歌手と俳優という二足の草鞋を履き続ける表現者・石橋 凌が、梅津和時(sax)、林正樹(p)、バカボン鈴木(b)、江藤良人(ds)という国内最高峰のミュージシャンを従え、『粋る』という洒落っ気のあるタイトルを冠した極上のジャズ・アルバムを完成させた。
ここでの彼は、水を得た魚のように生き生きと、もとい"粋粋"と、時に力強く、時に優しく、感情の起伏と呼応しながら七色の歌声を自由自在に操る。
今から40年前、灰色に褪せた街を出てゆきたいと唄っていた久留米出身の名も無き若者が、これほど円熟した魅力と熟練の歌唱力を兼ね備えた唄い手になると誰が想像しただろうか。粋の何たるかを知り尽くした伊達男の歌声は実にソウルフルで、ボーカリストとしてのピークはまだこれからと言わんばかりだ。
本作は石橋 凌のデビュー40周年という節目を祝う記念碑的作品として位置づけられるが、それよりも彼が提唱する"ネオ・レトロ・ミュージック"の新たな一頁がめくられたこと、歌を通じた魂の交歓や新たなソウルメイトと出会う旅を彼が今なお果敢に続けていることに大きな意義があるように思う。輝かしい過去の名声には目もくれず、自身が理想とする音楽を絶えず追い求めているからこそ、こうしてジャズという未開のジャンルにも臆することなく挑戦できるのだろう。
かつてマイルス・デイヴィスは、ジャズについてこう言及したことがある。「立派なジャズを演奏するには、実際の生活や経験を通じて初めて身につく、人生に対する理解とか感情といったものが必要なんだ」
だとすれば、石橋 凌ほどジャズを唄うのに相応しい人間は他にいないだろう。彼の中で"生きること"と"唄うこと"は同義語なのだから。(interview:椎名宗之)
ジャズは新たなチャレンジとして相応しい
──これまでも『表現者』収録の「乾いた花」や『Neo Retro Music』収録の「Rock'n Rose」、『may Burn!』収録の「神風ダイアリー」といった楽曲から凌さんの指向する音楽とジャズの親和性の高さが窺えましたが、ここまで本格的にジャズと対峙したのは今回が初めてですね。
凌:もともと小学生の頃からいろんな音楽を分け隔てなく聴いて育ったので、ジャズを特別視することはなかったんですよ。というのも、僕は男ばかりの5人兄弟の末っ子なんですね。4人の兄貴は音楽の好みが見事に違って、一番上の兄貴はブラザース・フォアやピーター・ポール&マリーといったフォークソングが好きで唄っていて、2番目の兄貴はベンチャーズのコピー・バンドでドラムを叩いていて、3番目の兄貴だけ楽器や歌を一切やらなかったんだけど、黒人音楽が好きでね。ブルースやR&B、ソウル、ジャズを熱心に聴いていたんです。僕のすぐ上の兄貴はバンドを組んで、ストーンズやビートルズ、CCRとかを唄っていて。そんな環境だったから、今回のアルバムでも唄っているサッチモ(ルイ・アームストロング)の曲も小学生の頃から自然と聴いていたんです。自分は高校に入ってからアマチュア・バンドを組んで、当時はちょっと柔らかいフォークロックをやっていたんですけどね。
──こうしたジャズのスタイルもまた“ネオ・レトロ・ミュージック”の一環ということでしょうか。
凌:そうですね。ジャズ・シンガーに転向したわけではないですし、なれるわけもありませんし。ソロになって約10年が経って、自分の音楽のスタイルを“ネオ・レトロ・ミュージック”というネーミングで提唱したんですけど、それはつまり、古くて懐かしい匂いがするけど今の時代に見合う新しさを加えた音楽のことなんです。僕はそんな音楽を確立していきたいんですね。そのスタイルでミニ・アルバムを入れて3枚の作品を発表してきたんですが、その間に梅津和時さんから新宿のピットインでライブをやらないかと誘いを受けたんです。
──2012年5月に開催された、梅津さん主催の『プチ大仕事』ですね。
凌:はい。そのきっかけは、『表現者』の時に「魂こがして」を梅津さんのサックスと板橋文夫さんのピアノでレコーディングしたことだったんです。最初の『プチ大仕事』の時も梅津さんと板橋さんと3人でライブをやったんですが、翌年も『プチ大仕事』に出ることになって、今度はベースを入れたいねという話になったんです。それで古野光昭さんというベーシストを僕が提案させてもらったんですよ。ここ何年ずっとジャズ・バーに通っていて、国内外のジャズメンの演奏をけっこう聴くようになったんですが、そのなかでも際立ってすごい音を出していたのが古野さんだったんです。僕が観たジャズ・バーでは「素晴らしかったです」と古野さんにお声をかけただけだったんだけど、梅津さんと板橋さんの前で古野さんのお名前を出したら、古野さんはもともとクラシックをやっていて、その後ジャズに転向して、一時期は板橋さんと古野さんで渡辺貞夫さんのバックをやっていたそうなんです。
──2013年の『プチ大仕事』の後、札幌のジャズフェス(『SAPPORO SITY JAZZ〜Ezo Groove 2013〜』)にも出演されましたよね。
凌:梅津さん、板橋さん、古野さんと4人でね。その後にオファーのあった博多のジャズフェス(『中州ジャズ』)には、ギターの藤井一彦君とピアノの伊東ミキオ君という今のバンドのメンバーと出たんですけど。
──ライブで計3回、畑の違うミュージシャンとセッションしてみて、率直なところどう感じましたか。
凌:ジャズは小さい頃から慣れ親しんだ音楽ではあったけど、やはりすごく難しかったですね。でも難しいからこそチャレンジのしがいがあったし、ジャズの人たちから見れば新参者かもしれないけど、自分としてはぜひトライしたいジャンルではありました。唄い手としてとても勉強になるし、60歳を過ぎてからまた新たにチャレンジしていくのに相応しいジャンルだなと。
アナログレコードの良さをもう一度体験したかった
──梅津さん、板橋さん、古野さんとのグループは“石橋凌 JAZZY SOUL”というネーミングでしたが、今回の作品は“石橋凌 with JAZZY SOUL”という名義で、梅津さん以外はメンバーが違うんですよね。
凌:今回のレコーディング・メンバーとは去年、名古屋のブルーノートと丸の内のコットンクラブでライブを一緒にやったんです。ドラムの江藤良人さんは僕が通っていたジャズ・バーで何度もお見かけしていて、お若いのにすごいドラムを叩く人だなという印象がありました。ウッドベースのバカボン鈴木さんはかつて村上“ポンタ”秀一さんと一緒にバンドをやられていて、僕もテレビの音楽番組で共演したことがあったんです。そして梅津さんから「今の若手のジャズ・ピアニストでナンバーワンだよ」と紹介されたのが林正樹さんだったんです。
──名古屋と丸の内のライブに大きな手応えを感じたからこそ、これはぜひ作品として残しておきたかったと?
凌:はい。今回のアナログレコードを出す話を最初に持ってきてくれたのは、PERSONZの渡邉貢だったんですよ。貢が僕の事務所に電話をくれて、実はこういう話があるんですけど、どうですか? ということで。自分としてはJAZZY SOULの面々と充実したライブをやれていたし、このメンバーとならいいアルバムが作れるんじゃないかと思ったんですね。それとやはり、アナログレコードの音の良さをもう一度自分でも体験したかった。音楽配信が主流になりつつある今の時代だからこそ、お客さんに良い音で届けたかったんです。自分がソロを始めて以降、ライブでもレコーディングでもミキサーさんには「とにかく“深くて豊かな音”をお願いします」と言い続けてきたんですよ。なぜなら配信サービスの音質は中音域だけが強調されて、低音域も高音域もないじゃないですか。それを本当に音楽と呼べるのかな? という思いが絶えずあったんです。だから合言葉のように「“深くて豊かな音”にしたい」と何度も言ってきたんですよ。
──“深くて豊かな音”を実践するにはアナログレコードで出すのが一番ですよね。
凌:そうですね。レコーディング自体はデジタルなんだけど、録った音をアナログに転化して、カッティングも今回初めて立ち会わせてもらったんです。エンジニアさんの後ろで音を聴きながら、プレーンな盤に音を刻み込む作業を見せてもらったんですけど、カッティング・マシンには顕微鏡のようなスコープが取り付けられてあったんです。それでラッカー盤の溝を確認するんですが、「どうぞ」と言われて僕も覗き込んだんですよ。その溝にはストレートな曲線とうねった曲線があって、溝の幅が広いほど音が良いそうなんです。それでレコーディングでは12曲録ったんですが、収録したのは全部で8曲にしたんですよ。当初は片面に5曲ずつ入れるつもりだったんですけど、12インチ・サイズのレコードで音を良くするためには片面20分前後が好ましいと言われまして。
──溝の幅を少しでも広くするために曲数を減らしたと。
凌:そうなんです。今回は東洋化成さんがわざわざ片面5曲と片面4曲の盤をカッティングしてくださって、それを聴き比べてみたんですが、音の違いが歴然だったわけです。梅津さんのサックスの音色、林さんのピアノの深み、全体の音の飛び出し方…もう何もかもが違った。5曲入りの盤の僕の歌は斜がかかったように聴こえたけど、4曲入りの盤はものすごく歌がクリアでしたしね。1曲減らしただけでこんなに違うものなんだと驚いて、その場ですぐ8曲入りに変更しました。
──あまり情報量を詰め込みすぎないほうが結果的に音が良くなるということなんでしょうか。
凌:そうなんじゃないですかね。それに、レコードの溝が外周から内周に進むにつれて音は劣化していくものなんです。だからレコードの場合、1曲目や2曲目にいわゆる推しの曲を入れることが多いんですね。じっくり聴かせたいバラードなんかは1曲目や2曲目に持ってきたほうが良いですよと言われて、なるほどなと思いました。
──それで1曲目はスロー・テンポで抑揚をつけて唄われる「SOUL TO SOUL」を持ってきたわけですか。
凌:それもあったんですけど、曲を並べてみて非常に良い流れだと思ったんですね。