新宿ロフト歌舞伎町移転20周年記念として、Hermann H. & The Pacemakers、HERE、CRAZY WEST MOUNTAINの3組が出演するイベントが"ロックの日"に開催される。本企画は、3バンドのオフィシャルカメラマンである高畠正人が企画する『UNDERGROUND』で5年ぶりの開催となる。ヘルマンは歌舞伎町移転当初から、HEREは前身バンドのインビシブルマンズデスベッドから、そしてクレ山は10代から出演していたというロフトには縁の深いバンドだけに、当日はかなりのお祭り状態になりそうだ。今回はヘルマン・岡本が住む茅ヶ崎に、HERE・尾形とクレ山・鶴岡が集結。バーベキューをするという目的のもと(笑)、イベントの決起会を行った。[interview&photo:高畠正人]
茅ヶ崎に集合、サーフィンのススメ
──ついに噂の岡本邸へ来ましたね! 噂には聞いてましたが、まさにサーフィンをするにはもってこいの場所ですね。
岡本:みんなサーフィンやるの?
尾形:僕はハワイで一回だけやったことあります。奇跡的にすぐに乗れたんですよ。あの押される感じは独特ですね。
鶴岡:押される感じがあるんですか?
尾形:そう。パドリングをしてボードに乗った瞬間に押してもらうとスピードが出るの。めっちゃ気持ちいいよ。岡本さんはやっぱり小さい頃からやってたんですか?
岡本:子どもの頃は乗ってたんだけど、バンドをやるようになってやらなくなって、ちゃんとやりはじめたのはヘルマンを休止してから。25歳くらいかなあ。あのときは、毎日海に行って波に乗ってた。やることなかったし。
尾形:今もやってるんですか?
岡本:病気をしたのと、怪我ができないのもあって、今は乗れてない。
鶴岡:僕は父がハワイ生まれ、ハワイ育ちで……。
岡本:マジで?
鶴岡:なんなら実家がハワイなので、サーフィンする機会は腐るほどあったんですけど、一度もやったことないです。
岡本:マジで? サーフィンやらないからバンドが山になっちゃったんだ?(笑)
鶴岡:海に逃げたら負けかなって……。
尾形:サーフィンやりたくなったら、岡本さんのところに来ればいいんですね。ところでサーフィンやるとき、なんで水中メガネしないんですか? 波が来て、目にかかるから水中メガネしたいんですけど……。
岡本:しないよ! スタイルとしてカッコ悪いでしょ。
尾形:そ、そういうことなんですね。誰ひとりとしてやってないから……カッコ悪いんですか……。
歌舞伎町移転20年、対バン相手も刺激的
──そもそも3組に集まってもらったのは、ロフトが歌舞伎町に移転して20年ということで、“ロックの日”に対バンイベントをやってもらうからです。ヘルマンがロフトに最初に出たのは99年とか00年だと思うので、ほぼ歌舞伎町に移転してからずっと出ているという。周年イベントにもけっこう出ています。
岡本:ヘルマンの結成が98年なんで、ロフトにはけっこうすぐに出ていた気がする。
──最初にロフトに出たときのことは覚えていますか?
岡本:やっぱ日本のロックンロールの歴史を作ってきた場所ってイメージがあったから怖かった。アナーキーとかARBとか、ミチロウさんは……亡くなってしまったけど、そういうイメージはありました。
尾形:僕らはHEREの前身バンドのインビシブルマンズデスベッドで2002年の4月に出たのが最初だったと思います。
──ロフトの移転3周年企画ですね。たぶんその2日前にヘルマンも出ています。
岡本:そうなんだ。
尾形:僕らはそこから、ブッキングを東田さん(現・リキッドルーム店長)にお世話になるようになって、それこそパワープッシュみたいなので、月2回くらいのペースで出るようになりました。
鶴岡:けっこう出ていたんですね。
尾形:ただ、対バンに毎回、困るって言われていて、それこそフジファブリックとかメレンゲとか樋口さん(今回のロフトブッキング担当)が手がけていたバンドともやったし、54-71とかもロフトで知り合いました。
岡本:54-71はオレたちの大学の先輩だね(笑)。
尾形:SAとかOi-SKALL MATESなどのパンクもあったし、ビジュアル系とも対バンしていました。個人的にはMOST、原爆オナニーズ、向井秀徳+PANIC SMILE+菊地成孔の対バンが激アツでしたね。
岡本:濃いねえ!
尾形:僕らは北海道から上京してきたんで、ロフトのライブはいつもテンション高かったです。メインステージやったあと、バーステージでやったりしましたからね。
──インビシブルの名盤『歌舞伎町パラサイト』は、ロフトのワンマン公演を収録したものですからね。
尾形:2005年ですね。
新世代のクレ山は10代からロフトに出演
鶴岡:先輩ふたりの熱いロフト愛のあとでなんですけど、僕らは急転直下のゆとり世代なんで、あんまり怖いイメージとかないんですよね。
岡本:ハワイだし(笑)。
鶴岡:僕はロックの歴史なんて知らなかったし、音楽を聴かない時期もあったので、ロフトへの憧れもなかったんですよ。なので、はじめて出たときのことも覚えていないです。樋口さん企画で10代だったと思うんですけどね。
──10代からロフトに出てたって、すごいことだと思います。
鶴岡:ただ、当時の樋口さんは僕らのことをまったく良いと思わず、「あなたたち、なにがしたいかまったくわからない」って言いながら、出してくれていたらしいですけどね(笑)。
岡本:最初がヒドいっていうなら、オレらだって一緒ですよ。めちゃくちゃだったから(笑)。
鶴岡:たぶん、ヒドさが違ったと思います。僕らお客さんがいてもいなくても、好き勝手やってましたから。高校を卒業したかしないくらいで(笑)。
尾形:めちゃくちゃならインビシブルもそうだし……。
鶴岡:それが去年くらいにようやく樋口さんが僕らのことをわかってきたって(笑)。
ー長い! 8年くらいかかってる(笑)。クレ山にとってもロフトは特別だったんですね。ヘルマンが休止して、インビシブルも解散したあと、2012年くらいからクレ山がロフトに出るようになります。まさにここ数年、クレ山はロフトには欠かせないバンドです。
鶴岡:『Rockey』ってアルバムをだしたときはバーステージでワンマンをやるくらい毎月のようにやっていましたからね。
尾形:そういえば、今回のイベントでバーステージは使わないんですか?
──ヘルマンのライブは、子供連れの方もいるので、バースペースにゴザをひいて休める空間は作りたいと思っています。
尾形:そうなんですね。せっかくだから、オレ、なんかやりましょうか?
岡本:3人でセッションする?
鶴岡:いいですね!
──それはスペシャルですね!
岡本:じゃあ、今、決めちゃおう!この曲はどう?(といって、ある楽曲の譜面をふたりに見せる)。
尾形:最高じゃないですか!
鶴岡:オレ、当日までに覚えてきます(笑)。