ロックとは聴き手の心を昂揚させ、活力を湧かせる音楽であるとともに、送り手と受け手による魂と魂の交歓の術でもあると思う。ザ・ストリート・ビーツの通算24作目となるオリジナル・アルバム『PROMISED PLACE』を聴くと、それを尚のこと実感する。限りある人生だからこそいまこの瞬間を生きる証を刻み込む意義、理不尽な仕打ちや困難な場面に打ち克つタフなハートを持つことの大切さ、天文学的な確率でかけがえのない仲間と出会えた奇跡を噛み締める幸福、その大いなる喜びを共に分かち合えることへの感謝。そんな思いの丈や揺るぎないメッセージが随所に込められた珠玉の歌の数々は、世知辛く不安定この上ない現代を生きる市井の人々にとって糧となるものばかりだ。ビーツの歌は小手先の技巧や装飾を排除し、燃え盛る情熱に突き動かされた剥き出しで純真の表現であるがゆえに僕らは激しく心を奮わされるし、感受性全開で呼応せざるを得ない。暗夜行路を照らす光の道標のような歌たちはいかにして生まれたのか、ビーツの顔役であるOKI(vo, g)に話を聞いたロング・インタビューを今号と次号にわたりお届けしよう。(interview:椎名宗之)
めくるめく旅こそが我が人生
──多彩な楽曲が揃いながらも一本筋の通った骨太な作品という意味では、『遥か繋がる未来』(2013年)、『NEVER STOP ROLLING』(2014年)に続く近年のアルバム三部作の総括と呼べるような作品が仕上がりましたね。
OKI:『NEVER STOP ROLLING』は『遥か繋がる未来』と連作になるようにしたかったんですけど、前作から2年経って、結果的に『遥か繋がる未来』から同じスイッチのままここまで来た感じですね。まるっきりかけ離れたところへ行くわけではなく、今回の『PROMISED PLACE』も自分の中では連綿と繋がってきたものを生み出したような位置づけの作品です。
──楽曲のクオリティもさることながら、淀みなく連なる構成も相まって何度でも繰り返し聴ける作品と言えますね。
OKI:今回はいつにも増して曲順の想定が早い段階から固まっていて、それありきでそれぞれの曲のアレンジを進めていったんです。全体としてはごくごくシンプルで、薄まる時間のない作品にしたかったんですよ。10曲で一作として捉え、全体を象徴する曲が「約束の場所」という位置づけですね。それと、たとえばカーステで聴くならどこかへ行く片道の運転で聴き終えるくらいのトータル・タイムにしたかった。俺たち世代のリスナーのシチュエーションって、カーステだったり会社の行き帰りがほとんどだと思うんですよ。ハンドルを握っていてもヘッドフォンで聴いていても元気が出てくる作品にしたかったし、特に月曜日の朝とかに聴いてくれたら力の湧くものにしたかった。『遥か繋がる未来』の時からはっきりと言ってますけど、重苦しいものや陰鬱になるものはもう要らないんです。俺自身、そういう元気になれる作品を届けたい気持ちが大きいんですよ。
──“PROMISED PLACE”、すなわち“約束の場所”というキーワードはOKIさんの中でかなり早い段階から構想としてあったそうですね。
OKI:ツアーで地方の街まで隅々と旅を回るじゃないですか。「歌うたいのクロニクル」の中に「旅空の下で出会ったおまえと/また次の旅でも会えたら最高さ」という歌詞がある通り、旅こそがまさに我が人生と言うべきものになっている。“約束の場所”とは、そんなめくるめく旅の中から素直に生まれたワードでした。
──旅往く土地土地のオーディエンス、大切な仲間と巡り会える所が“約束の場所”であると。
OKI:そういうことですね。ツアーで各地を巡る旅が自分の中で年々リアルさを増していると言うか、いまの生き方の真ん中に位置しているものなんです。旅への思いが益々強くなってきているんでしょうね。
──ちょっと後ろ向きに聞こえるかもしれませんが、「あと何年こうしたツアーができるのだろう?」という思いがあるからでしょうか。
OKI:ツアーは毎回、「これが最後かもしれない」と思いながら取り組んでいます。己に対して「いつまでもやれると思うな」と常に言い聞かせていますし、先の先のことまでは分かりませんからね。だからこそ一期一会の旅が以前にも増して自分たちの中で大切なものになっているのかもしれない。
──「紺碧の空高く」や「STRAIGHT SOUL'S LULLABY」、「情熱の彼方」でも、果てのある人生だからこそ旅の証を、生きた証を刻み込むんだと高らかに唄い上げていますね。
OKI:時間は無尽蔵にあるわけじゃないし、人生は期限なく存在するものじゃないですから。若い頃に比べてそんなことを実感するようになったんでしょう。
──OKIさんの人生観やいま痛切に感じることがストレートに色濃く反映された楽曲がいつになく多い気もします。
OKI:「歌うたいのクロニクル」というタイトルの通りに、自分なりのクロニクル(年代記、編年史)を書き残しておきたい意識があったんでしょうね。そういうメンタリティだったと言うか。