自らの難病発症とDOG FIGHTのファイナル・ライブを発表したボーカルのTAISHOに、プロインタビュアーの吉田豪が緊急直撃インタビュー! TAISHOの現在は!? そしてその波乱万丈な半生を語っていただきました。[text:梶川功一(HUNT)]
*TAISHO:DOG FIGHT(1992〜97年)のボーカリスト。2011年、自身のバンドWDRSを復活させ、活動中の昨年に難病が発覚。徐々に身体に広がる症状に負けず、不屈の精神でライブ活動を続ける。今年、最後のDOG FIGHT復活ライブに挑む。
尼崎での壮絶な青春時代
〜新宿・歌舞伎町の居酒屋にて〜
豪:お酒は普通に飲まれるんですね。
TAISHO:病気の原因も分からず、治療法もなく、酒もタバコも担当医に止められてないんで、酒もタバコもしてます。こんなんで全部やめたらただの病人だもの(笑)。
豪:以前、NAOKIさん(SA、TAISHOの実兄)に取材させてもらって、壮絶な家庭のことをたくさんお聞きしたんですが。
TAISHO:またあることないこと言って、あのオッさん(笑)。
豪:全部あることっぽいですよ(笑)。その話のTAISHOさん側の視点から見た話をまずお聞かせいただけたら。
TAISHO:全部話すと本10冊ぐらいになるよ(笑)。
豪:ブログとか読んでいると、こういう身体になっても短気そうな雰囲気が漂ってますよね?
TAISHO:この前も居酒屋でケンカになったしね(笑)。
豪:この状態では勝てないんじゃないですか?
TAISHO:勝てないけど、もう魂が許さないね。「お前、何言うた今?」言うて。別に殺されてもいいと思うから、そういう時は。ただ許せないというだけ。
豪:根がヤンキーな人なわけですよね(笑)。中学時代、NAOKIさんにまで「やんのかコラ!」って言ってたみたいだし。
TAISHO:(笑)こっちはもう昔からイケイケやから。
豪:お兄さん(NAOKI)は比較的おとなしくて。
TAISHO:彼が一番(世間に)バーンって行ってるけど、一番保守的。
豪:お姉ちゃんとTAISHOさんがヤンキーで、もう一人お兄さんがいて。
TAISHO:長男はちょっと分からんね。だからそういう姉と僕に挟まれたNAOKIは自分が家庭を何とかしなければと保守的になっていった。
豪:家庭がまず大変だったんですよね。
TAISHO:もう大変。親父が尼崎で小さい店をやっていたんだけど。そこで、昼は喫茶で、夜はスナックをやっていて。まだカラオケもない時代で、そこの店が成功して、全部で3つぐらい事業を始めた。でも親父は人が良くて、その後にハンコをポンポンと押しちゃって(笑)。
豪:借金の保証人になって。
TAISHO:そこからだね、借金が。
豪:物心ついた時はまだそこまでヤバくはなかったんですか?
TAISHO:僕が小・中学校ぐらいまでは良かったんじゃなかったかな。ただ子どもだから親父の借金だとか言われても分からなかった。親父もすごい働いてるし、1日の売上げもすごかったし。でもある日から従業員をクビにして、家族全員で手伝うようになっていって、あれ? って。
豪:家族全員が手伝って。
TAISHO:でも、長男は酒もタバコもやらないから手伝わなかった。親父は酒もタバコもやらん奴が嫌いやったから(笑)。
豪:NAOKIさんも真面目に働いていたみたいですね。
TAISHO:後半はNAOKIと僕とで2人で店を回していた。僕が厨房で彼がカラオケ担当。その頃、戦争が始まって…。
豪:戦争!?
TAISHO:そう。○△戦争(暴力団の抗争)。尼崎で飲食店やってるとそういう争いに巻き込まれることもあって、僕の親父も殴られたり、僕らも止めに行ってボコボコにされたり……(物騒すぎるので詳細は割愛)。でもまぁ、そういうことはよくあったんですよ。
豪:ええ! よくあったんですか?
TAISHO:店にトラックで突っ込まれたり。小さい時から何回も危ない目に遭っているから。ウチの店にはその筋の人が出入りすることもあって、15の時、その中でも一番暴れん坊の人の担当になって、その人が来たら僕がずっとテーブルの前に座って目をずっと合わせて。何か作りましょうか?(ガン見)って、そんな感じ。
豪:それはハートが鍛えられますよ(笑)。
TAISHO:店の店員やNAOKIも無理やし、もう僕しかおらん。
豪:NAOKIさんが「弟は中1で番長になった」と言ってたけど、そういう次元の話じゃない。
TAISHO:それは東京でも一緒。東京でスナックで働いている時も暴れん坊が来て大暴れして、そん時も目をずっと離さず。それは昔からトラブルを抑えてきた経験があるんで。
豪:TAISHO(大将)と呼ばれる理由が分かった気がします(笑)。