あがた森魚の『乙女の儚夢』が今の自分を形作った
──そもそも“ジャケ食い”を始めたのはいつ頃からなんですか。
久住:40年くらい前、ある店の外観を見て「おお、これはもう“ジャケ飲み”でしょ」みたいな話をバンド仲間としてたんですよね。その店があまりにいい面構えをしていたから。音楽をやってる同士だから説明しなくてもそういうシャレが分かるんですよ。入りづらそうな店を見て「これはもう勝負するしかないよね」とか(笑)。
──勝負に挑みたくなる、惹きつけられる“ジャケ”ゆえに。
久住:勝負に挑むときは「これはいいかもしれない」という読みがある程度あるんですよ。あからさまにヘンな店とかに入りたいわけじゃないから。こんな外観ではあるけど実はいいんじゃないか…という期待がある。《春がきた》(山口県・新山口)は勝負でしょう(笑)。妙に甘ったるい店名だし、一人で入ってハズしたら手痛いことになるし、あれは勝負感があったなあ。のれんの脇から覗くと女将さんがいて、小綺麗な店内なんだけど、「お客さん、どちらから?」から始まって女将さんと延々会話をし続けることになったらキツい。でも入ってみたら料理はどれも美味しくて、接客も程よい距離感で居心地が良かった。いいお店でしたよ。
──久住さんと店主のやり取りで面白かったのは「前は来たけど最近はキない店」(群馬県・大間々)で。ビールと焼きそばを注文して「はい」と返事があったものの、店主は「お客さんが来ない」とブツブツ言うばかりで焼きそばの注文を聞いていなかったという(笑)。
久住:あの店主はずーっとボヤキ節なんだけど、こっちは見ないんですよ。でも明らかにボクに対して話してる。「コンビニができて客が減ったけど、コンビニはコンビニで大変だって言うよね」とかね(笑)。
──どの店も店内のメニューや値段、内装などが詳細に綴られていますが、久住さんのことだからスマホのカメラで撮影するような無粋なことはしなさそうですよね。
久住:基本的にはしませんね。頑張って覚えてますよ。でも面白いものはけっこう覚えてるものなんです。他にお客さんがいなければ写真を撮ることもありますけどね。これは絶対に覚えられないとか、あまりに面白すぎるものとかは。
──「どこがどう盤石なのか謎の店」(大阪府・高槻市)の、目が慣れて判読できるまで5分くらいかかる文字のメニューは撮影が必須だったでしょうね。
久住:外観はあとで和泉さんにイラストを描いてもらうから撮影しておくけど、店内は撮れたら撮る感じですね。あからさまに撮ってるようには撮らないです。
──写真がなくとも久住さんの観察力と洞察力に優れた文章が店内の情景を如実に喚起させてくれますしね。
久住:その店の良いところ、面白いところは忘れられないものなんです。それだけ鮮烈な記憶を人に与えるということなんでしょうけど、そうなるにはある程度じっくりと腰を落ち着けないと身体に入ってきませんね。
──ちなみに、本書に掲載された店には掲載の連絡を取ったんですか。
久住:単行本化するときに連絡しました。断られた店が1軒、なくなった店が3軒、完全に連絡がつかない店が1軒だったかな。電話で話したら断られたけど、店に行って話したらOKをもらえた店もありましたね。
──「厳選!ジャケ写10+1枚」で店のジャケ写と古今東西の名盤のジャケ写を対比して見せる試みもとてもユニークですね。“ジャケ食い”の原点である《闇太郎》のジャケ写と、「今のボクの道を決めた」というあがた森魚さんの『乙女の儚夢』のジャケ写が並んでいたりして。
久住:音楽と美術を融合させた『乙女の儚夢』が今の自分を形作った原点なんです。中1のときそのLPを買ったら、歌詞カードがまだできてないので、できたらこれを送ってくださいと書かれたハガキが入ってたんですよ。いま思えばあがたさんらしい話で、凝りすぎて発売に間に合わなかったんですね。忘れた頃に届いたのが8ページくらいのオールカラーの小冊子で、収録曲の歌詞や解説、『大道芸人』という林静一さんの漫画、演奏を務めたはちみつぱいの紹介記事、アルバムの生まれた経緯や背景についてあがたさんが書いた文章とかが載っていて、ものすごく凝った作りだったんです。あれは衝撃でしたね。音源だけではなく、ジャケットや同梱物を含めてトータルで表現した作品だったから。その後、20歳くらいになって久しぶりに『乙女の儚夢』のジャケットを眺めていたら、題字が赤瀬川原平さんなのを知ってね。イラストは林静一さん、デザインは羽良多平吉さんで、バックははちみつぱいをやっていた鈴木慶一さん、ゲストミュージシャンは遠藤賢司さん。みんなボクが20代で知り合いになった人たちなんですよ。音楽と漫画とデザインは完全に一つになるものなんだ、それらを並列した表現が可能なんだということを『乙女の儚夢』は教えてくれたし、その後ボクが漫画を描く一方で音楽をやったりするのは『乙女の儚夢』からの影響がすごく大きいですね。『乙女の儚夢』と出会わなかったら漫画と音楽を並行してやる考え方はできなかったと思います。
──中1の頃からアートワークにも意識的だったということは、ジャケ買いやその後の“ジャケ食い”の片鱗がすでにあったということですよね。
久住:そうかもしれない。当時はお小遣いを何カ月も貯めないとLPなんて買えなかったし、LPを買うとステレオの前に座ってジャケットに穴があくほど見ながらA面、B面を通して聴きましたよね。そうやって育ってきたから、30cm四方のLPの大きさが今も愛しくてたまらない。プログレはそんなに好きじゃなかったけど、イエスのジャケットはどれも格好良くて好きでした。それを通じてロジャー・ディーンというイラストレーターの存在を知ったり、影響を受けましたね。かと思えば、ブルースのジャケットにはヒドいのがあったなあ。『Drop Down Mama』というシカゴブルースのオムニバスなんて、表のジャケットに写ってるオッサンは参加アーティストでも誰でもないですからね(笑)。