音楽への目覚めからDOG FIGHT解散まで
豪:パンクに目覚めたのはYOSU-KOさん(COBRA)編集のカセットテープだったんですよね?
TAISHO:そうそう。中2の時にそのテープの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を聴いて、なんじゃこりゃ!? となって。そこからベース買って、耳コピ始めて、理論が分かって、すぐギターも買って、『Oi of JAPAN』が決まる頃、ギターのChuma(現WDRS)とジャンケンして負けてボーカルになった。僕は本当はリード・ギターしたかった。
豪:いわゆるOiとかの路線になったのはお兄さん(NAOKI、当時COBRA)の影響もあったんですよね?
TAISHO:当時はOiはなかった。まだYOSU-KOもハードコアで、Oiはその後。僕らはOiとか関係なくいろんなジャンルの曲を作ってた。
豪:『Oi of JAPAN』もいろんなジャンルのバンドが参加してますもんね。
TAISHO:向こうのバンドのスクリュードライバーってバンドの影響もあって、ああいう曲をやったね。
豪:バンドとしては順調だったんですよね?
TAISHO:でも、夜逃げがあって……。
豪:夜逃げしてきたらしいですよね。
TAISHO:ある日の朝方、仕事から帰ると、親父が「おい、行くぞ!」と。「どこ行くねん?」「分からん!」「何やねん!」言うたら、銀行パンクすると。で、僕はアコースティック・ギター1本だけ持って車に乗って。次の日、デートの約束あったんやけど、何も言えず。それが後にDOG FIGHTの「逃亡者」って歌になったんだけど。そのまま東京のオフィス・グローリー(ラフィンノーズの事務所)に行って。
豪:NAOKIさん言ってましたよ。ある日、事務所の窓がガンガン叩かれて、見たら家族がいたって(笑)。バンドでいい流れができていたんだけど、夜逃げでそれどころではなくなって、東京に来たと。
TAISHO:それから埼玉で働いて、しばらくしてまた一人で大阪に帰った。とにかくお金がなくて、しょっちゅうパチンコやってて、その時ちょっと鬱っぽかったのかな。当時のワンダラーズでライブしたりレコーディングしたりもしたんだけど、ある日、エッグプラントっていうライブハウスで「もう終わりにしよう」ってメンバーに言って。家帰ってからNAOKIに電話して、「そっち行ってええか?」って。そしたら「ええよええよ」って言われて「ほんなら行くわ」ってまた東京に行くことになった。もう音楽もやめようと思ってた。でも東京で働いているうちに、もう1回バンドをやろうと思って『DOLL』にメンバー募集かけて、それが東京でのワンダラーズの結成になった。
豪:時代的にはバンド・ブームですよね?
TAISHO:でもクソみたいにしか見えなかったからね。バンドがオーディションみたいな番組に出るな! と思ってたし。その頃、メジャーなんか! って思っていたんだけど、NAOKIからDOG FIGHTの誘いが来て。
豪:メジャーの文句を言っていた人にメジャーの誘いが来たと。それもフロントマンで。
TAISHO:でも悩んだのは一瞬だったね。やってないことはやってみたい性分だったから、やってみよう! って。
豪:当時、メジャーと言っても給料は安かったんですよね?
TAISHO:僕らは良かったですよ。10万いかないところいっぱいあったから(笑)。
豪:それでDOG FIGHTが終わってからもう音楽やめようと思われたんですか?
TAISHO:うん。でも、もう音楽はやめようと思った時、知り合いの俳優がミュージカルの合間に唄いませんか? と誘ってくれて、彼のその誘いがトリガーになって、そこからは、ソロ活動をバンバンやるようになった。あちこち地方にも行って。その後は、TOUGH BANDってバンドを始めて。でもあることがあって解散を決めて。もう音楽やめようかなと思ったけど、3.11の大震災があって、その時18でケンカ別れしたワンダラーズのメンバーから連絡があって….。僕はもう二度とワンダラーズのメンバーとは会わないと思ってたから、びっくりして。で、20数年ぶりにワンダラーズを再結成して。そこでもう「ソロ活動を封印します」と宣言した。
豪:『Oi of JAPAN』の伝説のバンドが復活したんですね。
TAISHO:ある意味、僕らはロック界の珍味やから(笑)。
自分の魂の灯を延ばしてくれるもの
豪:そうやってバンド活動が順調になってきた時に、身体の調子がおかしくなってきたんですか?
TAISHO:ワンダラーズを再結成した頃から脳の病気はゆっくり進んでいたんだと思う。滑舌の悪さをスタッフから言われていて。
豪:脳梗塞ほど分かりやすい感じじゃなかったんですよね?
TAISHO:うん。そしたら今度は太り始めて、運動もバンバンやっているのに、全然痩せなくて…なんかちょっとおかしいなと思っていたんだけど。で、ある日、家でギター弾こうとしたら…。
豪:指が動かない。
TAISHO:うん。声もキーが出ない。おかしいな、なんでだろう? ってなったけど、体調悪いんかな? とそこでもまだ思ってた。結局その後も声は出ないし、ピックもすぐ落とすようになったりして。
豪:なかなか病院には行かなかったんですね?
TAISHO:うん。でも20年来付き合いのある接骨院に行き、整形外科を勧められて、整形外科に行った時…「その滑舌の悪さはいつからですか?」と言われ、「そう言えば最近、右手も固まるなぁ」という話をしたら、「すぐ大学病院行かなあかん」って言われて。CT、MRIを撮って、脳梗塞ではないと分かったけど原因が分からなくて、RI検査したら、大脳皮質基底核変性症という病名を言われた。10万人に2人いるかいないかの病気で、発病から何年で寝たきり、何年で死亡と言われ、いろんな合併症もあって難病の宝庫らしいんだけど、今こうして明るいのは、オレ強いからね。本当に。負けねぇもん。
豪:で、まだちゃんと唄えるうちにDOG FIGHTのファイナル・ライブをやらなければと思ったわけですか……。
TAISHO:まずNAOKIに言って….。過去にも平均して6年に1回ぐらいのペースでDOG FIGHTの再結成ライブをやっていたんだけど、僕の場合、寿命を考えたら、今を逃すことはできないから。
豪:歌は唄えているんですか?
TAISHO:いや。キツイよ。リハビリの基礎は叩き込んだけど、僕の場合、ただリハビリするだけではダメ。リハビリ+唄うこともあるから。そこはもう独学。幼少の頃から波乱万丈な映画のような日々を過ごして、孫もできて、ホッとできる日々が来たかと思ったら、ある意味最後のプレゼント。これを乗り越える僕の生き方を見て欲しい。難病ではないにしろ、何らかの病気になる可能性は誰しも持っている。僕の場合は病気で30年早く80歳の身体になっただけで。病気になったからって隠すような自分ではない、病気でも仕事してまっせ! ライブもやりまっせ! って。
豪:普通に働いて、普通に酒も飲んで、タバコも吸って(笑)。
TAISHO:めっちゃしんどいよ。でもやりたいことはやるよ。そうしないともうおかしくなるよ。そして次のDOG FIGHTが最大のチャレンジかな。2時間か2時間半か…まず立っていることがしんどいから。それプラス唄うからね。
豪:相当しんどいですよね。
TAISHO:何が起こるか分からない。杖ついて唄っててもこいつ何するか分からんっていうぐらいの気迫のあるステージにしたい。声が出ないから唄えません、動けないから動けませんじゃねぇんだよ、このヤロー! って。もうケンカだよ。
豪:病気とのケンカですね。
TAISHO:そう、病気ともケンカ。ライブもケンカ。だから負けたくない。そしてそれが僕の魂の灯を延ばしてくれる。誰に教わったわけでもなくて尼崎で鍛えたこの根性があるから。そう信じてるし、それがTAISHOという生き方だから。
豪:病気に対しても相手の目をじっと見ての世界なんですね。