富山県の小さなテレビ局が地方政治の不正に挑み、報道によって人の狡猾さと滑稽さを丸裸にした4年間を描いたドキュメンタリー映画『はりぼて』が8月16日(日)よりユーロスペースほか全国で順次ロードショーが決定。
2016年に富山市議14人をドミノ辞職に追い込んだ「政務活動費を巡る調査報道」により日本記者クラブ賞特別賞、ギャラクシー賞報道活動部門大賞、菊池寛賞を総ざらいした富山ローカル局の若いテレビ局員が、その後3年間の取材を追加し、今の日本の政治の縮図ともいえる報道ドキュメンタリー映画を作りあげた。
議員だけではなく、自らの会社の内部事情までをさらけ出した衝撃の映像には、ナレーションやわかりやすいテロップに頼り、白か黒かの二元論に落とし込みたがるテレビ業界への抵抗、そして、観る人の想像力や観る力を喚起するのがドキュメンタリーのあるべき姿だと信じる強い想いがあった。今回は監督の二人、五百旗頭幸男氏と砂沢智史氏にお話しを伺った。(取材:加藤梅造/成宮アイコ)
議員を許してしまったのは市民でありメディア
──映画『はりぼて』はもともとテレビ番組とのことですが、映画にしようと思ったきっかけを教えてください。
五百旗頭:事件当時、チューリップテレビも含めて富山の各テレビ局がドキュメンタリーを作ったんですが、2017年4月以降の3年間に関してきちんと番組としてまとめて放送をする局がなかったんです。それなのに、富山市議会の本質はなにも変わっていない。変わったことがあるとすれば、あれだけ連続して議員が辞めていたのが一切辞めなくなったということだけ。そこを一度まとめなければならないな、と思ったのがまずひとつです。そして、テレビ番組のときは『はりぼて〜腐敗議会と記者たちの攻防〜』というサブタイトルがついていたのですが、映画化にあたりそのサブタイトルをはずしました。4年前「はりぼて」の対象は議会と当局だったのですが、あの議員たちを認めて許してしまったのは市民たちだし、不正が行なわれるまでのチェックが甘かったのはわたしたちメディアなので、市民も含めた4年間の実相も合わせて描かなければと思って映画化に至りました。
──「市民が許してしまった」と言われましたが、2017年の選挙で五本議員が市民の前で土下座をする姿を見て、「こんなことをされたら許すしかない」と言っている市民の姿が映っていました。そういった雰囲気はもともとあったのでしょうか。
五百旗頭:あれは支援者の方だったから、なおさらああいう言い方になったかもしれないです。僕らも取材していて感じたのですが、五本さんは人柄としては憎めないところがあるんですよ。だから支援をして近くにいる人はより強く、「土下座までしてくれたんだから許そう」と思ってしまったのかもしれないです。それが富山のいいところでもあり悪いところなんですね。そういう面も含めて描きたかったんです。議員っていうのは市民の代表ですから、市民にもちゃんと考えてもらわないと。
砂沢:五本さんの場合は、議員を辞めてなくて今も現職でいらっしゃるんですけど、あの人は不正を認めてはいないんです。疑惑をもたれた金額を市に返却してはいますけど、それを不正とか着服とは言っていないんです。だからあの土下座は、支援してくれる人に対して嫌な思いをさせたという意味であって、市民に対する謝罪ではないんですよ。
──最初の、中川勇さんが辞めるシーンもすごいですよね。急に支援者の前で泣き崩れて、周りに抱えられてやっと歩いてくる。谷口さんも泣いて謝っていました。この映画はエンターテイメントとしても面白いんですけど、ああいう偉そうにしていた人が罪を暴露されたら泣いて謝るっていう豹変ぶりがすごく喜劇的だなと思いました。実際に現場で撮っていていかがでしたか?
五百旗頭:現場でそのシーンを撮っているときは、そこまでは思わないんですよ。砂沢がメインで取材をしていて、わたしは政務活動費が火を吹いたときには別の番組があったので、いちばん盛り上がっているときに取材には携われなかったんですけど、日々ニュース番組には出演していたので、各メディアの取り上げ方を見ていました。そのうち、メディアは不正を暴くこと自体が目的化してしまっていって、市民のためにというよりも自分たちのメンツのために報道をしている気がしました。ただ、実際、番組にするときに映像素材を見ていたら、これはコメディだな、と(笑)。悪いところだけじゃなくて記者とのやり取りの中での人間っぽさを見せていこうというのがひとつのテーマとなり、映画ではさらにそこを増やしました。
──では、あのコミカルな効果音も映画化にあたって追加されたのですか?
五百旗頭:そうなんです。意図を伝えて、音楽チームに作ってもらいました。いわゆる報道ドキュメンタリーは、伝える側の成果を誇示するようなものが多いと思うんですけど、そうじゃなくて僕らの恥ずかしい部分も見せようと思ったんです。だから、砂沢が政治家に言いくるめられたり、僕が終盤に退職を告げたり、会社として本来は出したくない自分たちの弱い部分も描いたうえで、悪いことをした議員たちの人間くささも描きたかった。単純な悪者に描くべきではないなと思ったんです。
砂沢:実際に取材で接していると、自分にもそういう部分はあるなって思えるところが多いんですね。五百旗頭が映像を編集をしたときに、そういう部分をちゃんと表現してくれました。
普通のニュース番組ではない映画的なカット
──おふたりは取材と編集という役割分担をされていたんですか?
砂沢:いえいえ、僕が富山市の市政担当だったので取材がメインだったんです。構成は基本的に五百旗頭に任せて、僕は取材現場で実際はこうだったよ、ああだったよっていう補足をして。
五百旗頭:それでまた映像をつないだものを砂沢に見てもらって、変更していくっていう方法でしたね。
──おふたりがすごくいいコンビだなと思いました。バディ映画みたいな。
五百旗頭:(笑)同期なんですよ、僕ら。
砂沢:出たとこ勝負の取材ばっかりです。
──ところどころにはさまれるカットもすごく面白かった。記者会見の場面でも、会見を見る側からだけでなく、壇上で喋る本人側から撮っているカットがあったりして。すごく映画的だなと。
五百旗頭:カメラマンがその場の判断で引きのカットを撮ってくれたんです。引いて撮ると、周りにいる記者の表情だったり、取り巻きの表情だったり、現場の本質が見えるんです。そういうものはできるだけ活かしたいと思いました。
──意図的にカラスの映像が差し込まれているのも印象的です。
五百旗頭:もとの番組にも入れていたんですけど、映画ではそれをより強調させました。あえてナレーションで説教くさく言うことはしたくなくて、擬人化させたんです。五本さんのシーンで近くの公園で看板を立てている姿、実はあれ全然違う取材で撮った映像なんですよ。カラスが集まって大変だからカラスを追いだすために看板を立てる、っていう取材なんです。これは面白いなと思ってなにかに使いたくて(笑)。最終の仕上げの段階で撮影をしていた西田に編集マンとしても入ってもらったんですけど、彼の提案なんですよ。
──まさに、カラスはちゃんと見ているといなくなるんだよっていう今回のテーマですよね。「市民が見ていないと、悪いことするんだぞ」っていう。
五百旗頭:そうですそうです。