利便性を追求するあまりに失われたもの
──相互作用があるわけですね。先ほど凌さんが仰った、ジャズ・ボーカルの難しさとはどんなところなんですか。
凌:梅津さんと板橋さんと古野さんとピットインでライブをやった時、スローなバラードを唄うのにどうリズムを取れば良いのかわからなかったんですよ。4ビートの曲に乗るのはわかるんですけど、浮遊感のあるリズムレスみたいなサウンドの時に歌がどうリズムに乗れば良いのかわからなくて、愚問かもしれないけど訊いてみたかった。まぁ、向こうの人からすれば「乗りゃあ良いんだよ」ってことなんでしょうけどね(笑)。
──ジャズの世界でお手本とするシンガーはいらっしゃいましたか。
凌:僕がシンガーとして一番尊敬しているのはエラ・フィッツジェラルドなんです。好きなアーティスト、ミュージシャンということで言えばジョン・レノンなんですけど、唄い手で言えばエラなんですね。宇宙一歌が上手い人だと思っているので。テンポの速い曲からバラードまで何でも自在に唄うし、あの声はまさに唯一無二だと思います。日本にも美空ひばりさんのような素晴らしい歌手がいたし、ジョー山中さんは少なくともアジア一歌が上手いと僕は思っていましたが、そういう人たちを飛び越えて宇宙一上手いシンガーが僕にとってはエラなんです。歌が演奏と溶け合って楽器みたいなんですよ。
──今回の『粋る』というアルバム・タイトルは『may BURN!』に通ずるちょっとした言葉遊びですが、“生きること”と“唄うこと”が同義語である凌さんの作品に相応しいタイトルですね。
凌:ジャズはやっぱり粋なものだし、せっかくのアナログレコードだからジャケットでも粋な遊びができると思ったんですよ。たまたまテレビで見ていた情報番組に岡田親(ちかし)さんという寿司屋の大将が出ていて、趣味で絵を描いていらっしゃるというんです。しかもジャズメンの絵も描いていらっしゃると。その上、ご自身もジャズ・ドラマーなんですね。その絵を見て素晴らしいと思っていたので、デザイナーを通して今回のアルバム・ジャケットを岡田さんにお願いしたら引き受けてくださったんですよ。
──音は深くて豊かだし、大きなジャケットで遊べるし、アナログレコードの魅力を再発見できる作品と言えますね。
凌:今の20代、30代はアナログレコードのあの温かみのある音を知らないじゃないですか。それはすごくもったいないし、今の時代の音楽の伝え方は果たしてこれで良いのか? とも思うんです。利便性を追い求めてプレイヤーがどんどん小さくなってきた代わりに、豊かな音はますます失われつつある。さっきも言ったように、聴こえてくるのが中音域だけの音楽なんて本当に音楽と呼べるのだろうか? と疑問に感じますね。ただこういうことは、僕のもう一方の仕事である俳優業でも映画界に対して感じるんです。昨今の映画ではフィルムカメラでの撮影がどんどん減って、今やデジタルカメラでの撮影が増えている。ものすごくクオリティの高い高感度のカメラがいっぱい出てきて、たしかに画はものすごく綺麗なんだけど、体感する温度が冷たいんですよ。それは音も同じで、アナログレコードは体感する音が温かいんですね。デジタルはどこか冷たい。今や音楽でも映画でも同じことが起こっているんです。
──最新のCG映像もどこか冷んやりとしていますよね。昔の合成技術はたしかにぎこちなかったけど、どこか愛おしいところがあった気がします。
凌:うん。最新のデジタル技術は果たして進化と呼べるのだろうか? むしろ退化なんじゃないか? とすら感じます。ただここ数年、アメリカを中心にカセットテープやテレコの人気が再燃しているじゃないですか。日本にも専門店があるみたいだし。そういう揺り戻し現象と言うか、「良いものをなぜなくしてしまうの?」という動きは絶えずありますよね。同じようにアナログレコードも今また再評価されているし、今回のリリースは本当に良い話をいただいたと思っているんです。
ジャズも落語も間や緩急の付け方が大事
──こうしてジャズというジャンルとがっぷり四つに組んで見えてきたものはありましたか。
凌:知れば知るほど深い世界だなと思いましたね。ジャズのプレイヤーもシンガーも、クラシックとか基礎となる音楽をしっかり学んだ上でジャズに転向した人がほとんどだと思うんですよ。一見、ムードに合わせて気ままに演奏しているように見えるかもしれないけど、実はちゃんとした理論に基づいて演奏されている。僕はもうそういう基礎や理論を学ぶことができないので、音をしっかりと耳で聴いて、自分のやれることをちゃんとやるしかないと思っています。ジャズ・バーに通いながら、音の緩急の付け方や間合いを見て勉強したりね。ある本によると、1960年代の日本のジャズメンはライブの前に楽屋でよく落語を聴いていたそうなんです。それはすごくわかるような気がするんですよ。
──山下洋輔さんを始め、ジャズメンには落語のファンの方が多いですしね。
凌:ジャズも落語も間や緩急の付け方が大事じゃないですか。それは自分が今やっているバンドにも言えることだからとても勉強になるし、刺激を受けるし、俳優業でも有益なんです。俳優業と音楽業はまったく違う仕事なんだけど、ジャズや落語から学べることは非常に多いんです。客としてジャズ・バーに通ったり、今回のようにジャズ・ミュージシャンの方々と接してもそれは強く感じますね。
──輝かしい過去の名声には目もくれず、60歳を過ぎてもなおジャズという新たなチャレンジを続ける凌さんの行動力の根源にあるものとは何なのでしょうか。
凌:僕は“本物”になりたいんです。小さい頃から洋楽のフォークやロック、黒人音楽をいろいろ聴いて、古今東西の洋画もたくさん観て憧れました。自分が俳優になる前から、海外の俳優はなぜあれだけナチュラルな芝居ができるんだろう? と思っていたし、いろんな俳優の本も読みました。別に俳優になりたいとは思っていなかったけど、昔から純粋に映画が好きだったので。そういう音楽も映画も日本人にとっては欧米から輸入した借り物の文化で、日本人特有の器用さで日本独自の音楽や映画を生み出したけど、オリジナリティが希薄なところがありますよね。だから海外の人には猿真似だ、モンキー・ビジネスだと思われてしまう。全部が全部、そういうわけではないですけど。
──海外の音楽や映画の換骨奪胎ではなく、真の意味でオリジナリティのある音楽や映画に携わっていきたいと。
凌:日本でももうさすがに本物が出てきても良い頃だと思うんです。何が“本物”なのかと言えば、日本語で日本人が感ずるものを、本場の音楽や映画の本質に沿って作り上げたもの。日本から海外へ発信しても決して恥ずかしくないもの。“本物”の定義は人それぞれだから一概には言えないかもしれないけど、自分の信ずる“本物”まで手を届かせたいんです。シンガーとしてもアクターとしても、真似っこで借り物の文化のまま終わらせたくない。「最初はそちらから学んだけど、これが自分のオリジナルなんだよ」というものを何とか見つけ出したいわけです。
音楽も映画も“本物”を目指すしかない
──シンガーとして40年、アクターとして30年以上のキャリアを積んでもまだ見つからないものなんですか。
凌:まだ辿り着けませんね。なぜなら“本物”になれる環境に乏しいから。僕は単身アメリカへ乗り込んでオーディションを受けて、向こうで演技が認められてスクリーン・アクターズ・ギルド(全米映画俳優組合)の会員にまでなりましたが、ただ日本で芝居をやっているだけでは“本物”に触れる場面になかなか出くわさない。今の自分の夢のひとつは、音楽で海外をまわることなんです。アクターとしては欧米やアジアの映画人と一緒に仕事ができたけど、シンガーとしてはまだそういう機会がないので。だからいつか自分なりの音楽で海外に挑戦したいんです。小さい頃に憧れた海外のアクターやシンガーと同じレベルまで行きたいという願いが絶えずあるんですね。
──海外と日本のもの作りの現場で一番の違いは何なのでしょう?
凌:日本のもの作りの現場は海外のレベルまで近づきたい、対等でありたいという思いが希薄だし、いかに手っ取り早くお金を儲けるかを優先しているように僕には思えます。それに音楽業界も映画業界も、もの作りの本質的な部分でこだわり抜く人が少なくなってきましたね。シンガーとアクターを生業としている以上はその最高峰を目指さないとやる意味がないし、そこまでの高みを目指さないのなら別に他の仕事でも良いんじゃないかと思う。僕は映画でも音楽でも、ちゃんと現実を見据えて描きながらお客さんに楽しんでもらえるものが好きなんですよ。ところが日本にはそういうエンターテイメントがなかなかないし、同じ志を持った人と一緒にその到達点を目指すしかないと思っているんです。
──良質なメロディと歌詞で日本の暗部を炙り出す「名も無きDJブルース」のような歌を唄えるシンガーもなかなかいませんからね。
凌:それが自分のスタイルだし、絵空事をわざわざ引っ張り出して唄っているわけじゃないんですよ。僕が現実を現実として受け止めて唄うのは、ジョン・レノンやボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイといった欧米のミュージシャンから受けた影響なんです。「これが世の中の現実だ。俺はこう思うけど、君はどう思う?」と彼らは絶えず問い続けてきたし、それがロック・ミュージックの在り方だと僕は思っていた。聴き手と対話できるのがロック・ミュージックだと信じていましたから。
──“押しつけ”ではなく“問いかけ”であると。
凌:ドライブが楽しくなる音楽や彼女と踊りたくなる音楽があってももちろん良いけど、ロック・ミュージックが他の音楽と差別化できるのは対話ができること、意識の交換ができることなんです。それが音楽や歌の力の本質だし、かつてのバンドではそういうことをやってきたつもりだったのに、結局は受け入れられなかったわけです。あらゆる物事がコマーシャリズムに偏ってしまって、この国に本当の意味でロック・ミュージックが根づくことはないのかもしれないと愕然としてしまった。海外ではジョン・レノンやボブ・ディランが反戦のスタンスを打ち出してもメディアが必ず取り上げたじゃないですか。それが日本では臭いものには蓋をして、ただ耳障りの良い商業主義第一の音楽が巷に溢れるだけ。それはロックの歴史が浅いせいなのか、民度の低さなのかわかりませんけどね。だから僕が“ネオ・レトロ・ミュージック”という音楽スタイルを提唱したのは、もう自分のことをロック・ミュージシャンと言いたくないのもあるんです。ロック・シンガーとも言いたくない。ただの唄い手、シンガーでありたいんですね。本場のエンターテイメントの本質を意識しながら、決して海外に引けを取らない“本物”のシンガーになりたい。何を考え、何を唄うか? に関しては、十代の頃に久留米でアマチュア・バンドをやっていた頃と何ら変わっていません。良い時代の普遍的な音楽を今の時代に沿った形に切り取り、しっかりと歌い継いでいく。僕が確立したい“ネオ・レトロ・ミュージック”とはそういうものなんです。
(Rooftop2018年11月号)