それぞれの出会い
——それぞれの出会いからお聞きしたいと思います。
幸也:そうですね。いきなりryoくんがSHIGEのマイクを借りパクしてるっていう話題が座談会が始まる前に出て、ファンの人にとっては意外かもしれないけども、我々はそんな仲ですよっていうところから、スタートしたいですよね(笑)。
aie:マイクを借りたのはいつ頃の話ですか?
幸也:めちゃ最近の話ですね(笑)。それはHOLLOWGRAM(ryoの別バンド)での話です。
ryo:マイクの借りパクは最近の話ですけど(笑)、この中ではSHIGEくんが一番古くからの知り合いなんですよ。かなり昔に、僕がD’elsquelってバンドをやっていてSHIGEくんがBlüeをやっていた時に、同じオムニバスに収録する機会があって。
aie:あれ? 俺そのCDを持ってるかも。
幸也:『THE END OF THE CENTURY ROCKERS』っていうタイトルの…。
aie:地球みたいなジャケットのCDですよね?
幸也:そうそう。その頃は地球みたいなジャケットが多かったですけどね(笑)。
一同:(笑)
ryo:で、同世代で同じ年齢でボーカリストでって感じで、一番古い仲ですね。
幸也:同期くらいな感じですよね。
SHIGE:同い歳で誕生日も2日違いだよね。
幸也:昔からSHIGEが自分の同期的な位置づけで意識しているアーティストって、ものすごく少なくて。そういう意味ではSHIGEにとって貴重な存在なんだと思いますよ。
SHIGE:僕が気軽に話せる同期のミュージシャンって意味では、唯一ですかね。
幸也:KISAKIは?
SHIGE:KISAKIくんは、あんまり同期のミュージシャンだとは思ってないですね。
一同:(笑)
幸也:それは言い過ぎだよ(笑)。
SHIGE:プロデューサーだと思ってるので。
幸也:ああ、なるほどね。
——最初の印象とかって覚えてますか?
ryo:髪が長かったよね?
SHIGE:お互いめちゃくちゃ髪が長かったよね。
ryo:20年前とかだよね。どこで会ったっけ?
幸也:WEST(渋谷O-WEST)とかでさ、D’elsquelとBlüeが出てるイベントがなかったっけ?
SHIGE:やりましたね。オムニバスのイベントでライブをやりましたね。
ryo:ピエロとかも一緒に出てた?
SHIGE:出てたね。
ryo:じゃあそれが初めてだ。
SHIGE:そうそう。今では考えられないくらい、ものすごく若かったよね(笑)。
幸也:さすがのaieさんもその時は高校生くらい?
aie:高校生ですね。高校生の時にやってたバンドが、名古屋のMUSIC FARMでD’elsquelと対バンしたんですよ。その時に、「テレビで見た人だ! 芸能人だ!」って思いましたね(笑)。
一同:(笑)
ryo:GULLETっていうバンドを結成する辺りの時に、玲央くん(元GULLETで現lynch.のGt)が幸也さんの大ファンで、すごくいいんですよって言っていたのをすごく覚えてます。幸也さんに一番最初にお会いしたのがいつだったかを覚えてないんですよね。
幸也:僕は、ryoくんはD’elsquelの時から知ってはいましたけど、ちゃんと会話をしたのは、GULLETになってからだったと思います。
ryo:多分、玲央くんが紹介してくれて、ですよね。
幸也:そうですね。僕はD’elsquelもGalruda(GULLETの前のバンド)も知ってましたから。
ryo:あらららら、恐縮です。
幸也:もう僕はその頃にBlüeのプロデュースをやっていて、そのオムニバスのイベントの時も知ってたんですね。SHIGEさんが同期的なアーティストで気にしている人って割と少ないから、そこでインプットされてる感じです。「D’elsquelのボーカルは、いいボーカルなんだ」「SHIGEが意識してるんだ」みたいな感じですね。本当に興味ないバンドやアーティストに対して、SHIGEは信じられないくらい冷たいんで。
SHIGE:そんなつもりはないんですけどね(笑)。
幸也:人とは思えない…(笑)。そのオムニバスの曲でも全部飛ばすみたいなもんですよ。「興味ないな、興味ないな」みたいな(笑)。でもD’elsquelは割と気にしてた記憶があるから。
ryo:これが記事になって、掘り返して聴きたくないくらい昔の話ですよね。
SHIGE:そうですね。衝撃的ですよね。自分のを聴き返すと、若過ぎて。
ryo:これが世に出てたんだっていうね(笑)。
——aieさんと幸也さんの出会いは?
aie:幸也さんと初めて話をさせてもらったのはLamielの時で、D≒SIRE(幸也の以前のバンド)がゲストで名古屋のボトムラインに出たイベントがあって、その時ですね。
幸也:僕が維那くん(LamielのVo)と仲がよくて、維那くんからうちの若いギターっていう感じで紹介されたのが最初ですね。割と有名なエピソードなんで何回か話してるんですけど、僕は維那くんをすごい好きだったんでステージを観てたら、「あの若いギターの子、格好いいな」って思って…。これは僕が非常に先見の明があった話なんですけど(笑)。
一同:(笑)
幸也:一目惚れに近かったというか、うわって思って。話したいなって思って、当時のマネージャーかイベントの主催者に「Lamielの若いギターの子と話したいんだけど」って言ったら、「殺される」って思ったaieさんが俺の楽屋に来たっていう…。
一同:(笑)
aie:1人で。維那さんも付いて来てくれなくて、「行って来い」って言われて(笑)。
幸也:「さよならって言われた」っていうエピソードがあるんですけどね(笑)。
ryo:aieくんと初めて会った時を思い出した! 新潟のZ-1だよ。あの頃って、babysitterと仲が良かったよね?
aie:あー、はいはい!
ryo:aieくんのことは知ってたんだけど、その時に初めて楽屋で挨拶をして、異常に細長い人がいるなっていう印象が(笑)。
aie:僕がLamielの時ですか?
ryo:多分。
aie:ちゃんとしゃべるようになったのは、GULLET以降ですよね?
ryo:そうだね。その時は挨拶したくらいだったかな。
幸也:僕もryoくんとちゃんと会話するようになったのは、GULLET以降ですね。
——SHIGEさんとryoさんが初めて会った時は、結構お話はしたんですか?
SHIGE:そんなに話すって感じではなかったと思いますね。
ryo:オムニバスっていろんなアーティストさんが集まるじゃないですか。その中でSHIGEくんと俺が同い歳っていう共通点が見つかって。
SHIGE:そうそう。
——同い歳って分かると、何となく和らぎますよね。
ryo:急に親近感が出るよね。
SHIGE:勝手に親近感が湧くよね。
ryo:しゃべる人がいないから、さっと近くに行って、「元気?」みたいなね(笑)。
幸也:同い歳っていうところに親近感みたいなのを感じてたんですね。俺がバンドを始めた頃は、なめられたくないから、本当の年齢より上に言ってたけどね。
一同:(笑)
幸也:相手の年齢を先に聞いて、相手が「20歳」って言ったら、「俺は21歳だけど」みたいな感じで、当時は嘘ばっかり言ってましたね(笑)。
ryo:その感覚、分かります(笑)。
幸也:何年か経ってから、それまで散々先輩面しといて、「同い歳だよ」って伝えた人が結構いますね(笑)。
SHIGE:その頃にはもう植え付けられてるから、今更言われても、もう序列が出来上がってるみたいな感じですよね(笑)。
幸也:当時って、1コでも上だとっていうのがありましたよね。
ryo:ありましたね。1年でも、もう大先輩でしたね。
幸也:大阪なんで、周りがちょっと厳しくて、荒れた状況だったので、とにかくなめられたらダメだみたいなのがあったんで、逆に俺はなかなか打ち解けれなかったですね。
ryo:相手が自分よりも年上だっていうのを知っていて、あえて年齢を言い合わずに徐々にタメ語を交えていくみたいな(笑)。
一同:(笑)
ryo:許される空気かなっていうのを探っていくみたいなね。
幸也:当時はそういうのがありましたね。いろいろサバイヴする術が必要な時代だったんですよね。
——今はそういうのはあんまりないですよね。
幸也:今は、平和なんじゃないですかね。
——そうですよね。ではaieさんとSHIGEさんの出会いは?
SHIGE:初めてがいつかはあんまり覚えてないんですけど、幸也さんを通して同じライブハウスにいたり、僕が観に行ったりとかもあったし。印象にあるのは、ライブの後に打ち上げで話しているのを見て、楽しそうな人だなって(笑)。
幸也:お互い様だと思うよ(笑)。
一同:(笑)
SHIGE:面白い人だなって思って、徐々に近付いていって、やっぱり楽しい人なんだっていう感じですね(笑)。でもステージで観たのが最初ですね。
——aieさんがどのバンドのライブだったんですか?
SHIGE:僕はaieさんがやってるバンドを観に行ったっていうのは、ないかもしれないです。
幸也:何かを俺とやってる時ですかね?
SHIGE:そうですね。幸也さんを通してだと思うんですよね。
幸也:aieさんのすごいところは、バンド界隈で絡みづらいだろうなと思われてる先輩とでも、平気で絡むところだと思うんですよね。俺だったりとか、kazumaさん(gibkiy gibkiy gibkiy)だとか、櫻澤さん(Dr.Sakura)だとか。普通の後輩は、絡みたくないだろうなっていう先輩にガンガンいけるところなんで。だからそういう場面がいっぱい出来るし、もしかしたらそれで彼の引き出しもどんどん増えていくのかなとか思いますけどね。マインドがすごい強いのかな。彼が19歳の時に、確かに初対面で僕は彼のことを気に入って、「もし東京に出て来ることがあったら、何でも協力するから連絡してね」って、その時に言ったんですよ。でも大体の10代の若者は、怖がって連絡してこないんですよ。でもaieさんは割と普通に「あれやってくれないですか?」みたいな(笑)。
一同:(笑)おー。
aie:Lamielの時に、渋谷のO-nestの上にあった小さい箱でのライブにも幸也さんが来てくれて。確かリハがないようなイベントでしたね。
幸也:ああ、ありましたね。
ryo:“渋谷が大変”(FWDが主催するヴィジュアル系フェスティバル)みたいな感じ?
aie:そのハシリみたいな感じですかね。
幸也:そうでしたね。大げさに言うと、aieさんの活動の節目節目に、ちゃんと連絡をくれたんですよね。こういうバンドに入りましたとか、次にこういうバンドをやりますとか、今度東京に引っ越すんですとか。それって簡単なようだけど、ちゃんとしてる人は少ないことなんですよね。だからそれがあったから、縁が繋がったなってすごく思ってます。
——幸也さんとSHIGEさんの出会いはどんな感じですか?
幸也:SHIGEが最初に出したCDの制作するお金を俺が出さされて…(笑)。
——そのきっかけは何だったんですか?
幸也:きっかけは、Sakuraさんとか俺が10代の頃にお世話になってた星丸さんって方が率いる“星丸ファミリー”っていう一座がありまして、そこの頭領の星丸さんって方がちょっと強烈な方で。星丸さんが活動していたハーレムQ(The HAREM Q)というバンドが大阪にライブに来た時に、僕がひどい風邪をひいていてライブに行けなかったんですよ。星丸さんに、「せっかく大阪に来られてるんで会いに行きたいんですけど、すごく熱が出ていて行けないんですよ」って連絡したら、「OK! OK! 分かったー」って感じやったのに、ライブが終わった打ち上げの途中なんかなってくらいの夜中の時間帯に、マンションのインターフォンが「ピンポン! ピンポン!」って鳴って、「うわ〜」と思って見たら、みかんをいっぱい持った星丸さんが、「幸也、風邪にはビタミンCがいいぞ!」って。
一同:(笑)
幸也:で、横に部下みたいな人が2人くらいいて、でっかい人生ゲームの盤を持ってるんですよ!
aie:みかんを置いて帰る気は無いんですね(笑)。
幸也:「うわ〜」って思って、観念してドアを開けたら、「幸也、人生ゲームなら寝転がりながらでも出来るから、やろう!」って言われて。
一同:(笑)
幸也:で、その時に人生ゲームを持っていたのが、当時のBlüeのドラムとギターだったんですよ。「大阪のバンドだから、幸也、かわいがってやってくれよ」みたいなことを星丸さんに言われたんですけど、その時のイメージではその2人を全くかわいがりたくないって感じだったんですよ。
SHIGE:むしろ近寄りたくないみたいな(笑)。
幸也:そうですね。むしろ近寄りたくないくらいの、「何て人を星丸さんは連れて来るんだろう」みたいな。でもその2人が俺の家を覚えてしまったので、しょっちゅう来るようになって。バンドのライブを観に来て下さいとか、音源を聴いて下さいって言われてたんですけど、とにかくその2人があんまり印象が良くなかったんで、行きたくないってずっと言ってたんですけど、ある時、曲を録音したので聴いて下さいって言われて、テープを置いていったんです。で、そのテープを聴いたらSHIGEが歌っていて、すごく曲も声も良かったんで、「うわっ!」って思ったんですけど、音質がむちゃくちゃ悪かったんですよね。これをちゃんとレコーディングしたらいいのになって思ったのがきっかけですね。
ryo:不思議な出会い。
幸也:当時はまだSHIGEも10代で。その1曲がまぐれかもしれないって思ったから、「もう1曲、この曲よりも俺が好きだなと思えるような曲を君は書ける?」って言ったら、『月と太陽』って曲を彼が書いてきて、「あっ、才能あるな」って思ったんで、金を(笑)。
一同:(笑)
SHIGE:でもその新しいレコーディングをやった頃には、ボードゲームを持っていたドラムはクビになってるっていう(笑)。
一同:(笑)
幸也:そうなんですよ(笑)。でもクビにしたのは、俺じゃないからね。
SHIGE:そうですね。…僕なんですけど(笑)。
一同:(笑)
SHIGE:でも今でも全然仲はいいですよ。
幸也:そういういきさつです。