Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー平野悠×加藤梅造(Rooftop2017年5月号)

2017年4月、ロフトプロジェクトは新体制で出発!

2017.05.01

 ロフトグループ創始者の平野悠が、今年4月ロフトプロジェクト新社長となった加藤梅造に直接対談を要請! 今よりメチャクチャ(?)だったというロフトプラスワン開店当初の話から、現代の日本の状況、はたまた今後ロフトが向かう方向まで熱く語ってもらった。
 「客と演者と店の三位一体! 店はみんなで作るものだ!」暑苦しくも大切に受け継がれてきた "平野イズム" とは?! [構成:成宮アイコ]

こいつ何考えてるんだって思った

平野:今年の4月から梅造が正式に社長になって新体制のロフトが出発するわけだけど、そもそもロフトにはいつからいるんだっけ?

梅造:最初は客だったんですよ。1996年に初めてプラスワンに遊びに行って、もともとライブハウスは好きだったけどトークライブハウスは他になかったから、面白いなと思って。

平野:20年前ってプラスワンの初期の初期だよね。

梅造:開店してから1年ですね。当時は客が3人しかいなかったり、逆に入りすぎて入口の外の廊下まで人が溢れているのにそこでも注文を取られたり、いろいろメチャクチャでした(笑)。ちょうどその頃、プラスワンの常連客たちで作った「風」という組織があって、フリーペーパーを作ったりしてて面白そうだなと思って顔を出したんです。メンバーには現役の編集者とか自主映画監督とか美学校生とか、当時は売れてなかった園子温が出入りしていたり、伝説のバンド・ガセネタの山崎春美さんがフリーペーパーの編集長をやったりして、今にして思えばいろんな人がいましたね。

平野:その後「風」は1年くらいで潰れちゃったけどすごいパワーだったよね。元統一教会の人が初代代表だったりしてさ(笑)。最初はバイトで入ったの?

梅造:バイトとして入ったのは97年4月からなんですけど、その前の半年くらいは常連客として普通に通ってました。そしたらある日突然、悠さんが電話をかけてきて「お前、ちょっとRooftopの編集長やってみない?」って。「は?!」 って思いましたよ。当時、僕は普通にサラリーマンをしていたので(笑)。今思うと、僕みたいな素人によくやらせたなと思いますね。

平野:えー、そうだっけ?(笑)

梅造:確かに当時のRooftopはペラペラでかなりショボかったんですけど、悠さんは「巻頭インタビューを載せたり、各店のおすすめのイベントを紹介したりしたいんだ」ってやりたいことだけ言って「じゃあよろしく!」って電話を切っちゃった。完全丸投げ(笑)。それで当時の新宿ロフト店長に相談したら、1週間後にサンハウスの菊(柴山俊之)さんにインタンビューをすることになって……。

平野:ほうー(他人事のように)。

梅造:菊さんっていったら僕なんかにとっては雲の上の人じゃないですか! 超レジェンドですよ! もう死ぬほど緊張しましたね。

平野:その頃の梅造は某一流企業でバリバリに働いていて、将来を約束されていたわけじゃない? それなのにロフトに入るために辞めちゃうんだから、こいつ何考えてるんだって思ったよ。

梅造:ロフトに誘ったの悠さんじゃないですか! 確かに迷いましたが、会社だと先が見えてしまっていたのもあって、部長とか見てると辛そうだったんです。しかも、後で分かったんですけどその会社は原発の仕事にも関わっていたんです。あと兵器産業にも。我々の敵ですよ、敵!

平野:アハハハ(笑)。まぁ、一流会社なんてみんなそうだよね、それで儲けてるし。で、全く違った職種に来ちゃった、と。しかもプラスワンでバイトだなんて、親が怒らなかったの?(笑)

梅造:呆れてましたけどね。

平野:そうだよなぁ、せっかくいい大学出てさぁ。そこからは梅造さんのロフト人生が始まる、と。

梅造:今年でちょうど入って20年ですね。当時は悠さんがいつもプラスワンにいたんです。そこで話をしていると「自由空間」とか「出会い」とか「コミュニケーション」とか、"平野イズム"的なキーワードがよく出てきて、それがなんかピンと来たんです。高校生の頃、初めてライブハウスに行ってすごく自由で解放された気分になったのを思い出して、ああそうか! と。それまではあんまり意識していなかったんですけど、ライブハウスで一番大事なのは自由な空間だって自覚をして。

平野:ライブハウスって基本的にロックの音楽をやる場所というイメージで、その他はなかったよね。ジャズの場合はライブハウスじゃなくてスポットって呼ばれてたし。そこに突然ロフトがトークライブハウスを作っちゃったんだよね。

梅造:昔のチラシを見ると、新宿ロフトも当初から「コミュニケーションスポット」って掲げていたんですよね。コンセプトがプラスワンとあんまり変わらない。

平野:ああいうコピーはいつも俺が考えてたんだよ、適当に(笑)。音楽だってコミュニケーションありきだと思うしね。

 

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ロフト史上、一番衝撃的な出演者

平野:それで、梅造がプラスワンに入った直後くらいに、奥崎謙三というのが現れるんだよな。ロフト史上、一番衝撃的な出演者かもしれない。

梅造:奥崎謙三の出所イベント! あの時は前日から超緊張しました。

平野:とんでもない日だったよね(笑)。奥崎さんは自分の出所日を間違えてて、当初イベント会場だった杉並公会堂に来れなかったんだよ。まったく、出所する本人が間違えてどうするんだって。それで急遽、出所翌日にプラスワンで開催することになって。

梅造:それでも結局2時間くらい来なかったですからね。

平野:俺、ステージで頭抱えてたもん。どうやって間を持たせるかなって(笑)。あと、あの当時プラスワンで人気だったのは「ライターズデン」と「AV」だよね。AV監督が壇上で語って日の目を浴びたり、「おしっこ飲ませてください」って頼んでまわるおじさんが会場を歩き回っていたりしてさ、変態が堂々としていたよね。

梅造:あとは「オタク」ですね。唐沢俊一さんが毎月出ていて、僕は好きだったのでだいたい行ってたんですけど、悠さんはオタクと仲が悪くてしょっちゅうケンカしていて。ある時、悠さんが彼らをオウムに例えたんですよ「客は信者だ!」って。そしたら当然みんな怒って、オタクアミーゴス(岡田斗司夫、唐沢俊一、眠田直の三人によって結成されたオタクユニット)vs 平野悠の対決になっちゃった。当時はまだパソコン通信の時代で、ニフティのプラスワン掲示版が大炎上したんです。「平野ってのは何様だ!」って。まあ悠さんは読んでなかったでしょうけど(笑)。

平野:そんなことになってたんだ(笑)。

梅造:それで唐沢さんが「平野悠にオタクを教える」というイベントを企画したんですが、悠さんはそんなの出ないって拒否して……。そしたら唐沢さんが「じゃあ風でいいよ」って「風にオタクを教える」というイベントに変更になったんです(笑)。完全にとばっちりじゃないですか! 僕も何だかよく分からないままイベントに呼び出されて2時間ずっと「オタクとは何か?」を説教されました。

平野:まあ、そのあたりは7月に発売されるプラスワンのヒストリー本(タイトル未定)に書かれていますので、ご期待くださいということで(笑)。

 

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