画と音のズレを言い当てた名越由貴夫の凄さ
──名越さんによる音響編集も素晴らしいですよね。ヒリヒリとして真に迫る大爆音を存分に堪能できて。
川口:僕が言うのもおこがましいですが、やっぱり名越さんのセンスは凄い。ラフミックスの音と名越さんが仕上げてきた音は格段の差なんですよ。僕が編集の時に聴いてたのは2chの仮音で、16chぶんのバラバラの音を名越さんにまとめてもらったんですけど、凄く見違える音になりましたからね。ただ、DVDの音声は16bitが基本で、名越さんは24bitで仕上げてきたんです。ラジカセとかテレビのスピーカーではその違いがよく分からないんですけど、ヘッドフォンとかで聴くと歴然と差があるのが分かるんですよ。だからDVDになると、多少ステレオ感がなくなるんです。名越さんもその部分を気にしていたみたいですね。
──それはもう規格上のことなので仕方ないですよね。
川口:あと今回は映像と音を別に収録したので、2時間も長さがあると1秒の中の何十分の1くらいでズレてきちゃうんですよ。そのズレを僕が途中で何ヶ所か調整してるんですけど、それを名越さんが気づいて、「いくつかズレてる部分がある」って連絡が来たそうなんです。その名越さんが指摘してきた部分が、どれもちょうどズレが出始めるタイミングだったんですね。それを的確に言い当てる名越さんの感性はホントに凄いなと思って。
──マッドハニーの楽曲使用(「In 'n' Out of Grace」)の許諾がなかなか下りず、最悪の場合カットする可能性もあったそうですね。
川口:そうなんです。MCや休憩も含めて全曲ノーカットで収録するのがコンセプトだったので、マッドハニーの曲だけカットするのはもったいないと思って、名越さんにもしもの時に備えてあの曲の部分にノイズを加えて悪あがきして遊んでもらったんですよ。あと数日で発売が延期になるってところでようやく使用許可の連絡が来たんですけどね。なので、そのバージョンはお蔵入りです。
──こうして1本の作品を作り終えて、川口さんの中でコーパス・グラインダーズに対する視点が変わったところはありますか。
川口:昔と変わらず、自分の好きな音のままでしたね。復活ライブも当時の佇まいや匂いを僕は感じたし、時代を超越した存在感があるなと思いました。ラウンドガールが出てきたり、間にタバコ休憩があったり、どこまで本気でやってるんだろう? みたいなセンスも独特ですよね(笑)。ZEROさんは汗だくでプレイに集中する姿だけでも充分パンチがあるし、それは当時と比べて身体が倍くらいの大きさになった大地さんも然りなんですけど(笑)。最後に射守矢さんと小松さんが参加したセッションもみんな楽しそうで良かったですね。そこに“あの人”が参加しないわけがないって言うか(笑)。
──こうしたDVD作品に川口さんが参加しないわけがないとも言えるんじゃないですか?(笑)
川口:そこが僕の“業”、『センボウノ“ゴウ”』なんでしょうね(笑)。漢字が違うかもしれないけど(笑)。
──『山口冨士夫 皆殺しのバラード』や『kocorono』、『77BOADRUM』といった劇場用映画、イースタンユースの『ドッコイ生キテル街ノ中』や『その残像と残響音』といった音楽ビデオ作品、数々のMVなど、音楽映像の中にもさまざまな形態が存在しますが、向き合うスタンスはそれぞれ違うものなんですか。
川口:その時々の仕事の依頼のされ方や状況にもよるんじゃないですかね。たとえば『kocorono』は劇場公開する作品という依頼で、それがDVDでということであれば、そういう作りにしていただろうし。強く意識しているわけじゃないですけど、作り分けをしているのかもしれませんね。冨士夫さんの映画はそういうことを意図的に無視して作ったところはありますけど。劇場公開する作品はファンだけじゃなく、冷やかしを含めて見に行く人もいるからリアクションが面白いんですよね。
──劇場用映画の場合は、不特定多数が見るゆえに第三者的な視点をいつもより多く盛り込んでみたりするんですか。
川口:一応、頭のどこかで考えているのかもしれません。『kocorono』はそういうことも多少考えて作りましたね。自分なりに劇映画とか一般的な映画としても通用するものにしたいと意識していたので。実際そうなってるかどうかは別ですけど、だからこそ完成させるのが大変でした。その経験を踏まえて臨んだ冨士夫さんの映画は、活動の歴史が長いので3部作にする構想も生前にあったんです。作る上では『kocorono』の時と同じように一般にも通用するものにしたいという意識だったんですけど、冨士夫さんの映画のほうはアーティストにも見る人にも媚びない方向に最終的に振り切ったところがありますね。
──川口さんの作品はどれも単なるヨイショで終わらせないと言うか、主役となるアーティストに媚びない姿勢が一貫している印象があるんですよね。
川口:媚びた作品でも条件次第で引き受けます(笑)。ただ『kocorono』の場合は、自由に作って欲しい、バンド側に媚びなくても構わないという発注を自分なりに全うしただけなんです。冨士夫さんの映画に関しては、ご家族に対する気遣いをしつつ、自分が作りたいものを忠実に作らせてもらった感じですね。自由に作らせてもらうのがOKだったからやれたと言うか。
──これがMVになると、ドキュメンタリーよりも普遍性を求められますよね。
川口:MVとドキュメンタリーでは作り方が全然違いますけど、客観性はどの映像作品でも強く意識しています。不特定多数が見る作品だからこそ、自分らしさを貫いたほうが逆に浮いて面白いとか考えたりもするし。
──その“自分らしさ”とは、具体的にどういうものだと思いますか。
川口:どうなんだろう。あまり深く考えたことはないですね。『kocorono』にしろ冨士夫さんの映画にしろ、表現する人のそのままを知って欲しい、感じ取って欲しいっていうのは常に頭にあるんですけど。