Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビューKEITH(ARB)「俺自身がARBファンの一人だから、ARBの楽曲を叩き続けたい」

俺自身がARBファンの一人だから、ARBの楽曲を叩き続けたい

2019.02.06

 昨年、デビュー40周年を迎えたARBの唯一のオリジナル・メンバーであるキースが、67歳を迎えることを記念したプレミアム生誕祭を渋谷のロフトヘヴンで開催する。修行時代を経たプロ・デビューから今年で46年、今がもっとも体力があり、練習も日夜欠かさないというキースの半生を駆け足で追いながら、昨秋の40周年記念ライブで「ARB、まだ続けます!」と高らかに宣言した真意、ARBに対する思いの丈をありのままに語ってもらった。(interview:椎名宗之)

ブルー・コメッツに押しかけてバンドボーイを志願

──出身は秋田県の男鹿市ですよね。

KEITH:うん。なまはげの街。生まれたのは1952年2月6日。

──ごきょうだいは?

KEITH:二人兄弟で、下に弟がいる。

──どんな子どもだったんですか。

KEITH:あっち行ったりこっち行ったり、落ち着きがなかったね。親戚じゅうを遊びに歩いたりして。とにかくしょっちゅうどこかに出歩いてはケガをしてるような子どもだった。チャンバラとかよくやってたね。

──音楽に興味を抱いたのはいつ頃でしたか。

KEITH:グループ・サウンズが出てきた中学の頃。テレビでタイガースやテンプターズ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツなんかを見て、「これは女の子にモテるぞ」と思って(笑)。それで自分でもバンドをやることにして、親にエレキ・ギターを買ってもらった。

──高価な楽器を買ってもらえるような裕福な家庭だったんですか。

KEITH:いや、ごく普通の家庭なんだけど、無理やりお願いして。ちっちゃいアンプと一緒に買ってもらった。

──初めて触れた楽器がドラムではなくギターとは意外ですね。

KEITH:当時の花形だったからね。ベンチャーズの「二人の銀座」や「パイプライン」を弾いてみたんだけど、指が動かなくて全然弾けなくて。これは合わないと思った。

──それでドラマーに転向したと。

KEITH:友達がドラムセットを持ってて、あるとき見よう見まねで叩いてみたら、上手い具合にいくなと思って。タイガースの瞳みのるさんのドラムは好きだったけど、自分でも叩けるとは意外だった。子どもの頃はパイロットとかになりたかったけど、中学の頃からもう音楽で食べていきたいと思ってたね。

──早熟ですね。中学の頃にやっていたのはコピー・バンドですか。

KEITH:タイガースとかテンプターズとかのね。グループ・サウンズのバンドはテレビでは作家の書いたヒット曲をやるけど、ステージではストーンズやジミヘンとか海外のコピーをやるんだよ。そういうのもカバーしてた。

──ゴールデン・カップスはジミヘンの「Hey Joe」をやってましたよね。

KEITH:そうそう。俺がいちばん最初に買った日本のバンドのアルバムはカップスだった。向こうのはジミヘンが最初。当時、女の子にキャーキャー言われるのはタイガースだったけど、俺が好きだったのはカップスやモップスみたいなクロい感じのバンドだった。東京に出てきて、カップスやモップスのライブを横浜で観たりもしたしね。

──ちなみに、秋田でライブを観たバンドは?

KEITH:ブルー・コメッツとテンプターズ。あと、安岡力也さんがやってたシャープ・ホークス。バックがシャープ・ファイブだった頃。

──ライブを観る機会が意外と多かったんですね。音楽の世界に入るきっかけは何だったんですか。

KEITH:高校3年の夏休みに単身東京へ出てきて、バンドボーイ(今で言うローディー)をやろうと思って。最初は親に反対されたので、家出みたいに飛び出してきた。ブルー・コメッツの事務所を探して押しかけて、「バンドボーイをやらせてください」とお願いしたら、「高校を卒業したらおいで」と言われてね。

──なぜブルー・コメッツだったんでしょう?

KEITH:他のグループ・サウンズのバンドと違って、ブルー・コメッツは髪も短くて身なりもちゃんとしてたし、親に説得しやすかったから。それで高校を出た1969年の春に改めて上京して、晴れてバンドボーイになるわけ。楽器を運んだり、お茶のセットを出したり、ユニフォームを着せたり、ステージが終わればそれを洗濯に持っていったりしてた。今みたいに楽器のチューニングをしたり、楽器に触らせてもらえることは一切なかったね。

──何年くらいバンドボーイをやっていたんですか。

KEITH:ブルー・コメッツは1年くらいかな。その後に成毛滋さんやつのだ☆ひろさんがやってたフライド・エッグのバンドボーイをやって、合わせて2年くらい修行させてもらった。

──下積み時代にどんなことを学べましたか。

KEITH:ブルー・コメッツからは礼儀の大切さを、フライド・エッグからはいろんな遊びを教わったね(笑)。だんだんスターの裏側を知れたのが面白かったよ。

──バンドボーイの同期で、のちに有名になった人はいますか。

KEITH:同じ時代で言えばマー坊かな。

──マー坊?

KEITH:土屋昌巳。カップスに押しかけてバンドボーイをやってたはずだよ。マー坊は現場で叩き上げた感じがしないかもしれないけど、実は俺と歳も一緒なんだよね。

 

安定よりもバンドを自由にやれる喜びを取った

──そんな修行時代を経て、1973年に4人組のフォーク・ロックバンド、オレンジ・ペコのドラマーとしてデビューするわけですね。

KEITH:あれは俺以外の3人(船橋たかき、原田ひろき、丸山コージ)がりりィさんのバックをやってて、バンドにしたいということで俺に声がかかったんだよね。3人とはそれまで面識がなくて、スカウトみたいな形だった。

──キースさんは〈キース戸部〉という芸名でしたね。

KEITH:そうそう。デビューする時、ロンドン生まれで年齢不詳みたいなプロフィールにしてさ(笑)。だけどオレンジ・ペコは歌謡曲に寄せたポップな感じで、自分のやりたい音楽性とは違ったので、1年も経たないうちにやめてしまった。俺はストーンズが好きで、ひとりだけ浮いた感じだったしね。

──キースというニックネームはキース・リチャーズから来ているんですよね。

KEITH:うん。あの人のつくる曲はもちろんだけど、生き方がすごい好きでね。バンドボーイの頃、ファンの子も俺がキース・リチャーズを好きなのを知ってるし、キースと呼べば俺が喜ぶと思って、いつからかそう呼ばれるようになったんだよ。

──ファンの方が命名したんですか。というか、バンドボーイ時代にすでにファンがいたとは。

KEITH:よく遊んでたからね(笑)。実際、当時の俺はキース・リチャーズと同じような髪型、似たような格好をしてたんだよ。

──オレンジ・ペコ脱退後、1977年春のARB結成までは3年ほど空白期間がありますね。

KEITH:次のチャンスを窺ってた頃で、とんぼちゃん(伊藤豊昇と市川善光によるフォーク・デュオ)のバックを手伝ったりとかしてたね。(田中)一郎とはオレンジ・ペコをやる前から知り合いで、オレンジ・ペコの現場で一緒になったり、より親密になってた。一郎は福岡から出てきて、リンドン(メンバーは田中信昭、田中一郎、伊藤薫)でプロ・デビューしてたんだけどね。彼がリンドンをやめて、新たにバンドをつくるからと声がかかったのが、のちのARB。

──新興音楽出版社(現在のシンコーミュージック・エンタテイメント)が最初に声をかけたのは一郎さんだったんですよね。

KEITH:うん。一郎に「こういう話がある」と集められてね。面白そうだなと思った。

──その時はすでにアレキサンダー・ラグタイム・バンドというバンド名が決まっていたんですか。

KEITH:まだだね。メンバーも固まってない頃だから。加入の順番としては、一郎、俺、宮城(伸一郎)、エンマ、(石橋)凌。何度もオーディションしたけどボーカルだけずっと決まらなくて、1年くらいかかったんだよ。

──新興としては、ARBをアイドル的な要素を持った日本版ベイ・シティ・ローラーズにしたかったんですよね。

KEITH:新興はグループ・サウンズで当てたこともあったし、これからは日本でもベイ・シティ・ローラーズみたいなアイドル・バンドが当たるんじゃないかと考えてたみたいだね。事務所の先輩だったチューリップや、ピンク・レディーの後楽園球場コンサートの前座とかもやったけど、俺たちはアイドルみたいなことをやりたくなかったので、藤井さん(のちにARB OFFICEの社長となる藤井隆夫)と一緒に新興をやめることにした。1978年10月にシングル『野良犬』でデビューしてから、新興には1年もいなかったね。ファースト・アルバム(1979年6月発表の『A.R.B.』)を出した頃はほぼ新興をやめることが決まってたと思う。やめるのが決まって、「これが最後かな」とか思いながら北海道をツアーした記憶があるから。

──せっかくARBとしてデビューしたのに、いきなり後ろ盾をなくしたわけですね。

KEITH:新興の条件はすごく良かったんだけどね。スタジオは使い放題だし、社宅だった四谷の2LDKのマンションにもひとりで住んでたし。それを捨ててでも自分としてはもっと好きなことをやりたかった。ファースト・アルバムもバンドと新興の方向性が全然違ったし、俺はもっと骨太な音楽をやりたかったし。アルバム自体は別に悪いわけじゃないけど、音楽性がバラバラでしょ? 当時はパンクやニュー・ウェイヴが出てきて、そういうのも反映させたかったしね。

──独立して、凌さんは質屋通いをしたり、約1年半以上カップ麺だけの生活だったそうですが、キースさんは?

KEITH:俺も質屋には通ったけど、何とか暮らしてたよ。それよりも自分たちで自由にバンドをやれる喜びのほうが大きかった。ちなみに言うと、最初はメンバー5人と藤井さんで独立するつもりだったんだよ。だけど宮城は新興に残ってチューリップに加入して、エンマは音楽的な相違でやめることになった。当時、俺たち3人と藤井さんは取り残されたような気持ちだったね。

 

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LIVE INFOライブ情報

IMG_0033.JPGKEITH 67th.プレミアム生誕祭
〜Groovin' 一夜限りの復活〜

【出演】
KEITH(ARB)、内海利勝(ex.キャロル)、森若香織(GO-BANG'S)
Groovin'[Shy(ex.ハートビーツ)、寺岡信芳(アナーキー)、古見健二(ex.彩風)]
2019年2月24日(日)LOFT HEAVEN
OPEN 18:00 / START 18:30
前売 ¥5,000 / 当日 未定(ドリンク代別¥600)
*チケットはイープラスにて発売中
*椅子席(全席自由)/ 整理番号順入場となります
問い合わせ:LOFT HEAVEN 03-6427-4651

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