンタンメンとは書いてない店で、一応キャンペーンののぼりがあるから勝浦タンタンメンはあるんだろうと。ジャケットとしては一見地味なんだけど、入口の引き戸の横におかもちが綺麗に並べてあったんですよ。つまり出前が多いんだなと。そこまではいいんだけど、おかもちを並べてある入口の横にある窓の桟に木の台があって、そこにヘルメットが置いてあったんです。出前のバイクのヘルメット置きなんですよ。それをわざわざ窓の桟のところに作ってる人がこの店の主人なわけだから、そんな人が作る勝浦タンタンメンは美味しいに違いないと思ったんですよね。実際、とても美味しかったです。そういうヘルメット台を見つけられるのは、良い店を見分けるコツやら何やらでは絶対に出てこない視点なんですよ。店全体を見渡したときにその一点に目が行くかどうかだし、それはやっぱりこっちがリラックスしていないと気づかないものなんですよね。のれんの糸がほつれてるとか看板がどうのとか、そういう言葉になるようなことじゃないんです。“出前のバイクのヘルメット置き”と言葉で言われてもピンとこないかもしれないけど、実際の写真を見せたら面白いはずですよ。ボクはこれまでいっぱいジャケ食いをしてきたら、ヘンなことや面白いことに気がつきやすいのかもしれないけど。
──久住さんにはそういうユニークな着眼点があるし、居心地良い空間に対する深い愛情もありますよね。クスッと笑える描写はあるけど、揚げ足を取るようなことは絶対にしませんし。
久住:キタナい店やコワい店に狙って入るような雑誌の企画や番組があるけど、ボクはああいうのが好きじゃないんですよ。わざわざ「この店はキタナいですね」なんて言いに行ったら、店の人だってイヤに決まってるじゃないですか。昔、『タモリ倶楽部』の「東京トワイライトゾーン」という街じゅうの面白い店を見つける企画をやったときもスタッフの人たちは店に迷惑をかけないことをすごく気にしていたんです。テレビに出た途端にみんな行きたくなりますから。そこで紹介する側がゲラゲラ笑っていたら、店に行く人もやっぱりゲラゲラ笑いに行くんですよね。それは店もすごくイヤな気持ちになるだろうから、そういうことは絶対にやめようという思いが今もずっとあるんです。『孤独のグルメ』もそこが一番心配した部分だったんだけど、みなさんとても大人しく食事をしているそうなんですよ。ある店の主人に聞いたら「あれはみなさん(井之頭)五郎さんになってるんですね」と話していてホッとしました。やたらと写真を撮ることもないし、行列もちゃんとマナーを守って並んでいるということなので。ただちょっと困るのは、五郎さんと全く同じメニュー、同じ順番で注文が入ることなんだそうです。一品食べ終えたあとに「すいません」と五郎さんと同じように注文するから、それなら最初からまとめて注文してよというのが店にはあるみたいですね(笑)。あと、店の人が女性客に「絶対に食べられる量じゃないからよしたほうがいいですよ」と言ったら、「いいんです。五郎さんがどれくらいお腹いっぱいになったのかを知りたいので」と言われたこともあったそうです(笑)。
──『面食い』を読むと、井之頭五郎とはとどのつまり久住さん自身のことであることがよく分かりますね。
久住:まあ、ボク自身が原作者ですからね。五郎さんはボクの憧れなんですよ。五郎さんみたいにあれだけたくさん食べられたらいいなっていう。『スーパーマン』の原作者(ジェリー・シーゲル)が「世の中の悪を正すヒーローがいれば…」とスーパーマンを生み出したように、小食の人間が大食漢に憧れる図ですよね。大食漢だけど酒は飲めないという弱点を作れるのは原作者の特権だけど(笑)。
──“ジャケ食い”道の段位がもしあるとするならば、久住さんの技能段階は今どの程度だと思いますか。
久住:初段がいいところしょうね。まだまだ白帯ですよ。居心地のいい店を常に見極められる免許皆伝なんてものには誰も到達できないんじゃないかな。でもだからこそ“ジャケ食い”は奥深くて面白いんだと思いますけどね。
【著者プロフィール】
久住昌之(くすみまさゆき)
1958年、東京都三鷹市出身。1981年、泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として『ガロ』でデビュー。以後、数々の漫画執筆・原作、デザイナー、ミュージシャンとしての活動を続ける。主な作品に『かっこいいスキヤキ』(泉昌之名義、扶桑社文庫)、『孤独のグルメ』(作画・谷口ジロー、扶桑社刊)、『花のズボラ飯』(作画・水沢悦子、秋田書店刊)、『食の軍師』(泉昌之名義、日本文芸社刊)ほか、著書多数。