Hermann H.&The Pacemakers(以下:ヘルマン)とは、1998年に結成され、翌年ワーナーインディーネットワークからリリースしたミニアルバム『HEAVY FITNESS』を発表すると同時に、独特のメロディ・センスや日本語と英語をバランス良く散りばめた歌詞、そしてウルフというステージのまん中で踊りまくる人がいたりと話題が話題を呼び、一気にライブハウスシーンの最先端に上り詰め活動をしていたバンド。しかし、2005年活動休止を発表。そこから7年の月日が経った2012年、一夜限りの再結成ライブを恵比寿リキッドルームで開催、6月には待望の活動開始と、その後2003年に脱退した平床政治(ギター)の再加入が発表された。今年3月には、新曲が1曲収録された全22曲入りのベスト盤『The Best Of Hermann H.&The Pacemakers』をリリースし、4月には大阪と東京でリリースワンマンライブが予定されている。個人的にも、彼らの活動再開を待ち望んでいたので、こうして活動されることはとても嬉しい。
今回は、現在新宿ロフトで開催中の"SHINJUKU LOFT 14TH ANNIVERSARY"の5月12日公演に出演して頂くという縁で、当時から新宿ロフトのブッキングを担当していた樋口寛子女史と共にインタビューを敢行。新しい音楽を作るために再び動き出した彼らに、当時の事から今に至るまでじっくりお話を聞いた。(interview:やまだともこ)
ヘルマンの音楽をもう一度だけ、
世の中にどうだったのかを問いてみたかった
── 何度も聞かれていると思いますけど、どうして再始動を決めたんですか?
岡本洋平(ボーカル、ギター):当時、活動休止と言っていたけれど再始動する気はなくて、しばらくはウルフにも溝田志穂(キーボード)にも会ってなかったんです。それで、活動休止して4〜5年ぐらい経ってからかな。普通に友達同士としての関係が戻ってきて、飲みに行くようになったり遊びに行くようになったりして、その時に1回ウルフが「(もうヘルマンは)やらないの?」って言ったことがあったんだけど、その時俺は乗り気じゃなかったんです。でも、外部の仕事でいろんなミュージシャンと組んでやっていても、みんなが「ヘルマンやらないの?」って言うんです。俺は、「それ昔話だよ」という感じもあったし、ヘルマンの音楽は聴きたくないぐらい何年も離れていたんだけど、そんなにみんなが熱意を持って言ってくれてるヘルマンの音楽ってなんだったんだって、1回ちゃんとインディーズのアルバムから聴いてみたんです。そしたら、時代に流されずにやりたいことをやり通してたバンドだったんだな、かっこいいバンドだったじゃんって自分で思えたんですよ。そう思った時にハチャメチャに作っていた音楽をもう一度だけ、一夜だけでも良いから世の中にどうだったのかを問いてみたいという気がしたんです。活動休止という状態だったし、本当に一夜限りしかやらないかもしれないけれど、やってみないかってオリジナルメンバーに声をかけて、昨年の2月6日に恵比寿リキッドルームでライブをやることになったんです。
若井悠樹(Wolf):予兆はあったんです。岡本が、「ヘルマンの昔のライブ映像がけっこうかっこよくてさ」って言い出して、もしかしてやる気か? って。
岡本:そのライブでは政治には出演を断られて、オリジナルは俺とウルフと溝田で、あとはサポートという形になって。7年半ぐらい活動休止していて、ライブを見た事がない人もいる中で、ステージに立つのがオリジナルメンバーではないし、一体どれだけのライブが出来るんだろうって、ライブをやる前はすごく怖かった。ヘルマンは上手に成立していれば良いバンドじゃないから、どれだけのものを見せられるんだろうって。でも、あのライブが完璧だったかはわからないですけど、サポートにも恵まれて、俺らが昔作っていた音楽は今ここにいる人を含め、懐かしいという感じだけじゃなく、ロックンロールとしてちゃんと刺さってるというのを実感して、あのライブをやったことでもう1回ちゃんとヘルマンを再始動したいと思ったんです。
── リキッドでのライブを見た時に、懐かしい感じはもちろんあったんですけど、それ以上に10年以上も前の曲なのに全然色褪せてないというか、変わらずにかっこいい音を鳴らしてると感じたのと、当時と変わらずにステージと客席のコール&レスポンスが出来上がっていたりとか、自分も含めてですけど待っていた人がこんなにいっぱいいたんだなというのはすごく感じました。
岡本:6年しか活動してなくて7年以上休んでいたので、忘れられていてもおかしくないと思うんですけど、5月にお世話になるロフトとか、そこで対バンする忘れらんねえよの柴田くんとか、自分たちが活動をしていなくても、他の人たちが忘れないで広げようとしてくれていたことは幸せだと思うし、当時俺らがいろんなものに左右されずにやっていたからなんだなということは改めて思いましたね。これだけ間をあけても、またシーンに戻って来れたっていうのが嬉しいし、やってたことが間違ってなかったという実感があります。
── リキッドのライブ直後には、次はどうしようみたいな話になっていたということなんですか?
岡本:いや、その時は何にも決まってなかったよね。
若井:打ち上げで、グローバー(Jackson vibe / SKA SKA CLUB)がずっと、「ヘルマンはエアロスミスだ!」とよくわからないことを言ったんだけど(笑)、「このままやれよ!」と言ってましたね。でも、この後は成り行きだよねっていう話はしました。
もう1回新しい音楽を作るという思いで集まった
── リキッドのライブで平床さんはアンコールで1曲ギターを弾かれましたけど、本編を見ていてどうでしたか?
平床政治(ギター):頑張ってるなーって思いましたよ。ウルフは動けてなかったけど。
若井:なんだよ(笑)。
平床:あの時は前日に「見に行っていい?」って岡本に連絡したら、「見に来るんだったら1曲弾け」という話になったんです。
岡本:さんざん一緒にやるのを断られたのに見に行ってもいいかって言うから、見てる平床をファンが見たらどう思うんだって。だったら、アンコールで最初に一緒に作った『One, Two, Three, Four』をやるから一緒にやろうって。そしたら電話を折り返すって言って、1分20秒ぐらい考えて「わかった」って。でもその時点では、もう1回戻るというわけではなかったんだよね。
── どういう経緯で再加入を決めたんですか?
平床:僕はヘルマンが活動休止する前に辞めていたし、岡本からもう1回やるからやってくれないかという話が来たんだけど、10年前の話ですよ? 僕の中では完全に終わっていたことだったから、「いやー、ちょっとー」って言ったんです。ヘルマンって音楽だけで繋がっていた仲じゃなくて、仲間の悪ノリみたいなもので、みんなで束になれば自信があるみたいな気持ちでやっていたし、正直自分の中ではもう一度一緒にやるということが想像出来なかったんです。
岡本:そこから、昨年のリキッドを機にまた飲みに行ったりするようになって、うちに政治が家族で遊びに来たりとかして。
若井:その時に、あいつやりてえんじゃないかなって、前向きな見解を俺と岡本はしていて(笑)。
平床:何回も誘われて、3人で飲みに行くわけですよ。怪しい雰囲気満載なんですよね。
若井:怪しかったよね、どう考えても(笑)。
平床:こいつらまたやりたいんだろうなって匂いがプンプンしてた(笑)。そういう流れで、昔みたいなノリが戻ってきてた昨年の夏ぐらいに「もう1回ヘルマンをやろうと思って」という話を聞いて。「とりあえず何曲か作っているから聴いてみて」ってデモを渡されたんです。
岡本:政治がうちに遊びに来ていて、良い感じに酔っぱらってて。その時点で政治に詞を書いてもらいたいという前提で4〜5曲デモを録っていたんです。そしたらデモを聴いた政治が、これならイメージが出来るって言ってくれて。
── まわりが固められていたと言うか、ノーとは言えない感じもありました?
平床:それはあるかな。さすがに何を理由に断れば良いのかわからなくなってた(笑)。
若井:断る理由はなかったということだね。
平床:でも、みんなが良いテンションで新しいものを作っていけるかなという感じはあったんです。
岡本:今ライブをやったり、音楽に対する気持ちもそうだけど、昔のことをもう1回やろうというつもりはなくて、古い曲を演奏する時もそうだけど、バンドを始めた時みたいなモチベーションで作曲もやれてる。もう1回新しい音楽を作るんだという思いの元に政治も戻ってきてくれたから、昔話の続きをやりますじゃなくて、こうなるために何年間もかかって一緒になったんだなっていう感じですね。
── 新しいバンドという感じですか?
岡本:新しいバンドというよりは、ヘルマンを始めた時の熱量に戻れている。そういう熱量で昔の曲も演奏しているし、新しい曲もやるし、新しいものも作っていくつもりだということですね。それは昔の曲も含めて、自分らの音楽を俺らが鳴らせばちゃんとかっこいいものになれる感じというか。べつに狙わずとも、行けるんだろうなって思ってます。