日常の風景と人間の煩悩をそのユーモアで切り取り、常に中毒性の高い笑いを生み出す天才。そんなせきしろさんとバッファロー吾郎Aさんのお2人が今回も最強タッグを組み、世間が夏フェスで湧く中ロフトプラスワンを1日ジャックしてのイベントに挑戦する。今回はお2人の出会いに遡りその共通点を探るとともに、各イベントの見所について伺った。(interview:轟木愛美/新宿LOFT PLUS ONE)
お2人の出会いとユーモア軍団誕生まで
——お2人はとても仲のよいイメージがあるのですがその出会いはいつですか。
バッファロー吾郎A(以下A):20年くらい前になりますかね、バカサイ(『バカはサイレンで泣く』)のイベントにゲストで呼んでもらって初めてお会いしました。
せきしろ(以下せ):震災前だったか後だったか。もう全然覚えてないですね。
A:「軟式空手」というライブもあって。相方とせきしろさんと天久さん(天久聖一)とで、横一列に並んで天久さんがよしと言うまで延々ツッコミのない大喜利みたいなものをしてました。当時ダウンタウンの浜田さんに憧れていたので、これでいいのかってその時はかなり悩みましたね(笑)。
せ:そうだ、やってたね。
A:ザリガニとじゃんけんをするというコーナーがあって。その時からせきしろさんがデータ担当で、「87%くらいの確率で相手はチョキを出す」と言うんですよ、それでこちらはグーを出して見事勝つという結末で。それが今のユーモア軍団の核に繋がるというか。
せ:ぼくは木村くんを見て自由にやることの面白さを知ったんですよ、あと英語の使い方が勉強になります。
A:ぼくらの時代は「アタックチャンス!」とか「ハンマープライス!」とか英語が流行ってましたからね。
——その当時から今のように一緒にお仕事をする機会は多かったんですか?
A:その後『デラべっぴん』というエロ本で一緒に連載をもつようになって「ダダボヨ」というコーナーを始めたんです。当時ぼくは大阪にいたのでFAXや手紙でネタを送り合って。それで交流が始まりました。
——お2人は同い年で誕生日も近いですよね。
A:そうです。昔はTVくらいしか娯楽がなかったので、同世代だとだいたい同じ所を通ってるんですよ。だから自然と話が合う。
——私は2008年のロフトプラスワンでの落合記念館ゲームが印象に残ってて。キングオブコントの決勝前日だったので、せきしろさんがお客様からA先生への応援メッセージを集める色紙を回してましたよね?
せ:あれ、誰がやってたんですかね?
A:絶対せきしろさんでしょ!あれは嬉しかったです、接待ゲームで優勝してね。
——お2人の中で印象に残っているエピソードはありますか?
せ:ぼくは「ミュウ」です。当時ポケモンが流行ってて、ずっとミュウを探してたら木村くんがくれたんですよ。
A:そうだ!仕事関係でたまたまミュウを持っていてせきしろさんにあげたんです。
せ:それがきっかけで仲良くなりました。
A:ぼくは離婚する直前に、『去年ルノワールで』を読んで家に置いてたら、奥さんの部屋から笑い声が聞こえてきたんです。その時は離婚も決まっててほとんど話をすることもなくなっていたのですが、気になって部屋を覗いてみたらその本を読みながら奥さんが笑ってたんですよ。ぼくはそれまで活字を読んで笑うという経験がなかったのでそれを見て衝撃を受けましたね。改めてせきしろさんはすごい人だな、と。それがきっかけでぼくは小説を書き始めたんです。
——そんないいお話が!一昨年には『煩悩短編小説』という共著も出されてますもんね。お2人と言えば「ユーモア軍団」ですが、初登場はいつですか?
せ:中野サンプラザでの「言語遊戯王」ですね。今回全イベントの先行チケットを買ってくれた人にはその時のTシャツをプレゼントするつもりです。
——入りたいという方がたくさんいらっしゃると思いますが。
せ:誰がユーモア軍団かというのは最近曖昧になってて。この間A先生と「高橋(キングオブコメディ高橋健一)はどうだったっけ?」みたいなメールをしたばかりです。ちゃんとした試験をしたのは尾関(ザ・ギース尾関高文)くらいですよ。
A:尾関だけは稽古までしてしっかりやりましたもんね。あの時はユーモアクリスタルが光ったから何とかユーモア軍団に入れましたが。
ザ・ギース高佐一慈(以下高):他の人は推薦入学みたいにすっと入れたのに尾関だけがでしたね。