1994年にデビューしたSUPER JUNKY MONKEY。90年代以降の世界的な潮流となったオルタナ/ミクスチャーロックの最重要バンドとして国内・海外問わず幅広い支持を集めたが、1999年にボーカルの高橋睦が事故で亡くなったことによりバンド活動が休止した状態だった。睦が亡くなってから10年目の2009年に3人のメンバー(KEIKO、かわいしのぶ、まつだっっ!!)によるメモリアルライブを行い、当時と変わらない圧倒的な演奏力とファンの熱狂的な歓迎で大成功のステージとなったことは記憶に新しい。
翌年のフジロック出演からまたしばらくライブがない状態だったが、昨年デビュー20周年を迎えたことをきっかけに、今年の12/25に恒例のクリスマスイベントを久しぶりに開催することが決まった。対バンは、なんと今年結成30周年を迎えたハードコアパンクの重鎮SxOxB、ゲストにはSUPER JUNKY MONKEYと共にミクスチャーシーンを牽引した朋友WRENCH、G.M.F.のvocal Endo、cut-kitを迎える。
今年最後にして最大のプレゼントともいえるこのスーパーハードコア・イベントの前にメンバーにライブへの意気込みを語ってもらった。(INTERVIEW:加藤梅造)
最初から意気投合した
──SUPER JUNKY MONKEY(以下、SJM)のデビュー20周年に何かあるだろうなとは思っていたんですが、遂に5年ぶりのライブが決定しましたね!
まつだっっ!!(以下、つつ):実は去年が20周年だったんです。いまKEIKOがアメリカに住んでるから、アメリカに遊びに行って20周年ライブもやろうぜと話してたんだけど、それがずっとのびのびになっていて…。
かわいしのぶ(以下、しのぶ):それで今年の年末にKEIKOが日本に帰って来ることになったので「じゃあやる?」みたいな。
松田知大(以下、松田):それは帰省ってこと?
しのぶ:そう。普通にお母さんに会いに。ついでにライブ(笑)。
松田:何から20周年なんだっけ?
しのぶ:デビューから。1994年がデビューだから。(※編集註:1994年にメジャーデビューアルバムが発売された)
つつ:うちら結成は1991年?
しのぶ:そうかな。もうよくわかんないね(笑)
──初めてSJMとWRENCHが対バンしたのはいつでした?
松田:高円寺レイジーウェイズか池袋Admだったと思うけど。
SHIGE:ああ、レイジーウェイズは憶えてる。92年か93年。
──お互いの印象はどうでした?
SHIGE:なんでこんなに上手いんだろうって思った。
しのぶ:SHIGEがなかなか私の名前を覚えてくれなかったな…(笑)
──それがこんなに長い付き合いになるとは。
しのぶ:初めの頃はシーンもまだ定まってなくて、特に私達の場合、女性バンドという括りで固められたり、アイドルと一緒に椅子に座ってるお客さんの前でやったり(笑)、やる所がないからノルマ払っていろいろな所に出てました。そんな時期に出会ったWRENCHは「あ、かっこいい。仲良くなれるかも」と思ったバンドでした。
SHIGE:最初から意気投合したよね。
しのぶ:WRENCHは交友関係が広かったから、私達もWRENCHを通じて一気に友達が増えたと思う。
左から、SHIGE、松田知大、南部裕一(SMASH WEST)、
まつだっっ!!、かわいしのぶ
何にもなかった所から徐々にできあがった
──そうしたバンドの交流が90年代以降のオルタナ/ミクスチャーシーンを作っていくことになりますよね。
SHIGE:とにかくおもしろいバンドがたくさんいたね。
松田:何にもなかった所から徐々にできていく感じがあった。
しのぶ:土台がなかったというか、荒れ地?
──ちょうどバンドブームが去った後で、バブル崩壊後みたいな感じでしたね。
松田:荒れ地になってたライブハウスに種を蒔いて(笑)
しのぶ:バラバラの方角からいろんな人達が集まってきた。
──バンド同士がシーンを一緒に作ってる感じがありましたよね。
SHIGE:作ろうとしてたわけではないけど、いろんなバンドと対バンとかやってるうちに自然とそうなったんじゃないかな。
しのぶ:特に睦は対バンを探したりする事にすごく熱心だった。私はのんびりしてたけど。
──アルバム『SCREW UP』はシーンをある意味象徴する作品だったと思いますが、当時聴いてみてどうでした?
SHIGE:うーん、オリジナリティが……確立してました。
しのぶ:無理して褒めなくていいよ(笑)
SHIGE:いや、取って付けたような感じがなかったね。ミクスチャーって紙一重なんですよ。取って付けたのか、本当にやりたい音楽を自分の中で昇華しているのか。
しのぶ:音楽雑誌でも当時はミクスチャーウェルカムなメディアがそれほどなくて、「何がやりたいの?」ってよく言われた。
SHIGE:ヘビーメタルって言われたりね。
しのぶ:その人の得意なジャンルに分類されちゃうから、CDが置いてある棚もバラバラで。
──あちこちでDIYなシーンが勃興してたと思うんです。女性バンドだけのレーベルBENTENのコンピレーションCDにSJMも入っていたりとか。
つつ:その頃は呼ばれたらどこにでも出てたんです。今振り返るとそういったシーンにいたように見えるけど、やってた時はあまり意識してなかったですね。
──シーン自体も目まぐるしく変化していたと思いますが、SJMもすごい勢いで成長してましたね。1stアルバム『SCREW UP』と2nd『地球寄生人/ PARASITIC PEOPLE』だけ見ても、その間の変化はすごく大きい。
松田:その頃の2年間って今の2年とは全然違う。
しのぶ:そうだよねー。今では2年前も3年前もわかんない。うちら老人の会話だね(笑)