10月27日に新宿LOFTにてKEELとKαinの2マンライブが開催される。
知っているようで知らなかった4人の関係性、そして音楽活動に対して、自身のバンドに対してなど、じっくり語り合って頂きました!
4人の思いを胸に、10月27日のライブをしっかり、じっくりご堪能あれ!!
[interview:河西香織(新宿LOFT)]
自身のバンドの存在とは
——ソロや他のバンド等で活動している皆さんにとって、Kαinとは、KEELとは、どういう存在ですか?
幸也:昔と変わってきていて、今はいくつかのバンドをやっても、それが不自然ではない時代になってきたっていうか。制作とかもPro Toolsやネットの普及で、いろんな制作の仕方のバリエーションができるようになったりとかしてて。僕らがバンドをやり始めた頃っていうのは、複数のバンドを掛け持ちするなんていうのは、あんまり考えられないことだったんですよね。それに比べて今は、いろんな可能性を各々がいろんな形で試すことができて、時代が求めているものもどんどん多様化しているんだと思うんですよね。例えばテレビのチャンネルなんて、昔は選択肢が数個しかなかったんですよ。民放ならフジか、朝日か、TBSかくらいで。今は衛星放送でBSとかCSとか、ましてやインターネット放送局とかも合わせると、おそらく数百、数千っていう選択肢がある中で、ユーザーが好きなものを選べばいいじゃん、みたいな。どんどん多様化する時代になってきてるのとリンクしてるのかなって。いろんな制作方法があったり、いろんな聞いてもらう方法があったり、いろんな表現の仕方があったりってなってきてるから、その中ではここにいる4人が4人とも、自分らで言うのもなんですけど対応できている方なのかなって。それをいい風に、こういう可能性もある、こういう可能性もあるみたいなのが、できているんじゃないかなって思いますけど。それぞれの活動がある中で、aieさんにとってのKEEL、ryoくんにとってのKEELっていうのが、その中でどういう立ち位置なのかっていうのは、今から河西さんが聞いたらいいと思いますけど(笑)。
——(笑)どういう立ち位置ですか?
ryo:KEEL自体が割とぬるっと、「セッションか何かやりましょうよ」「人の曲をカバーするんだったら、オリジナルをやりましょうよ」みたいな会話から始まっているんですけど。根っこは、俺はaieくんのことが好きで、aie君のギターも唯一無二だと思ってるし、そこに自分が寄り添うことによって、自分がコントロールできる範囲外のものが生まれるのが、やっぱりバンドの醍醐味だと思ってるんで。シーケンスも使ってない、ロック・バンドなんで。KEELは、俺はそういう捉え方ですね。aieという人物とか、aieというギターと一緒にバンドをやるためのツールがKEELっていう。
幸也:aieさんも、ryoくんがボーカリストとしてすごい好きだから。ryoくんはぬるっとって言いましたけど、aieさんはおそらく狙ってたんだと思いますよ。たまにryoくんのことを狙ってる目をしてましたから(笑)。
一同:(笑)
ryo:今になって言うと、その可能性はお互いにちゃんと持ってたんだけど、言葉にすると壊れるから言わずに、なんとなくそこに導こうみたいな空気感はきっとあったのかなって。
aie:よく一緒に飲んでましたもんね。それこそ9GOATS BLACK OUTができる前夜みたいな感じの時とかは。
ryo:そうだね。でもGULLETがdeadman(aieが以前にやっていたバンド)と一緒にやってる頃から、すごくいい人材だな、いい人物だなって思ってた。
幸也:aieさんは、特に今、いっぱいバンドをやってるじゃないですか。例えば全然知らない人に、「aieさんがいくつかやってるバンドの中で、KEELってどんなバンドなんですか?」って聞かれたら、どんな答えになるんですか?
aie:KEELが一番言うのが難しいかも。でも個人としては、スイッチを切り替えることはないんですけど。音を出してるメンバーが違うだけかなって。そのメンバーとやると、こうなりますっていうか。KEELはストイックにやろうとか、狙わずに、何にも考えずに、全部一緒のパワーでいくんですけど。自然とそうなるようにしているかな。決めないように。
幸也:俺がライブを観た印象だと、ryoくんがやってるプロジェクトも、aieさんがやってるプロジェクトも、全部1回は観たことがあると思うんだけど、どっちにとってもKEELが一番ソリッドだなって思ったけどね。
aie:それはあるかもしれないですね。ライブ感はとにかくあるかも。
ryo:生バンドをやろうっていうのは約束で。
aie:僕は結構当たり前で、それしかやったことがなかったんですけど、僕以外のメンバーが、KEELで初めて打ち込みがないバンドを始めたっていうのがあるから、僕以外のメンバーの方が新鮮かも。クリックを聞かないとか。
ryo:俺は、ナインゴーツ(9GOATS BLACK OUT)で初めてPro Toolsを触ったんですよ。それまでは、ジャムセッションから曲を作っていってて。ナインゴーツを5年くらいやって、作り方がまたその基本に戻っていった感じですね。HOLLOWGRAMはマニピュレーターがメンバーにいたので。俺の中でわかり易く言うと、黒魔術と白魔術の両方が使える人間になりたかったんです。赤魔導士みたいな。
幸也:それはわかんないけど(笑)。
一同:(笑)
幸也:ナインゴーツをやってた時のryoくんとか、今だとHOLLOWGRAMとか、TAGとか、DALLEとかやってるryoくんよりも、KEELのryoくんを観てる時の方が、BOØWYが好きなんだなっていう共通項をすごく感じる。
——SHIGEさんにとってのKαinとはどうですか?
SHIGE:僕は昔、幸也さんとD≒SIREでちょっと一緒にやらせてもらってた時に、将来的にレコードメーカーも巻き込んで、KαinというバンドにD≒SIREっていうバンドを昇華していくっていう、数ヶ年計画のプロジェクトが決まってたんですよ。それが結局実現できなくて。それで幸也さんとは分かれてしまって、その時果たせなかったものを今やってるっていうようなイメージですかね。
——必然的な感じですね。
幸也:なんかね、D≒SIREっていうバンドは、解散した理由っていうのが、もちろん僕ら自身にもあったんだろうけど、僕らの中で被害者意識じゃないけど、大人に掻き回されて終わったイメージがめちゃくちゃあるんですよ。D≒SIREっていうバンドをベースにして、当時、レコード会社と契約したタイミングで、僕以外のメンバーが全部入れ替わったんですよ。その時に、今後メジャーでやっていくにあたって、D≒SIREっていう名前じゃもうなくしたいって思ってたんですね。それをレコード会社の人間も面白がって、バンドが新しいメンバーを加えながらトランスフォームしていく過程も売るっていうプロジェクトが動いていて。その時にKαinっていうバンド名にしようっていうのも決まっていて、ロゴももうあって、計画書とか予算書とか、編成会議とかもずっとやっていたんです。その中心だったディレクターが途中で、違うレコード会社の方がもっと予算を出すから移籍しようぜって言い出して。育成契約を結んで、まだ正式にデビューしてないのに移籍しようみたいになって、結構大問題になったんですよ(笑)。それでメンバーがワーワーってなって、結果的に僕は東芝に残ったけど、SHIGEはTETSU(現ENDLESSのKey)と一緒にSONYに移籍して。そのディレクターも一緒に移籍したりとかあったんですよ。それで1回ばらけてしまって。僕らが不仲になったとか、別の音楽をやりたくなったとかでは、全然なくて。本当に気付いたら、「あれ? 俺たち解散するんだ」みたいな(笑)。
一同:(笑)
幸也:6人いたんですけど、僕とドラムは東芝に残って、SHIGEとTETSUはSONYにいって、ギターとベースはavexにいって、6人バンドがスタッフも一部引き連れて2人ずつで3つに分かれてるみたいな、謎の分裂の仕方をしたんですよね。それがすごいトラウマで、以降のJILSっていうバンドで、めちゃくちゃアンチ・メジャーみたいな活動をしてしまったのは、多分その反動なんですよね。それが10年くらい経って、また一緒にやるってなった時に自然と、また一緒にやるんだったらアレだよな、みたいな感じなんですよね。ちょっと不思議な感じですよね。20歳くらいの頃にやるはずだったことを、おっさんになってからやってるみたいな(笑)。
SHIGE:おっさんになったからこそ(笑)、じゃあお金はどうするんだとか、メーカーはどこなんだとか、事務所はどうするんだとか、そういう話は一切なしで一緒にやろうって。余計な雑音が全くない感じですね。純粋に一緒に音楽をやりたくてやろう、ということができたっていう。若いとやっぱりそういうことも気にしちゃうから、できないところがあったのかなとは思うんですけど。
幸也:若い頃のトラウマを払拭するためにやってるところもあります(笑)。