代表者としてのやり方や考え方
——お2人はバンドの代表者という立場になってますが、何が大変だと感じますか?
seek:やっていく中ですごい大変だなと思うこともいっぱいあるんですけど、サイコから変わったタイミングやったと思うんですけど、自分がスポークスマンとしていろんな人と話をしていくとなった時に、俺がこの人と仕事をしていくのは無理だなと思ったら、その時点で全ての関係性がなくなってしまうなって思うことが多くて、無茶苦茶腹がたったら、メンバーの顔を1人ずつ思い出すようにしてるんですよ。1分ずつで5分経つんですけど、それでも我慢出来んなって思ったら、メンバーの親御さんを知ってるから、1人ずつ思い出してプラス10分になって、それで大体怒りが収まるんですけど。みんなにいい顔をしている時期がすごくあった時に、幸也さんを長い間後輩として見させて頂いていて、すごい強いなって思うことが多くて、その強さみたいなのは元々の性分なのか、どこからくるのか聞いてみたいんですけど。
幸也:曲げないってことで言うと、元々そういう人間なんだと思うけど、どっちかって言うと外に出る人間ではなかったんだよね。自分の殻の中に閉じこもる感じだったんで、社交的だと思われてる部分があるんだとしたら、必要に駆られて身につけたものだと思う。D≒SIRE以前は、何かのリーダーになったりとかする人間ではなかったし。
seek:意外ですね!
幸也:群れるっていうこと自体がそもそもは好きじゃないから。D≒SIREは結成してから初ライブまで1年くらいあったんだけど、その間にメンバーが変わってしまって、結局初ライブをやる頃には俺がリーダーになってしまっていたっていうだけで、立ち上げの時点では俺が最後に加入したから。オリジナルメンバーでメイン・ソングライターのギターの聖詩が新バンドの構想を固めていて、その時にメンバーはある程度揃っていて、あとはボーカルだけなんだよってところで俺が入ったから。初めはD≒SIREっていうバンド名でもなかったし。仮のバンド名みたいのがあって、ベースがちょっと流動的でスタジオに行く度に違う人がいたりとかして。
seek:(笑)バンドとしてやるよって発表してからライブまでが1年だったんですか?
幸也:いや多分違うかな。前のバンドを解散してからなのか、解散する前から水面下で彼らが動いてたのか、それまでは俺はまったくヴィジュアル系と関わりを持ってないからその辺も疎くて。どっちかって言うとそれまではJubileeの人たちとか、ちょっとゴシック寄りの方々との絡みの方が多かったんで、あんまり分からなかったんだよね。誘われて入ったんだけど、ベースが流動的だったり、他のメンバーが変わったりとかしていく中で、最終的に初ライブの頃には俺が仕切るみたいな感じになってて、割と動いてすぐに東京の事務所とかから話がきて、大人と交渉するようになったんで。その頃から何となく「幸也くんがリーダーなんだね」みたいな空気感になった感じかな。
seek:この前、webに掲載されていた幸也さんの対談記事を見ていて面白いなと思った部分があって。それが時代というものなのか、そもそも年齢が若くて経験値がまだ少ないからっていうことなのか分からないんですけど、その対談で、デビューするとかしないとか、仮にメーカーが離れるとか事務所が離れるってなったから、バンドが解散するとか、メンバーが続けられないっていうお話をされてて、その中から自分たちでやっていくっていうスタンスが生まれたっていうお話を幸也さんがされてたんですけど。すごい分かるなと思うし、面白いなと思ったんですね。俺らは特にこの時代だからっていうのもあると思うんですけど、バンドっていうものを続けるのって、元はと言えばメンバー6人で始めたことなんやから、どうやればバンドが続いていくんだってことを常に念頭に置いて、物事を考えるようになったなとは思うんですけど。多分時代的にも、俺らがその当時やったら同じ様な状況になってたりもしてましたし、とにかくデビューするんだって若い時は思ってたし。「あれ? ちょっとバンドメンバーとズレてるな」っていうところで、それでも俺たちが長く続けていくためにはこういう道筋が出来たらやっていけるんじゃないかっていうのを形に出来るのって、結構大変やなってバンドをやってて思うんですよ。そこら辺が幸也さんとかを見てたら、バンドのメンバーさんとかも含めてですけど、引っ張っていく力みたいのが大きいなって思うんですよね。
幸也:多分ね、俺の場合は引っ張ってってもなくて。人間って言っても分からないって俺は思っていて、本人がもうダメなんだっていうことを口にしない限りは、比較的どんなにダメな人間でも見捨てないようにしてるんだけど。例えばインディーズってことで言うならば、自分が出資して、自分がリスクを背負ってやってるものに対して、メンバーでも同じ立場で意見を言ってくるのは難しくなるじゃない。
seek:そうですね。
幸也:全くリスクを背負ってなくって、「俺、これやりたいねん」って言ってくる奴の言うことを、正直五分で同じように聞いていたら破綻するし、かと言ってそうすると会社組織みたいになっちゃうから、ミックスがバンド名が会社名なのは、すごいブラックジョークだなって最初は思って。
一同:(笑)
幸也:だからさ、難しいのよ。俺がとってきたスタンスっていうのは、「責任は俺が取る。だから俺のやり方でやる。で、少しでもそれが嫌なら、引き止めないから自分のやり方でやってみろよ。自分がリーダーになるでもいい、自分がレーベルの主宰者になるでもいい、それで結果を出したら認めるよ」っていうことをやってきてるから、引っ張ってはないんだよね。
seek:放任主義じゃないですけど、自分が思うんやったらそれを一回やってみてっていう感じですか?
幸也:うん。だから比較的、メンバーチェンジが多いバンドだったんだよね、D≒SIREもJILSも。Kαinの場合は事情が違うんで、核になるメンバーは10年変わってないんだけど。D≒SIREやJILSの時は主にそれだよね。インディーズでやっていくっていうのを最初に選んでやっていく中で、いろんな意見が出てきて、人気が出てきたり、実績がついてきたりすると、自分のやり方っていうものを振りかざしてみたくなる気持ちは分かるから、「じゃあ俺は引き止めないよ」っていう感じだよね。俺が自惚れてるだけなのかもしれないけど、D≒SIREならD≒SIREで、本当にD≒SIREが嫌で辞めた奴はいないんじゃないかなって。これを昔のメンバーが読んだらどう思うかは知らないけど、ただちょっと自分の意見を我が儘言ってみたかっただけなのかなとは思うのよ。ただ当時の俺はそれを許さなかったっていうね。自分の意見を通したいんなら、自分が責任を持てる立場になれよっていう考えだったから。だから俺の方から「じゃあ辞めたいのかい?」って言うことの方が多かった気がするね。「辞めたいんです」っていきなり言われたことはおそらくなくって、「もっとこうしたい」とか「こういうのは嫌だ」みたいになってきた時に、「じゃあ、自分のやり方でやれよ」ってなったことの方が多かった気がするけどね。
seek:バンドって難しいもんで、そうならないと分からなかったりとかしますよね。俺もサイコの時に全く同じような状態と言うか、ある程度年齢も上がって、いろんなものが視野として広くなってきた時に、同じ感情になって、すごくDAISHIが疎ましくなってきたりだとか、「もっとこうした方がええんちゃう」みたいに、結局やったことはないけど、自分はガヤで見てるからそれが客観的に見れてるんだぜ感覚がすごくあって。それを自分がミックスで窓口になった時にすごく感じたことだったり。あとこの立場に自分が立った時に、DAISHIと自分を比べることが多くて、スポークスマンとして人と話しているのを過去に横で見てた時に、すごく魅力的だなとか、人を巻き込む力の強さだったりを感じて。サイコに関しては、言い方が悪いですけどDAISHIはペテン師的なやり方をやってることが多かったんですよね(笑)。DAISHIが外でワーって風呂敷を広げて「持って帰ってきたでー」って言うたやつをLidaさん(Gt)がせっせと家で編み物やってますみたいなコンビネーションやったから。あの2人のバランスみたいなものを自分がバンドを切り盛りし始めた時にすごい意識して、「あの2人のバランスに勝たらへんなぁ」って思うことがすごく大きかったんですけど。やっぱり実際に自分がそれをやったから気付けたこともあったし。今、サイコっていうものが自分たちでまた1つになった時に、新しい関係性の中でそれをみんなが踏まえた上で立ち位置を守れるっていうのは、大きさとしてはあるんだろうなって、歳がいったから余計に思うんですけど。そこら辺がバンドの在り方とか。逆に俺はミックスをやってる時は、基本的に決め事の時は多数決なんですけど、自分の票は入れないんですよ。メンバーが6人っていうのもあるんですけど、自分がどっちかに1票を入れて、自分が入れた方に決まらなかったら、俺が人とお仕事で話す時に、どこか半分「俺はそう思ってないけど」っていうスタンスが嫌やなって思ってて。なので自分の票は入れずに、5人が決めたことを俺が持っていくって感じなんですよ。だからと言ってその仕事自体に感情なくやってるわけではなく、ちゃんと自分のものにして話が出来るようにしたいなと思ってやってはいるんですけど。
幸也:どっちかだよね。自分から着想を得たものじゃないと自信を持って人に対して出せないっていう部分もあるし、今seekが言ったみたいに、特にメンバーが6人だと偶数なんで余計にそうだと思うけど、意見が割れちゃって、「とりあえず僕が決めたことじゃないけど、バンドの意見はこうなんです」ってなると、ちょっと弱いから。俺の場合は歌詞も書くし、メイン・ソングライターだったりもするから、自分の魂の持ってるものじゃないと、関係者云々以前にファンに対してプレゼン出来ないんだよね。だから多数決とかも、下手したらやらないくらいだね。それをワンマンだと言われるんなら、まさにそうだよ。自分が「これこそがベストだ!」って思うものだけを提示するためにね。
seek:バンドってどっちかしかないと思ってて。ワンマンでその人の意志がそのまま純度100%に近い状態で人を惹き付けるものなのか、僕は多数決で育ってきましたけど、多数決は多数決ですごい難しい言うか。いろんな人の思いが入るっていう良さはあると思うんですけど、多数決で決める時に、中には3人くらいは「正直どっちでもええんやけどな」って思ってる奴もいたりするから、その中で1人すごく熱い思いを持ってやってる奴の意見が通らなかったりする時もあるし。俺は票は入れないとは言いましたけど、物事がなかなか進んで行かない時に、何かしらの道標じゃないですけどアドバイスみたいので、「こういう決め方やったら何かが決めれる?」とか、「こういう風な捉え方出来る?」みたいな話し合いを、基本は心掛けるようにはしてるんですけど。ずっとバンドをやってきて、「どっちかやな」って思ってますね。俺らのやり方は絶対時間が掛かるものと言うか、それを1つのみんなのものにちゃんとまとめて形にするのって、そんなに簡単にいくことではないんだろうなと思うし、そこはずっと悩んできてて。昔からDAISHIに教えてもらったのは、ファンレターの数ではないってことだったり。俺らって、俺のファンレターが多いからこのバンドの人気が上がっていくっていう感覚で育ってきてないんですよ。俺は「キワモノでぶっ飛んでる役でファンレターの数は少ないけど、人から覚えてもらえる」とか「僕はボーカルやから入り口です」とか、立ち位置が明確にあったっていうのもあるんですけど、そこで育ってきてるから、多数決っていうものの中で自分の意志を出すっていう育ち方をしてきたんやろうなって思うんです。これが誰か1人でも「俺の意志で」って言ったら、その人の人気は上がっていくんだと思うし、その人の意見でバランスが崩れたりするんやろうなって、当時思ってたんですね。そこはバンドのカラーであったり、育ち方みたいなものってあるのかなって思ってました。
幸也:バンドをアートに寄せるか、ビジネスに寄せるかで分かれてくるからさ。アートってことで言うと、「それは誰のアートなのか」っていうところを考えると、1つの作品に対して一歩目を生み出す人間って、本当は1人しかいないから、それを5人なら5人、6人なら6人で揉んで膨らましたものを「これが我々の芸術なんだ」ってするものなのかって言うのは、全然違うじゃん。純度を高める作業自体も。だから最初の話と繋がってくるんだけど、俺は元々は誰かと何かをしたいと思う人間じゃないから、自分の世界観とか自分の作品を創りたいだけなんだよ。バンドっていうフィルターを通してるのは、多分ツールなんだよ。今となってはさすがに20年もやってるから、バンドっていうフィルターっていうか形が、自分の表現手段として向いているんだろうし、自分のイメージ的にもしっくりくる。それは多分子供の時に、BOØWYに憧れたとかそういうのも込みでそうなんだけども。でも根本の根本は、自分の1人っきりの世界の中で構築したものを表現したいっていう人間だから、そこの違いもあるんじゃないかな。それと自分が、バンドの中でもそうだし、事務所が関わったら事務所もそう、レコード会社が関わったらレコード会社もそう、もっといくとお客さんも含めてそう、もっと言うと世界に対して自分対世界っていう感じで物事を捉えている時に、自分が何かを貫きたいのであれば、それ相応の代償を必ず自分は払うべきなんだって。それを払う覚悟がない人間は、物事を発言する権利もないって俺の中では思ってるんで。代償っていうのが、時には金だったりもするし、覚悟だったりもするし、責任だったりもするし。バンドを存続させるってことに重きを置くと、言い方が難しいんだけど、俺の考えではどこかで純度が鈍る。だから俺の中では貫くってことの方が優先順位が高い。だから誰かが去って行くことを厭わない。それでやってきてしまった。それがちょっと離れたところから見てるseekには、強いって見えるのかもしれない。でも葛藤はやっぱりあるよね。単純に長くやっていく上でのファンの人に対する感謝っていう気持ちが、俺も人間だから出てくるから、みんなが望んでいるであろうっていう状態を少しでもキープしてあげた方がいいのかなって思うこともあるけどさ。でも例えばメンバーの誰かが犯罪を起こした時にどうしようかなってなるじゃん。大げさに言ったらそういう感じだよ。
seek:幸也さんと話してていつも思うのは、迷いがないと言うか。さっきは葛藤があるっておっしゃいましたけど、そういう感じが話してて感じることがないから。どんな質問を投げかけても、1回経験してはるみたいのもあるだろうと思うんですけど、スパッとそれが答えとして出てくるし、自分の思いみたいのもきっちり入った答えが返ってくるから、また強いという表現になってしまいますけど、はっきりしてはるなっていつも思います。
幸也:一歩目の差なんじゃないかな。例えばseekなんかは、自分っていうもののコアな表現とか世界観を見つけるよりも先に、バンドとかライブハウスっていう世界の楽しさとか尊さを知ってしまってる気がするんだよね。極端なことを言うと、本当に自分の芸術を追求している人間って、周りの人間を不幸にするじゃん。自分の仲間や家族や兄弟や親とかを不幸にしてでも自分の芸術っていうものを追求したいんだっていうタイプの人もいるじゃん。それが一方の極論として、そこの入り口とはまた違う入り口って言うか、バンドの楽しさとか、ライブハウスっていう空間の魅力とかっていうところに取り憑かれて入ってきているタイプの人間なのかなっていう気はする。
seek:そうやと思います。
幸也:俺は自分がバンドをやるかどうかは、自分では分からなかったもん。何となく誘われて始めて、それが人に受けて、「あっ、これなんかなぁ?」って思いながら。だから人ごとみたいだよ、いまだに。自惚れみたいな話なんだけど、さすがに20何年もやってきてるから言ってもいいかなって思うのが、最近になって自分のライブ映像をボーッと観てて、「ボーカルらしいボーカルだな」って思う。最近になってね。俺は楽器的にはギターとかドラムの方が好きだし、前のインタビューの時に言いましたけど、ボーカルになりたくてなってないんで。「どっかでチャンスがあったらパートを変わってやろう」って思ってた時期もあったから(笑)。ただ今になって、「ボーカルっぽいボーカルやな」って。それは歌が上手いとか、上手くないとかじゃなくてさ。
seek:もっと一番大事なところでですよね。俺もよくそれを思いますけど。
幸也:客観的って言うか人ごとみたいにボーッと観ていて、「これで良かったんかもなぁ」みたいな感じなんだよね。だから結果としてバンドのボーカルだったり、バンドのリーダーだったってだけで。よくトークイベントとかでも話すんだけど、俺の考え方や生き方で言うと、自分で食い物の店をやるとかでも良かったんやと思う。めちゃくちゃこだわってるラーメン屋を経営してるとか、めちゃくちゃ頑固なオヤジがやってるカレー屋を経営してるとかでも良かったんやと思う。チェーン店にはきっとならなくて、下手したら店員も自分1人みたいな。たまにいるじゃん、そういう頑固なオヤジが1人でやってるような飯屋(笑)。あれに近いんだと思う、俺のやってることは。でもそれはバンドってものとちょっと違うじゃん。表現ってことで言うと、俺が今やってることに近いんだけど、形態で言うとバンドっていう形態とはまた違うことだから。そこの優先順位とか折り合いが、若い頃は今よりも尚更上手くつけれなくて。結果としては、簡単に言うと「俺の味が気に入らないんだったら、自分の店をやったらええやん」ってことになっちゃってたんだと思うよ。