「master+mind」が主催する年始のROCKフェスティバル【Rock is Culture 2018】に、今回もD'ERLANGERが出演!
2017年に再結成10周年を迎えたD'ERLANGER。Rooftop2月号に掲載された、再結成10周年を迎え感じたことや、これからの野望、そしてD'ERLANGERへの思いやLOFTへの思いのほか、kyoがヴォーカルを始めたきっかけやヴォーカルを選んだ理由、そしてD'ERLANGERとの出会いなどを掲載! ぜひご堪能下さい!![interview:河西香織(新宿LOFT)]
音楽を始めたきっかけ
——音楽を始めたきっかけは何だったんですか?
kyo:近所に年上のお兄ちゃんばかりが住んでたこともあって、僕はロックとの出会いが割と早かったんです。小学校低学年の時にKISSのポスターが貼ってあったのを見て、今思うと『Love Gun』とかあの頃のジーン・シモンズ(Ba&Vo)が、怪獣型のブーツを履いてるような、その感覚がすごく格好いいって思って。ませてたのかもしれないんですけど、曲を聴いたらポップだから割と入っていけたんですね。日本の歌謡曲にはないギターのハードな感じだったりっていうのに、今思えば惹かれたと思うんですけど。そういう入口だったので音楽を作りたいっていうよりは、ロックスターになりたいっていう意識の方が強かったと思うんです。その後に好きになるのが、デヴィッド・ボウイだったりとか、ハノイ・ロックスだったりとか、まずビジュアルが飛び込んでくるものがすごく好きだったので。本当だったら、幼少の頃にこういう経験をした時こういう音楽があって、感動を伝えたいってなると美しいんですけど、それよりはもっと僕はロックスターってものに憧れて、その世界に入って行きたいって思ったんじゃないかなと思います。
——それは何歳くらいだったんですか?
kyo:小学校4年生くらいかな。
——早いですね。
kyo:僕は小学校の卒業アルバムに、将来の夢はロック歌手って書いてるんですね(笑)。それは多分、その当時の少年kyoのこだわりで、歌手じゃなくて、ロック歌手っていうのが、すごくあったんだと思うんですよね。
——歌手って言うと、タレントっぽかったりしますしね。
kyo:そうなんですよね。どうしてもアイドルや歌謡曲の前線の頃だったので。
——ロックって付くと、また印象が違いますしね。
kyo:そうなんですよ。中学に入って、ベストヒットUSAとかの洋楽を取り上げる番組で、割と長髪のアーティストが出てくると一生懸命観てましたね。
ヴォーカルを選んだ理由
——ヴォーカルを選んだ理由は何だったんですか?
kyo:やっぱり最初に飛び込んでくるのがヴォーカリストだったので、僕の中で花形だったんですけど、子供の頃は親に音痴だって言われていて、何となく自分の中で、「歌はダメなんだな。じゃあギターリストになりたいな」みたいなのがあって。高校になるとタブ譜でコピーするようなそんなレベルでしたけど、文化祭でバンドをやって、その時はギターだったんですね。
——最初はギターリストだったんですね。
kyo:はい。ただすごく下手だったんですよね。ギターを弾きながら、交代で何曲か歌ったりしてたんですけど、友達が気を遣って、「ヴォーカルに専念した方がいいんじゃない」みたいなことを言われて。その頃から割と日本でいうとジャパメタ(ジャパニーズ・メタル)が出てきて、それこそLOFTとかで、『関西殴り込みギグ』で44MAGNUMだったりとか、ああいうスタイルのバンドを観て、マイクスタンドをさばいてやってるシンガーが格好いいなって思って。今思えば、最初に歌を諦めたのも、結局ヴォーカルを選んだのも、周りに踊らされてるんですよね、僕は(笑)。そこからはずっとヴォーカルですね。
——高校の頃に、お友達からの「ヴォーカルに専念してみたら」っていうのがなかったら、そのままギターリストを目指していた可能性もあるってことですか?
kyo:そうですね。でもそうしたら多分、こういう場所にいなかったでしょうね。ギターリストでこういう場所にいたとは思えないですから。
——そのお友達がいてくれて、良かったです(笑)。
kyo:感謝なんですけどね。僕、その友達にディストーションを返していないんですよね(笑)。デビューの時からの逸話として結構語ってるんですけど、何十年振りにこの話をしましたね(笑)。BOSSのオレンジのディストーションを返してなくて、しかも売っちゃったっていうね(笑)。
——売っちゃったんですか!?(笑)そのお友達とは、その後に会ったりしてるんですか?
kyo:全然会わないです(笑)。
ヴォーカルでの初ライブ
——ヴォーカルとして初めてライブをしたのはいつ頃なんですか?
kyo:高校2年生かな。僕はイメージで動くタイプなんですけど、高校2年生になると、「やっぱりロックは中退だな」って思って、高校を辞めようと思ったんです。自分で言うのも変なんですけど、根が真面目なところもあって、1学期の終わりに御茶ノ水の楽器屋さんに行って、バイトをさせてくれってお願いしたんですけど、高校生は雇わないんだって言われて、バンドをやりたいから辞めようと思ってるって話したら、じゃあとりあえず、夏休みいっぱいおいでよってなって、そこでバイトをして。イシバシ楽器なんですけど。後に高校時代は大きな休みの時には、バイトでお世話になるんですね。そこで知り合った人たちとバンドを始めるようになって。いわゆる地元や学校とかの身近なコミュニティ以外で始めたバンドが、それが初めてだったんです。千葉の習志野の方だったんですけど、ちょっと田舎に行くと、楽器屋が大きくてリハスタジオも大きくて、上にちょっとしたホールがあったりするじゃないですか。そこのリハスタジオに来てるバンドたちみんなで、お金を出し合ってそこのホールを借りて、自主コンサートみたいなのをやったりとかして。後にそこでCASBAHとかと一緒にやってたりしたんです。あとTHE YELLOW MONKEYのHEESEY(Ba)のHEESEY WITH DUDESというバンドでギターを弾いている小野寺っていうのがいて、それもその時に一緒にやっていたバンド仲間のギターリストだったりして、案外そこから出てきてるんですよね(笑)。
——若い時に一緒に音楽をやっていた人たちが、今も音楽業界にいるっていいですよね。
kyo:そうですね。まあ、諦めが悪かった者たちって感じなんですけど(笑)。そこでやって味をしめて、千葉にダンシングマザースっていうライブハウスがあったんですけど、そこに出るようになって。地元の若いバンドなんで、取り立てていいものがあったとは思わないんですけど、割とライブハウスの人が可愛がってくれて。そういう経験を高校時代に出来ましたね。
——高校時代って、早いですよね。
kyo:でも僕らの頃って、案外そんなに特別早い感じではなかったんだよね。
——そういえば、デビューもみなさん早かったですよね。
kyo:そうなんですよ。僕らの頃って20代前半でデビューすることが多くて、早いんですよね。あんまり今ってないですよね。そのくらいの歳から20代前半くらいまでやると、本気だなっみたいな感じがあったというか(笑)。うちのギターリストのCIPHERは、もう無くなってしまいましたけど、大阪のバーボンハウスの最年少出場記録が破られないままでしたからね。当時は一番楽しい遊びというか、一番格好いいものっていうところで、バンドをみんな選んだんじゃないかなって思います。
ライブの験担ぎは…
——ライブの日や前日とかに必ず行うことってありますか?
kyo:あの〜、勝負パンツを履きますね(笑)。俺は結構、験を担ぐタイプなんですけど。大きな舞台だったりとか大事な舞台の時に履いていて、上手くいった物は勝負パンツとしてずっと履いていて。「あっ!」っていうタイミングの時は変えるんですけど。必ずそれは守ってるかもしれないです。だから2daysの時は、ちょっと困るんです(笑)。第1候補、第2候補があって、その時は上手く入れ替えてご利益が上手く回るように(笑)。
——この話を聞いたら、ライブを観る時にkyoさんのパンツがちょっと気になっちゃいますね(笑)。
kyo:(笑)案外ね、そういう験担ぎを実はするんです。それ以外はないかな。最近はよく寝るようにしてますけど、それくらいかな。