さる11月30日にCLUB CITTA' 川崎で開催された『SHINJUKU LOFT 15th ANNIVERSARY LOFT MUSIC & CULTURE FESTIVAL 2014』で5年振りに再始動したRadio Caroline、武藤昭平 with ウエノコウジとしての活動も精力的に続けている武藤昭平率いる勝手にしやがれの2マンというまたとない好カードが来たる2月13日(金)にルーフトップと新宿ロフトの共同主催で行なわれる。これまで幾度となく共演を果たしてきた両者だが、がっぷり四つに組んだ2マンは実に9年振り。今回はRadio Carolineの復活に勝手にしやがれが華を添える形だ。
ライブ開催を前に執り行なったこの対談だが、両バンドをつなぐキーマンであるウエノコウジはあいにく欠席。だがそのぶん、ストイックに音楽と向き合うウエノの人柄が盟友たちの会話から垣間見れるのではないだろうか。[interview:大塚智昭(新宿ロフト店長)/構成:椎名宗之]
──レディキャロと勝手にしやがれの2マンなんですが、調べてみたら、前回は2006年12月3日に新宿ロフトでやってますね(『SHINJUKU LOFT 30th ANNIVERSARY “ROCK OF AGES 2006”』)。
武藤:ああ、そうだったね。
PATCH:じゃあ、今度の2マンは9年ぶりってことか。
楠部:そんなに経つんですか!? ヤバいですね。
──9年前が初めての2マンだったんですか。
武藤:多分そうだね。対バンはちょこちょこやってたよね、仲が良かったから。真也君はウチに鍋を食いに来てたし(笑)。
楠部:そう、武藤さんにはプライベートでも凄くお世話になってたんですよ。
──それはレディキャロの前から?
武藤:いや、キャロになってからかな。
楠部:僕は普通に勝手にしやがれのファンだったんで。『デカダンス・ピエロ』(2003年3月発表)を聴いて、凄い感銘を受けて。
武藤:「祈りのオリオン」を気に入ってくれてね。
楠部:あれはとにかく名曲すぎて、今でも大好きなんです。
──真也さんがニートビーツの頃はそこまで親交がなかったんですか。
武藤:ニートとは、真也君がいなくなってから仲良くなったかもしれない。
楠部:でも、僕がまだニートをやってた頃に『小岩井ロックフェスティバル』(2003年8月23日)で勝手にしやがれとは一緒でしたよね。
斉藤:ああ、大雨だった時のライブだ。
楠部:そうそう。その時に話をしていたはずなので、交流はあったのかも分からないですね。
武藤:俺の呑み友達にファッション雑誌の編集者がいて、真也君と俺をモデルに使ってくれたこともあったよね。
楠部:ありましたね。武藤さんとは同じドラマーとしてつながりがあって、よく呑み友達を紹介してくれたんですよ。
──PATCHさんと武藤さんはいつ頃知り合ったんですか。
武藤:それもキャロになってからかな。
PATCH:武藤さんは全く覚えてないと思うんだけど、タワーレコードで倉山(直樹)さん仕切りのイベントがあって、そこで初めて紹介されたんですよ。俺がまだGYOGUN REND'Sをやってた頃かどうかは忘れちゃったんだけど。楽屋で倉山さんに「勝手にしやがれの武藤、知ってるでしょ?」って当たり前のように言われて、「いや、会うのは初めてです」って答えたら、「エエッ、知らないの? 九州の人間だよ!?」なんて言われて(笑)。
武藤:その倉山イズム、意味分かんないよ(笑)。
PATCH:俺がめんたいロックを好きっていうのを知ってたからかもしれないけど。
武藤:そっかぁ、そんなこともあったっけ。
PATCH:俺は『BLUE JUG』(1979年から1986年まで刊行されていた福岡の音楽専門誌)に武藤さんが載ってるのを見たり、一方的に知ってましたけどね。
武藤:それを言ったら、俺は『DOLL』にGYOGUN REND'Sが載ってるのを見て、PATCHって怖い人なんだろうなと思ってたよ。俺より年上なんだろうなってずっと思ってたし(笑)。
PATCH:それじゃウエノさんより年上ってことになっちゃいますよ(笑)。まぁ、昔から老け顔なんで、言われ慣れてますけど(笑)。
──武藤さんとウエノさんが最初に会ったのは?
楠部:ミッシェルの時ですよね?
武藤:そうだね。ウエノ君は俺が前にやってたハンドレッズのことも知ってくれてたんだよ。こう見えて俺も芸歴が長いからさ(笑)。まだ小滝橋通りにあった頃のロフトにザ・シャムってバンドで出たことがあって、それがハンドレッズになったんだけど、勝手にしやがれの初ライブは小滝橋通りのロフトだったからね。1997年の7月11日(『THE COLTS スペシャル』)。
PATCH:初ライブが旧ロフトだなんて、エリートですね(笑)。
楠部:エリート街道まっしぐらじゃないですか(笑)。
武藤:でもね、当時は「俺、ハンドレッズってバンドをやってたんです」って、ロフトの事務所に勝手にしやがれのプロフィール一式を持って行った覚えがあるんだよ。「良かったら出させて下さい」って。
楠部:ミッシェルの名前が出てきて思い出したんですけど、何かのイベントで、ミッシェル、勝手にしやがれ、ニートって組み合わせもありましたよね。
武藤:あったね。リキッドルームじゃなかったっけ?
斉藤:新宿にあった頃のリキッドですね(『C.B.B.W〜level.4〜』、2003年3月20日)。
武藤:その時、ROCKIN' ICHIRO君とかもいたよね。
楠部:いましたねぇ、めんどくさい系の人たちが(笑)。ROCKIN' ICHIRO & BOOGIE WOOGIE SWING BOYSは1月に結成20周年のライブをやりますよね。それに向けて(浜辺)シゲキ君の顔が若干引きつってるように見えたけど(笑)。