これはまだまだ孤独じゃない
──「Y0817 -Introduction-」と題されたSEは、昔からヤプーズのライブで使われていたものですよね。
戸川:そうです。2種類くらいあるんですよ。タイトルに〈令和元年〉の付いていない、『ヤプーズの不審な行動』というライブ盤に今回とは違う出囃子が入っています。
──「ヴィールス」が終わった後の「こんばんは。私たちはヤプーズです」という戸川さんのMCに対する歓声が凄まじいですよね。みんなヤプーズの復活を心待ちにしていたんだなというのが窺えるようで。
戸川:ヤプーズとしては2006年以来、13年ぶりのライブだったみたいで。新宿ロフトで、新井田耕造さんをドラムに迎えたのが最後だったのかな。やっぱりヤプーズは自分にとってホームグラウンドだし、8月のクアトロはそれまであまりに間が空いて久しぶりだったので、「私たちはヤプーズです」は言いたかった言葉だったんです。
──僕らも聞きたかった言葉でした(笑)。どのライブ・テイクも素晴らしいのですが、なかでも「ヒト科」は絶品だなと思いまして。こうしたテイクを聴いてしまうと、『霊長類ヤプーズ品目ヒト科』と題されたアルバムは今後も陽の目を見ないものなのか…とどうしても考えてしまうのですが(笑)。
戸川:そうですねぇ…「ヒト科」も「12才の旗」も今回のアルバムに入れちゃいましたから(笑)。
──あの幻のアルバムは実際どの程度まで出来ていたんですか。
戸川:新曲をみんなで持ち寄ったり、すでに出来ていた曲でレコーディングしていないもののアレンジを考えたりしていたんですけどね。ボツ曲も多くて。ドラムとボーカル以外はデータで送り合ったりして。00年代のヤプーズはドラムレスの打ち込みでしたが。
──それが今回のライブ・テイクでは矢壁アツノブさんの生ドラムがビジバシと響いて文句なく格好いいし、オリジナルとはまた異なる魅力を引き出していますね。
戸川:今振り返ると、ドラムレスまで行くのは私個人には向いてなかったなと。爆音でテクノだから、イヤモニをしていてもボーカルのきっかけ以外、音の塊で聴こえるものですから。他の人が何をやっているのか分からないのでとりあえずデカい声で唄うしかなかったし、凄く体力を消耗するだけで、どれだけ唄っても唄っている感じがしなかった。ちなみに、私はヤプーズを始める前から体力作りのために走っていたんです。本当は今も走って痩せたいけど、腰を痛めた後遺症で運動自体ができないし、別に食べたくもないんだけど食べないとライブでフラフラしてしまうので努めて食べるようにしているんですが、それはちゃんと唄えるようにするためなんです。どれだけ体を鍛えたって私はアスリートじゃなく歌手なんだし、ちゃんと歌を聴いてもらうことが大事なわけだから、しっかり唄うためにどうすべきかを今は一番に考えていますね。
──スタジオ・レコーディングされたのは、先ほども話に出たアンニュイな曲調の「孤独の男」と、声優の宮村優子さんに提供した「12才の旗」のセルフカバーという対照的な2曲で、いずれも出色の出来ですね。
戸川:「孤独の男」は(ライオン・)メリィさんの曲で、締切ギリギリで何とか間に合わせて作りました。
──自作の歌詞に〈孤独〉という言葉をなるべく使わないのが戸川さんのモットーだったと思うのですが、歌詞だけではなくタイトルにまで〈孤独〉を使うのは異例中の異例なのでは?
戸川:それは、歌詞の中で「こんなものを孤独などとは呼んだりしない」、「これはまだまだ孤独じゃない」と唄っているから。〈孤独〉という言葉を使いたいと思ったことはこれまで何度もありますが、そのたびに私は「これはまだ孤独じゃない」と思うようにしてきました。あと、メリィさんから「違うタイトルも他にも知りたいです」というリクエストをいただいたので、「主観と客観の相違」というタイトルを考えたんですよ。その後、それをサブタイトルにすることも考えたけど、そこまでスペクタクルな曲ではないし、なんか違うなと思って。世の中にはもっと孤独な人がいると考えたら自分の置かれた状況を孤独だなんて言えない、だけど傍から見たら同じように見られるのかもしれない。その意味で「主観と客観の相違」なわけです。
──「孤独の女」ではなく、あくまでも「孤独の男」なんですね。
戸川:「孤独の女」だとダイレクトに自分のことと受け取られかねないし、私はそんなこと思っていないので。「これはまだ孤独じゃない」と思うようにすることは自分の中で凄く大事なことだけど、これまで歌詞にはしてこなかったんです。これでやっと陽の目を見たと言うか。
「12才の旗」は〈初潮おめでたい〉がテーマ
── 一方、「12才の旗」のテーマは初潮で、また随分と賑々しい曲ですが(笑)。
戸川:宮村優子ちゃんの『大四喜』というアルバムに入っているオリジナルは、もっとお祭りっぽい感じだったんです。『大四喜』自体が〈おめでたい〉をテーマにいろんな人が楽曲提供したアルバムで、私が歌詞を提供した「12才の旗」は〈初潮おめでたい〉ってことで(笑)。当時、私はなかなか歌詞が書けなくて、それでも締切が来ちゃったものだからガーッと書いて、「こんな歌詞しかできませんでした! ちゃんとしたのを今度書くから、もうちょっとお待ちください!」と急いでFAXを送ったんです。初潮をテーマにした曲なんてまず採用されないと思ったし、それでもう一つ書くことにしたんですよ。〈おめでたい〉がテーマだから、「おめでた」というタイトルそのままの歌詞を書くことにして(笑)。それもまたヒドい歌詞でね、今考えると。
──どんな感じの歌詞だったんですか。
戸川:最初は「『アレが来ない』って言ったら/どんな顔をするかしら」「男の人にとっては/恐ろしい言葉と聞いたから」、サビは「でも『でかした』って言った/『俺は父親になるんだな』って言った」、最後に「怖かったのは私のほうよ/おめでたい おめでた」という歌詞でした(笑)。それを送ってみたところ、宮村優子ちゃんとディレクターの女性の方から「どうか『12才の旗』にしてください!」と連絡をいただいたんです。えー、あんなのボツでしょ? 冗談でしょ!? と思ったんですが、先方は「あの世界観が素晴らしいし、中原さんの書いたおめでたい曲に不思議とハマるんですよ」なんて言う。それで送られてきた譜割を見たら、1カ所だけ歌詞が変わってましたね。「ハレ・ケ・ケガレじゃ ケガレの血だが」のところが「ケガレの血ではあるが」になっていて。あとは一切変わらずにハマっていたんです。「だが」が「ではあるが」になっても私としては何の問題もないけど、あんな勢いだけで書いた歌詞で本当にいいんですか!? と思って(笑)。一応、都庁へ行って歌詞の許可を得てきましたって言うんですよ。なんで都庁なんだろう? と思ったら、当時の都知事が石原慎太郎だったんです。おそらく右っぽい人たちから怒られることを懸念したんでしょうね。もしこの曲をボツにするとフェミニズムに抵触するということで、OKが出たということでした。
──宮村優子さんのオリジナルは、戸川さんの唄い方にそっくりですよね。
戸川:元々、声質が似てたんじゃないかな。それに、私がガイド・ボーカルもやりましたから。スタジオへ行くとまだアレンジを録音しているところで、大太鼓、お琴、三味線の音を入れることになって、お琴は本物の奏者の方が弾きました。
──そもそも宮村さんとはどんな関わりがあったんですか。
戸川:昔から私のファンだと言ってくださって、曲をお願いしたいとオファーを受けたんですよ。「12才の旗」の前に、最初に「女性的な、あまりに女性的な」という曲の歌詞を最初に提供したんです。特に括りもなく、自由に書いてくださいと言われて。曲が先だったんです。その曲は戸田(誠司)ちゃんに頼んだんですが、オケを聴いたら「メロどこ?」みたいな感じで。「『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』的な語りものです。よろしく!」というメッセージが添えられていました(笑)。
──「12才の旗」のヤプーズ・バージョンを聴くと、最初の「今夜は赤飯だー!」から最後の「バンザーイ!」まで本家本元はやはり腰の据わりが違うのを実感しますが(笑)、ちょっと沖縄民謡っぽさもありますね。
戸川:そうですね、チャンカチャンカしたところが。それはオリジナルを一人で編曲した中ちゃんとも話していました。「沖縄っぽいね」って。だから今回は本物のお祭りっぽい感じじゃない、あくまでバンド・アレンジなんです。
──宮村優子さんの他に、意外なところでは荻野目洋子さんにも歌詞を提供されたことがありましたが、そういった曲をご自身で唄ってみようと考えたことはありますか。
戸川:荻野目ちゃんに提供したのは「ヒューマノイド進化論」と「感傷的(メランコリック)サイバー・ベイ」ですね。最初はシングル曲でと言われたんですよ。歌謡曲の歌詞では特に普遍的なものを目指さず、タイムリーな言葉をあえて入れることを意識して書いたんですが、結局、2曲ともシングルにはならずにお蔵入りになってしまったんです。随分と後になってから『TRUST Me』というアルバムの再発盤に収録されましたけど、その時点ではもう歌詞がタイムリーじゃないわけですよ。そんなふうに歌詞が部分的に色褪せた曲は自分で唄おうとは思わないですね。