俳優の大森南朋率いるロック・バンド、月に吠える。が来たる5月31日に結成5周年を迎えることを記念し、新宿LOFTにて『歌舞伎町インシデント』と題したワンマン・ライブを敢行する。メンバー全員がすでに40代、各自バンドで挫折経験もある。でもだからなのだろう、一度は諦めかけたバンド活動を貪欲に楽しんでやろうという気概、頭でっかちにならずに身の丈に合ったことをやろうというミドルエイジならではの余裕が彼らにはあり、ただ純粋にバンドをやれることの喜びをステージで爆発させる姿はとても清々しい。いい歳の大人が無邪気にロックンロールをやる、ロックの初期衝動を携えたまま歳を重ねてピュアでプリミティブな音を鳴らす。それはつまり大人のロマンティシズムと十代の蒼さが同居したオールドでヤングなロックンロールである。俳優が片手間にやる余興では決してないことを実感できる彼らの本気と武骨で艶のある音楽をぜひ新宿LOFTで体感していただきたい。(interview:椎名宗之)
「バンドでもやろうか」と言い続けて10年
──大森さんはそもそもバンドマン志望だったそうですね。
大森南朋(vo, gt):そうなんです。俳優をやりながらジャングルビーンズというバンドを29歳までやっていたんですが、当時はバンド・ブームも終わり、僕らは技術も才能もなくて上手くいかなくて、最後はケンカしてやめたんですけど(笑)。その頃は吉祥寺界隈で暮らしていたので、曼荼羅とかでライブをやっていました。
──どんな感じの音楽をやっていたんですか。
大森:だいたい今と同じです。ボーカルが別にいて僕はギターで、たまに唄ったりする感じで。
──月に吠える。の結成を持ちかけたのは塚本さんなんですよね。
大森:史朗は酒場で知り合った昔からの友達なんですけど、一緒に呑むと「バンドでもやろうか」って口癖のように話してたんです。でもいつもその場限りの話で終わって、お互い仕事も忙しかったのでなかなか実現しなかったんです。次に会うのがその1年後みたいな(笑)。10年くらいそんなやり取りをしてたよね?
塚本史朗(gt):そうですね。南朋さんと久々に酒場でばったり会って、「バンドをやろうか」ってまた同じ話をして(笑)。
大森:当時の史朗は音楽業界に絶望していて、「音楽じゃ食べていけないから九州に帰ろうかな」とか言うので、まぁまぁ落ち着けよとなだめまして。そこでまた「バンドでもやろうよ」と話をして(笑)。
──大森さんと塚本さんはどんな経緯で知り合ったんですか。
大森:ギター一本抱えて九州から出てきた若者がいるから、一緒に酒でも呑んでやってくれとある人に紹介されまして。史朗は僕の5歳くらい下なんです。当時、その差は大きかったですね。僕が26、7で、史朗は21くらいで。
──ディスクガレージの大森さんと塚本さんの文通連載『聴き捨てならない歌がある』を読むと、塚本さんは歳のわりにモット・ザ・フープルやスティーヴィー・ワンダーといった渋いロックやソウルがお好きですよね。
大森:趣味がジジイなんですよ。ほっとくとすぐブルースに走るし(笑)。
──山崎さんと長野さんは、出身が塚本さんと同じ福岡なんですよね。大森さん以外のお三方が揃って博多っ子という。
大森:ナゾなんです、この流れが。典二はバンドをやるにあたってベーシストとして入ってもらったんですけど。
長野典二(ba):地元の中学で僕が1年の時に塚本さんは3年で。定期的に会ったり呑んだりはしていたんですけど、一緒に音を出すことになるとは思いませんでした。
大森:史朗と典二は中学時代、すごい不良だったんです。史朗に至っては番長でしたし(笑)。それなのに野球をやるために東福岡高校に入るというナゾの経歴で(笑)。
──山崎さんも大森さんのように俳優をやりつつバンドを続けていたんですか。
山崎潤(ds):僕はもともとドラムが先だったんです。フェイスっていうバンドをやっていて、レコード会社との契約が決まって九州から出てきたんですよ。
大森:スティック2本とプレステ1だけ持ってね(笑)。
山崎:そうそう(笑)。だけどそのバンドがデビュー前に解散しちゃって、どうしたもんかなと悩んでいた時に役者の話をいただいて、それから役者の道を進むことになったんです。
塚本:そのバンドでレコーディングはしたの?
山崎:したけど出せなかった。史朗はもともと僕の弟の友達だったんです。彼が東京に出てくるというので、じゃあ遊ぼうぜってことで僕の働いていたバーに呑みに来たりして。そのバーに大森さんもよく呑みに来ていたんですよ。
──大森さんと山崎さんは同じ俳優事務所に所属しているんですよね。
大森:今は一緒ですけど当時は違いまして、最初に会ったのは映画の現場でした。山崎の働いてたバーにもよく行ってました。
──4人とも不思議な巡り合わせですけど、必然的な出会いにも思えますね。
大森:まぁ、似たような場所で呑んでいればだいたい知り合いになりますから(笑)。
──そんな経緯があって、月に吠える。が結成されたのが2014年の5月31日。
大森:史朗とばったり会って呑んだ次の日くらいに史朗から連絡が来たんです。「バンドをやる話、覚えてます?」と言われて、「うん、うっすら…」と返事をして(笑)。それでスタジオに入ることになったんです。
──初ライブが2015年1月14日の月見ル君想フなので、準備期間を半年以上設けたことになりますね。
塚本:そうですね。曲を作ったり練習したりしていたので。結成日の5月31日というのは、僕と南朋さんがバンド結成の正式な話をした日なんです。世田谷の下馬で(笑)。南朋さんのLINEを遡って調べてもらいました(笑)。
──バンド名は萩原朔太郎の詩集から引用したんですか。
大森:そういうわけでもなく、単なる思い付きだったんです。そう言えば萩原朔太郎の詩集にそういうタイトルがあったなと後から気づいたくらいでして。仲良くさせてもらっている斉藤和義さんの「月光」という曲がすごく好きで、そのイメージもあったんだと思います。