先日、初対面をしたばかりの2人だが、バンドからソロへと転身していったという境遇は同じ。一見、音楽のスタイルは異なるように見えるが、紐解いていくと、いろんな共通部分が見えてきて、どんどん互いの距離が近付いていくように感じる対談だった。
自身に対してとてもストイックな2人の音楽に対する思いをこの対談でたっぷりと堪能し、5月17日の2マンを観に、是非新宿LOFTに足を運んで欲しい!
(interview:河西香織/新宿LOFT)
音楽を志したキッカケ
——お2人は先日の卓偉さんのライブ(4月5日のO-WEST)でお会いしたのが初ですか?
葵:初めてです。
卓偉:そうですね。でも僕は雑誌で彼のことはよく見てましたね。
——葵さんのバンド時代ですか?
卓偉:バンド時代よりもソロでの印象の方が強いですね。バンドは何年くらいやられてたんですか?
葵:バンドは2004年から始め、活動休止になったのが2010年なので、6年ですね。ソロになって今6年目なので、結構半分くらいになってますね。
卓偉:結成は東京ですか?
葵:はい、東京です。
卓偉:そうなんですね。やっぱり、ソロをやってるイメージの方がありますね。
葵:僕は、卓偉さんのことは自分が音楽を始める前から雑誌とかで見て知っていて、今回の2マンのお話を頂いて、「嘘だろ!?」って思いました。
一同:(笑)
葵:今でも思ってます(笑)。
卓偉:何をおっしゃるんですか(笑)。こっちとしては対バン…って言ってもお互いソロなんで、バンドというのとは言い方がちょっと難しいかもしれないですけど、一緒にイベントができるって話を聞いた時は、すごく嬉しかったですよ。
葵:ありがとうございます。
卓偉:ソロ・アーティスト同士なので、本当の意味で競り合ってる、張り合ってるって感じが出ていいかなって思ってます。
——そうですね。お2人は現在の音楽のスタイルに至るまでに、こういう方のこういう部分に刺激を受けたというのはありますか?
葵:僕はもともとスポーツをずっとやっていて、ちゃんと音楽を始めたのが20代前半なんですよ。
卓偉:スポーツは何をやられてたんですか?
葵:ずっとサッカーをやってました。体調を崩してからはサッカーを辞めて、高校を卒業してアメリカに1年行ってたりするんですけど。
卓偉:おー、すごいですね。
葵:そこでは料理の勉強をしたり、帰国してからは普通のサラリーマンをしてたりもするんです。影響を受けた人って実はそんなにいなくて。もともと何が好きで音楽を始めたって言うよりも、父が昔、歌舞伎とかもやっていたんですけど、宝塚だったり歌舞伎とかっていうジャパニーズ・カルチャーと言われるような“ステージで魅せる”っていうパフォーマンスが、すごくいいなって思っていて。それと音楽が融合してるのをテレビで見たのがヴィジュアル系だったんですよ。GACKTさんが在籍していた頃のMALICE MIZERをたまたまテレビで見て、パフォーマンスの仕方が斬新だなってその時に思って、それからヴィジュアル系に興味を持ってその世界に入っていったんです。なのでバンドで影響を受けたと言えば、MALICE MIZERかなと思います。特にヴィジュアル系が好きで始めたとか、他のアーティストが好きで始めたとかっていうのはあんまりなくて、パフォーマンスの仕方が好きで音楽を始めましたね。
卓偉:じゃあ中学校、高校とかっていう感じじゃなくて、20歳過ぎてからって感じなんですね。
葵:はい、大人になってからでした。当時はJ-POPでランキングに入っているような音楽ばかりを聴いてました。
卓偉:それまではサッカー少年だったってことですよね?
葵:はい。自分が音楽をやるとは思ってなかったですね。
卓偉:へぇ〜、すごいですね。海外に行って料理の勉強もされて?
葵:そうですね。サッカーが終わって、やることがなくなってしまって「どうしようかな」って思っていて。一応進学校に行っていて、周りはみんな大学や専門学校に行くんですけど、やりたいものがない中で大学に行っても意味がないかなって思って、「だったら一番自分の世界にないところに行こう」と思って海外に行ったんですけど。
卓偉:いいですね〜。
葵:それで、鉄板料理屋さんで鉄板のシェフをやってました。
卓偉:アメリカですか?
葵:はい。そこで1年やってたんですけど、体質的に合わなくて…。アメリカの雰囲気が合わないと言うか(笑)。で、日本に戻って来て、またやることがなかったので、とりあえず就職しようかなと思って、広告代理店で社員になったりとかしてました。
卓偉:そういうことが出来るっていうのは、すごく器用な方だと思うんですよね。
葵:いやいやいや。何かにずっとハマることがあんまりないかもしれないですね。
卓偉:えっ! でも音楽を志してからはずっとね!
葵:はい、音楽だけですね! 唯一だと思います。卓偉さんはどんな感じなんですか?
卓偉:僕はですね、両親が離婚してて、親父に引き取られたので家に母親がいなかったんですね。母親の穴を埋めようと、親父が家でひたすらアナログをかけてたんですよ。音がなくならないようにね。僕が3歳、兄貴が5歳の時にすごいボロい家に引っ越して。そこから自分の記憶が始まってるんですけど。そこでひたすらブラックミュージックとかクラシックとか、本物の黒人のR&Bとかを聴いて。その中にThe Beatlesや、Carpentersもあったのかな。The Beatlesが一番分かり易く自分に入ってきたのか、反応したらしいんですよね。そこははっきり覚えてないんですけど。それが可愛かったのか、親父はずっと僕や兄貴の誕生日にThe Beatlesのアナログのレコードを買ってくれていて。それくらいしか興味がなくて、小学校の4年くらいまでは誕生日やクリスマスっていうのは、The Beatlesのレコードだ、みたいな。それが自分の音楽が好きだという気持ちのキッカケだったんですけど。それで13歳の時に親父が家に“スターチャンネル”っていう、いろんな映画とかが見れる衛星放送みたいのを入れて、まあ要はMTVだったんですけど。バブルが終わったくらいの時代で、司会者とかも居ずにひたすらミュージック・ビデオが垂れ流しになってて。音楽が好きだからそれを観てるんだけど、何が新しくて何が古い音楽かってあんまり分からなくて。その中にパンクって言われるジャンルがあって、時代としてはアメリカだと、Lenny KravitzとかNIRVANAとかがすごく全盛だった時代だと思うんですけど。Sex PistolsとかThe Clashとかの映像を観て、「ギター弾きてーな」みたいな。それで中学校1年で、それまで貯めてたお年玉とかでいきなり奮発してギターを買って。弾けるとか、弾けるようになりたいとか、そういう感覚じゃなくて、「ギター=ロックだ」「なんか叫べるかもしれない」みたいな。で、最初はね、サイド・ギターをやってたんですよ。ボーカルがいて、中学校の文化祭を目指すみたいな、そういうノリのバンドだったんですけど。The Beatlesが好きだったから、ハーモニーが付けられるっていうのがあって。だけどボーカルの奴がとにかく歌がド下手で、どんだけ綺麗にハモっても主旋律をちゃんと歌ってくれないから話になんないっていう感じで。中3の初めくらいの時にバンドを作り直すってなって、「じゃあ俺がボーカルやる」って言って。で、ZIGGYのコピーだったんですよね。だから今でも自分の好きなボーカリストって言うか、自分が勝手に師匠だなって思ってるのはZIGGYの森重樹一さんだったりとか。それこそ群馬だったら、うちの兄ちゃんはBOØWYとかBUCK-TICKとかも聴いてましたけど。基本はやっぱり中学の時から洋楽で、邦楽だったらZIGGYっていうようなノリで、そのまんま音楽を志して、高校も受験せず中学校を卒業と同時に1人で上京しちゃったみたいな。それで21歳くらいの時にデビューが決まって、ざっともう17年経っちゃったみたいな。売れもせずに(笑)。
一同:いやいやいや。
卓偉:そんなノリなんですよ。途中かいつまんじゃいましたけど(笑)。同世代だから、その時に鳴ってたJ-POPとか、聴こえてた洋楽とかっていうのは共通する、近いものがあるのかもしれないですね。
photo:Rie Suwaki