音楽と仕事の両輪あるバランスが理想的
──『broken words refuse me』というアルバム・タイトルにはどんな意味が込められているんですか。
太田垣:作品のタイトルは収録曲の歌詞から取るっていうのが昔から暗黙の了解なんですよ。昔、今回のジャケットと全く同じデザインのTシャツを作ったことがあって、そこに「stockholm」の歌詞が書いてあったんです。で、滝が「これがタイトルでいいんじゃないか?」って言って、確かにしっくり来るなと思って決めました。特に深い意味はないです。
田島:候補は他にもあったんですけどね。『脱法アルバム』とか(笑)。
滝:『broken words refuse me』以外にまともなアイディアが1個も出なかったんですよ。一度『脱法アルバム』に話がまとまりかけたんですけど、政府発表で「脱法ドラッグ」が「危険ドラッグ」と呼ばれることになったから、『危険CD』にしようかって話にもなったし(笑)。
太田垣:そういう時事ネタを盛り込む感じだったんですよ。呑みながら話してるとホントにダメで(笑)。
チャック:『CAN'T STAP ○○』っていうのもあったよね(笑)。
──『broken words refuse me』に落ち着いてホントに良かったです(笑)。それにしても、こうした公式の音源をもっと早く聴いてみたかったですね。
滝:このアルバムを作る前は解散してましたからね。
田島:2枚目のデモを作ってからどれくらいで解散したんだっけ?
太田垣:半年くらいかな。
滝:次の展開も見えてこないまま解散をして…まぁ、解散はしたけど、ライブは何本かやっちゃってたんですよね(笑)。
太田垣:半年に1回くらい、こっそりやってたんですよ(笑)。
田島:友達にも怒られたからね。「なにが解散だよ!?」って(笑)。
チャック:でも、最初の1本目のライブは1年くらい空いてたよ。言ってもまぁ、1年だけどね(笑)。
滝:解散中は曲を作るっていう発想がなかったんですよ。曲を作ったところで、解散してるしなぁ…っていう。「よっしゃ、しっかり曲作るぞ! アルバム作るぞ!」ってなったのは再結成を決めてからなんです。
太田垣:またjamming O.P.をやろうかってことになって、「photograph」は最初に入ったスタジオで1日で出来た曲なんですよ。
滝:あれはよく出来たよね。今までの曲のなかでもトップクラスで複雑なのに。みんなで酒を呑みながらワーッと作ってたら、すぐに出来ちゃった。やっぱり、それまで積もり積もったものが爆発したんじゃないですかね。
──再結成以降、ライブをやるのもマイペースなんですよね?
太田垣:それぞれ仕事があるので、なかなか動けないんですよ。
滝:基本的に週末しか動けないしね。土日でも危うい時があるし。
太田垣:週末は滝が忙しかったりもするんで。対バンに誘われても断っちゃうことが多いですね。
──音楽と仕事の両輪しっかりあるのが理想なんですか。
太田垣:そうですね。個人的にはどっちがなくてもムリだなと今は思っていて、バンドがないと仕事が辛すぎるし、仕事がないと伸び伸びとバンドがやれないし。普段の生活のなかからバンドにフィードバックできる部分が凄くあるので、今のバランスが理想的なんです。
──こうして話を伺っていると、サークルみたいなノリで力まずワイワイやるのがjamming O.P.には合っているんだなと思いますね。
田島:そうでしょうね。極論を言えば、マジメにはjamming O.P.をやりたくないし。
太田垣:この10年間、俺らと同じバンドをやってた仲間たちがどんどんやめていって、たまに会えば「お前ら、まだバンドなんかやってんの?」って言われるんですよ。バンドとは何か? 売れる売れないってどういうことだ? って真剣に話し合ってた仲間たちに。もちろんそれぞれの生き方があるし、幸せの形は人それぞれですけど、俺たちは今もこうしてバンドをやりながら生活をしているのが凄く楽しいんです。だからどっちも失いたくない。
──滝さんのなかで2つのバンドはどんなバランスなんですか。
滝:2つとも同時に始まったバンドなんですよ。だから最初から2つのバンドをやってるのが当たり前だし、jamming O.P.の解散は俺が脱退した形だったんですけど、解散中は自分が抜けた実感がほとんどなかったんですよね。
太田垣:まぁ、解散してもライブをやってたくらいだしな(笑)。
滝:jamming O.P.もやっぱり凄く楽しいし、2つのバンドをやりながら双方にフィードバックがちゃんとあるんですよ。あと、タジ君が言うようにjamming O.P.をマジメにやりたくない気持ちは俺もちょっとあるんです。俺は大学を卒業してから2、3年くらい別のバンドを凄く突っ込んでやってたし、3人もALL IS VANITYという別のバンドをやっていて、そこで大量の曲を作って恐ろしい数のライブを繰り広げていたんです。そういうのが一周して今に至ると言うか。それぞれ別のフィールドでさんざんやり込んだ時期があったからこそ今があるんだと思いますね。