唯一の"結婚相手"だったGO-BANG'Sとの4年間
──当時からいろんな場所を飛び回る妖精だったんですね(笑)。
森若:ロッカーズやスターリンを新宿ロフトで観るために札幌から東京へ来た時はひとりだったし、何をするにも単独行動だったけど、誰とでも仲良くなれたんです。札幌にロッカーズとかバンドがツアーで来た時は私が中心になって友達に呼びかけたりして。それで最前列で歓声をあげて盛り上げる。「札幌へようこそ!」って叫ぶ役ですよね(笑)。だから陣内(孝則)さんもアナーキーの仲野(茂)さんも私のことをなんとなく覚えてるって言うんですよ。八方美人だから誰に対しても「大ファンです!」って言ってたし、しかもちょっとかわいかったので目立ってた(笑)。マニアックな嗜好だけど誰とでもオープンに接するロフトイズムが昔からあったのかもしれない。ロフトのDNAがタンポポの綿毛みたいに北海道まで飛んできたのかな(笑)。まぁ、それは私が能動的にロフトのことを調べてたのもありますね。札幌にいながら『DOLL』や『FOOL'S MATE』は必ず読んでたし、そこに出てくるのはたいていロフトか屋根裏だったし。その現場へ行くのは当時の私の義務でしたね。だからバイトもよくやりましたよ。
──並外れた行動力ですね。
森若:行動力とチャラ力ですね(笑)。あと、人見知りしない性格も功を奏したのかなと。とにかく東京のバンドを観たい一心でしたね。
▲札幌からはるばる新宿ロフトへやって来た10代の森若香織(1981年頃)
──GO-BANG'Sが小滝橋通りにあった頃の新宿ロフトに出演したのは上京してからですよね。
森若:東京でいちばん最初にやったライブがロフトだったんです(1986年5月14日、『BEAT PARADISE』)。レピッシュやファントムギフト、あと谷(信雄)さんのバンドとかが出てて。谷さんは先輩風を吹かせてて、私たちと喋ってもくれなかった(笑)。GO-BANG'Sはちゃんとロフトにテープを送って審査が通ったんですよ。
──昼の部を通り越して、いきなり夜の部だったんですか?[註:当時の新宿ロフトはテープ審査と昼の部出演を経て初めて夜の部に出演できた]
森若:そうなんです。まぁ、私たちがかわいかったからじゃないですか?(笑) それは別に自慢じゃなくて、本当にかわいかったから得したことが多かったんです。UKエジソンとか高円寺のBOYとかハードコアの怖いお店にもテープを置かせてもらえましたから。かわいいは無敵ですよ(笑)。
──さすが無敵のビーナス(笑)。今年はGO-BANG'Sがメジャー・デビュー30周年ということで、いま改めてGO-BANG'Sというバンドをどう捉えていますか。
森若:私は20代まるまるGO-BANG'Sをやったんですけど、その中でメジャー・デビューしてから解散するまではたったの5年なんですよ。最後の1年間はもう3人じゃなくて途中から私ひとりになってたし、インディーズ時代はさかなのポコペン(富田綾子)がいて4人だったし、皆さんに記憶していただいてる3人のGO-BANG'Sは正味4年しかないんです。たったそれだけの期間しかやってなかったバンドを今も覚えてもらえてるのは嬉しいですね。あの当時、影響力のあったメディアはテレビくらいだったし、それを誰もが見てくれていたラッキーさもあるけど、テレビに出ていたのはわずか1、2年くらいなんです。
──それだけ強烈なインパクトを与えたということですよね。
森若:私はGO-BANG'Sの後にもRam Jam Worldを始めいろんなバンドをやってきたし、もちろんいちばん売れたのはGO-BANG'Sですけど、GO-BANG'Sに特化してきたつもりもないんです。だけど、ヒットするってこういうことなんだなと思って。GO-BANG'Sは私自身ではなく、当時好きで聴いてくれていたみんなのエネルギーがすごいんです。自分としては、今までいろんな人と付き合ってきた中で唯一結婚した人みたいな感じですね(笑)。
──確かに、判子を押して契約するわけだから結婚みたいですね。未だに当時の旦那さんのことばかりを引き合いに出されてしまう歯痒さはありませんか?
森若:私はGO-BANG'Sのことが今でも好きなんです。私から離婚を切り出したというよりも、むしろ離婚させられたほうなんですよ(笑)。旦那のほうが家を出ていこうとして、私は必死になって引き止めたけど旦那の意思は固くて、ある日別居することになってしまったみたいな(笑)。私が旦那に愛想を尽かして三行半を突きつけたのなら、30年前の結婚のことを今さら蒸し返さないで! とか言うでしょうけど、今でも旦那のことが好きなので、当時のことを訊かれるのも全然イヤじゃないんです。ただいかんせん、今のGO-BANG'Sは私ひとりなので。あの当時の3人のGO-BANG'Sを求められても無理だし、そこを理解してもらうのに意外と時間がかかるんです。
ゴーバニストたちの期待に応えるのが恩返し
──今回発売されたDVD『GO-BANG'S ON STAGE 1989-1990』も客観視できるものなんですか。
森若:めっちゃ客観的だし、自分でもすごくかわいいと思います(笑)。
──時代が何周かしたのか、当時の衣装もメイクも今っぽさを感じますね。レパートリーも古びてないですし。
森若:こういうことを言うとまたスピリチュアルだとか言われちゃうんですけど、神様から「GO-BANG'Sをまたやっとけ!」って言われるタイミングが絶妙なんですよ。それはポニーキャニオンのディレクターを通じてだったり、イベンターを通じてだったり、いろいろなんですけど。今の私のメインの仕事は作詞家で、J-POPやK-POPのアイドルの歌詞を書くことが多いんですけど、今のアイドルとかファンに響く歌詞や曲調の流行は80'sや90'sっぽいものなんですよね。だから私が20代の頃に書いてたGO-BANG'Sみたいな歌詞や当時のファッションが今の時代にピタッとハマるし、そんな時に「GO-BANG'Sをまたやっとけ!」と啓示を受けるのはなんだか象徴的な気がするんです。あと、GO-BANG'Sが解散した後にGO-BANG'Sみたいなバンドがいっぱい出てくるんだろうなと思ってたんですよ。そうすれば私も後輩のガールズバンドたちと『NAONのYAON』のかわいいバージョンをやれたかもしれません(笑)。でもGO-BANG'Sみたいなバンドは24年経っても全然出てこない。私はずっと待ってるし、カバーしてくださる人もいるんですけど、それもバンドじゃなくてアイドルばかりなんですよ。
──明確なフォロワーのバンドがいないと。
森若:GO-BANG'Sがなぜあれだけメジャーになったのかを自分なりに考えてみると、私たちのことをバンド視してない人が多かったからだと思うんです。「GO-BANG'Sなんてアイドルじゃん!」って揶揄っぽく言う人が多かったけど、今考えればそっちのほうがすごくね? って思ったりして(笑)。なぜなら、昔のアイドルは今のアイドルと違って普通の子はいなかったし、クラスには絶対いないような尋常じゃないルックスを持った人ばかりだったし、思わず二度見してしまうヴィジュアルでしたよね。そんなレベルの高いアイドルと同じように見られていたGO-BANG'Sってすごいな! って(笑)。それは私たちに限らず、当時仲の良かったKERAも(石野)卓球もみんなかわいかったんですよ。普通感がまるでなかったし、飛び抜けた個性があった。(ピエール)瀧も当時はブサイクキャラだったけど、今思えばかわいいんです。だからみんな普通じゃない、突出した才能の持ち主だったんですよね。
──アイドル視されたり、バンド・ブームの波に乗った時にどんなことを感じていましたか。足元をすくわれまいと思ったりとかは?
森若:けっこう冷静でしたね。3人ともそうだったんじゃないかな。自分たちが何をやればみんなが喜ぶか? とか、そういうのを冷静に見ていたと思います。3人ともハジけたふうにはしてたけど、完全にハジけきってはいなかった。もちろんライブをやるのもテレビに出るのも楽しかったけど、それでわけがわからなくなる憑依型ではなかったです。それは女性と男性の違いもあるかもしれません。テンションが上がると決まって服を脱ぎだす男性バンドみたいなことはしませんし(笑)。
──今もGO-BANG'Sの屋号をひとりで背負っているのは、親愛なるゴーバニストたちの期待に応えたいという気持ちが大きいからですか。
森若:その気持ちだけですね。歌の力、GO-BANG'Sのネームバリュー、ヒットするとはどういうことなのかをこの30年で学んだんですよ。中には昔のヒット曲を一切やらない人もいるし、逆にヒット曲ばかりをやる人もいるけど、私はヒット曲を楽しみにしてくださる人がいるなら喜んで唄わせていただく。それは私なりの恩返しなんです。誰もが知ってるヒット曲は不特定多数の人に喜んでもらえるし、ラッキーなことにGO-BANG'Sにはそういう歌があるわけで。震災以降、そういうことを強く感じるようになりましたね。たとえば復興支援のライブで私がソロの代表曲である「HEAVEN」を唄うよりも「あいにきて I・NEED・YOU!」を唄ったほうがより多くの人を楽しい気持ちにさせられる。第一、「HEAVEN」なんて誰も知らないので(笑)。
──そんなことないですよ。「I Believe in All Music」と力強く唄われる大名曲じゃないですか。
森若:そう言ってくださるのはロフトっぽい人たちが多いんですよね(笑)。