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INTERVIEW

トップインタビュー島キクジロウ(the JUMPS / 島キクジロウ & NO NUKES RIGHTS)×ISHIYA(DEATH SIDE / FORWARD)×遠藤妙子「"REAL VOICE REBEL ON" コロナ禍の時代に響かせなければいけない音楽、叫ばなければいけない言葉とは何か」(前編)

コロナ禍の時代に響かせなければいけない音楽、叫ばなければいけない言葉とは何か
【前編】“社会に逃げるな、自分と闘え”から“自分に逃げるな、社会と闘え”へと変化した時代に

2020.10.07

パンクもロックもレベルミュージックなのは当たり前

島:ISHIYA君は、バンドは最初からハードコア?

ISHIYA:最初からです。ハードコアしかやったことない。

遠藤:きっかけって?

ISHIYA:暴れたかったから(笑)。音楽的なこととかは別に考えてなかった。

遠藤:暴れたいっていう衝動とハードコアがリンクしたんだ。

ISHIYA:そう。衝動的で感情的で反抗的なところ。

遠藤:じゃ、パンクはレベルミュージックとか、そういうことを意識しだしたのは?

ISHIYA:実は一番最初から意識していた可能性はある。要は、学校なんか行きたくねえ、家にも社会にも馴染めねえって音楽に救いを求めて、この世界だけは気持ちが通じるって、それで音楽を聴き始めたんだから。

遠藤:なるほど! 最初からレベルミュージック。

島:意識することじゃないんだよね。だってロックやってたらレベルミュージックなのは当たり前じゃない? だから俺、レベルミュージックって言われるとちょっと違和感があるんだよね。ロックなら当たり前だから。それはパンクでもハードコアでも。でさ、ハードコアって言葉が定着したのって何年くらいなのかな?

ISHIYA:言葉の定着は1980年とかでしょ、たぶん。SEX PISTOLSが終わってDISCHARGEが出てきてからだから。

遠藤:あたしは1963年生まれだから島さんと同世代なんだけど、ハードコアは後追いだったんだよね。最初に乗り損ねたというか。

島:中3くらいでSEX PISTOLSやTHE CLASHが出てきた感じだからね。

ISHIYA:『JUST A BEAT SHOW』が始まったのが1982年なら、日本のハードコアがバンバン出てきた頃ですよ。

島:だからね、屋根裏に移って『JUST A BEAT SHOW』の趣旨をハッキリさせようって思ったとき、ハードコアやヘヴィメタルってある程度明確なシーンができてたけど、ビートロックっていうと、モッズならモッズの小さなシーンはあったけど、一般的なビートロックっていうのはシーンとしては存在してなかったのね。そういうものを作っていきたいなと。

ISHIYA:なるほどね。

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遠藤:ジャンルに括られないバンドがいっぱいいましたもんね。ただその辺りのバンドはメジャーシーンに近かった。

島:俺が思ってたのは、小さい分野じゃなくて、たとえば松田聖子がびっくりするようなバンドがライブハウスから出てきてもいいんじゃん、出てくるべきじゃんって。

ISHIYA:じゃ、オーバーグラウンドを意識して?

島:してた。こっちからアプローチする必要はないんだけど、ライブハウスでやってるバンドが、オーバーグラウンドで当たり前に評価されることを実現すべきなんじゃないかって。もっと外に知らしめるべきって。

ISHIYA:ハードコアと全然違いますね。まるっきり違う。だから交流はなかったけど。でも俺、『JUST A BEAT SHOW』は観に行ってた。ハードコアも出てましたもんね。

島:うん、特に後半ね。100回目か150回目かの頃からパンクバンドとの交流が多くなって。俺、名古屋だからさ、THE STAR CLUBは…。

ISHIYA:やっぱそこは避けて通れないんだ(笑)。

島:そう、THE STAR CLUBとthe原爆オナニーズはね、俺にとってこの業界の唯一の先輩(笑)。原爆はハードコアとして別格な存在で、地方も含め何度も出てもらった。THE STAR CLUBとかCOBRAとかもね。最後のほうにはJUDGMENT、ROCKY & THE SWEDEN、DESSERTとか。

ISHIYA:ほうほう。

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遠藤:『JUST A BEAT SHOW』はジャンルを超えてましたもんね。

島:前から興味はあったんだよね、ハードコアは。音楽的にも。

ISHIYA:ハードコアはだんだん音楽的になっていったんですよ。たぶんLIP CREAMからちょっと変わっていった。音楽というものを大事にしているハードコアが出てきた。俺の勝手な持論だけど。それまでは暴力性が先行してたのが変わったのは、俺の中ではLIP CREAMがデカかった。

島:『JUST A BEAT SHOW』ではないけど、かなり昔にGAUZEとやったことがあって。もう、感動したよね。なんてカッコイイんだ! って。

ISHIYA:GAUZEはもう、昔からずっとやってるハードコアとして本当にすごい。今もすごいライブをやってる。

遠藤:DEATH SIDEもだんだん変化していくわけで。

ISHIYA:ギターのCHELSEAが音楽的な人だったんで。担当が違うというか、彼は音楽を担当して、俺は別のとこを担当して(笑)。

島:別のとこね(笑)。

ISHIYA:俺は社会からの逸脱担当(笑)。CHELSEAが作る音楽も逸脱してたけどね。完全に逸脱してた。

島:ISHIYA君、最近、大阪のハードコアシーンの本を出したじゃない? 面白いよね。

ISHIYA:関西ハードコア』(ロフトブックス刊)。取材しててもメチャメチャ面白かった。

遠藤:当事者だからこそのね。

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ISHIYA:普段楽屋とかで話すことだったりするんだよ、内容が。俺らにとっては普通の話。それが改めて本になって読んでくれた人から、「あんな本が!」って言われる。「あんなことが!」って(笑)。

遠藤:ISHIYAさんたちには日常の普通のことが、一般的には普通じゃなかった(笑)。

ISHIYA:だからギャップを感じるというか。ハードコアの記事は、頑張って書いてるわけじゃなく、その時の日常を書いてるだけだから。

遠藤:楽屋話って大事だよね。あたしはライターとして、楽屋話は内輪ノリでNGだってずっと思ってたけど、ISHIYAさんの記事を読んで現場の話って必要だなあって。楽屋話って、残さなきゃ残らないからね。

島:そうだよね。

遠藤:あたしがライターをやってる理由も、なかったことにしたくないからで。残さなきゃいけないことを残したいからで。

ISHIYA:俺はずっと、どっちかっていうとインタビューを受ける側だけど、バンドの気持ちも当然分かるから。一緒にやってる人間でもあるから信用してもらえるし。「オマエだったらインタビュー受けるよ」って。こっちもすごくいい記事に仕上げなきゃって思うしね。

遠藤:当事者ならではだよね。あたしにはできないこと。悔しい(笑)。

島:価値があるよね、そういうことを残すのは。

ISHIYA:ホントそう思う。やり甲斐がある。だって素晴らしい世界だから。ハードコアは本当に素晴らしい世界。

遠藤:あ、このへんで曲をかけなきゃ。島さんの原点のthe JUMPS。島さんから曲紹介を。

島:アメリカがアフガニスタンに攻撃したときに作った、虐殺の権利は自分たちにあると思ってるのかもしれないけど、大間違いだぞ! って曲。「Right of Genocide」を。

 

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──the JUMPS「Right of Genocide」(『Jump the best & the highest!』に収録)

 

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