2013.1.25に目黒鹿鳴館のワンマンからスタートした『STEREO.C.K』。
次が2度目のライヴとなる彼らと、今年の4月に歌舞伎町に移転して14年目を迎える新宿LOFTとが共催イベントを新宿LOFTの14周年アニバーサリーとして開催!
その記念すべきイベントに出演してくれるのは『defspiral』と『12012』。
この対談を読めば、kazu、RYO、塩谷の3人の関係性がよく分かるはず!!
ちなみにこの対談後、3人は歌舞伎町の街へと消えて行きました...(笑)。
観なきゃ損するこの3マン! 対談を読んで、ガッツリ楽しみに来てくださいね。
(interview:かさいかおり/photo by:o-mi)
ーーみなさんの出会いを教えてください。
kazu:出会いですか…。
RYO:ご無沙汰してます、ですね。
kazu:そうですね、ご無沙汰してますね。
塩谷:さっき久し振りやって話してましたね。
RYO:そうそうそう。何きっかけだっけ? リミテッド?
kazu:RYO君は事務所の先輩です。90…あんま言いたくない(笑)。
RYO:音楽業界がまだ全然バブリーな時代のね。ちょうど上京して所属した事務所の後輩になるね。
kazu:何年に入りました?
RYO:98年だったかな?
塩谷:あー、長い付き合いですね。
kazu:僕らが99年かな? TRANSTIC NERVE(当時のRYOの在籍バンド)がインディーズで1枚CDを出して、メジャーへ行ったすぐ後ぐらいですね。TRANSTIC NERVEがインディーズで所属していたレーベルから出そうって事で僕ら(RESEARCH)が入ったんですよ。
RYO:あの頃ってバンド沢山居たよね。
kazu:そうですね。僕らが入った後にわーっと入ってきましたね。サイコ(Psycho le Cému)とか。
RYO:Psycho le CémuもSWEET(GROUP)に行く前は、このレーベルに居たの。
塩谷:おー、姫路のバンドですよね。
RYO:そうそう。
ーーkazuさんとRYOさんは同じ事務所に所属していた時に、事務所内で会ったりした事はあったんですか?
RYO:会った? 俺らのライブに来てくれたりとかはあるよね。
kazu:そうですね、ライブに行ったりとかはありましたよね。
RYO:RESEARCHが解散する時も連絡取り合って観に行ったりしたなぁ。
塩谷:今日がそのRESEARCH振りっていう?
RYO:(笑)振りやなぁ。蜉蝣の頃とか知らんもん。
塩谷:あっ、そうなんですか!?
RYO:売れたら連絡なくなったから!(笑)
kazu:そんな事ないです!(笑)
一同:爆笑
RYO:RESEARCH終わって、Aioriaやって、その後に蜉蝣やんな。その頃から疎遠になって。1年に1回ぐらいメールが来たとか、そのぐらいじゃない? 「元気してますか?」ぐらい(笑)。
塩谷:ギリギリやなぁ〜。
kazu:だいぶ間が空きましたね(笑)。
RYO:12012は、去年の5月にLOFTで対バンした時に初めてって感じやもんね。
塩谷:そうですね。挨拶ぐらいは何度かさせてもらってましたけど、ちゃんとお話させて頂いたのはその時ですね。
RYO:もちろん存在は知ってたけどね。
塩谷:僕も兵庫県で神戸の方なので、出身が近いということもあって昔から知ってましたし、どっちかと言うとリスナーの立場で聴いてましたね。ちゃんと話したのは、そうですね、LOFTの時ですね。
RYO:この間だね。で、2人は?
kazu:僕らは…。
塩谷:初めて会ったのは…。
kazu:大した知り合いじゃないですね。
塩谷:おーっと! マジっすか!?
一同:笑
kazu:(笑)一応、蜉蝣をやってた時の事務所の後輩バンドですね。
塩谷:そうですね。
kazu:ただ、蜉蝣とは同時期にはいないんですよね。
塩谷:一番最初って何ですかね? 何かのきっかけがあってベース会とかに誘って頂けるようになったんですよね。YUKKEさん(ムック)かな…。yukinoさん(DIMMDIVISION.)かな?
kazu:僕ら対バンしたことあったっけ?(笑)
塩谷:僕、前のバンドの時に多分してますね。
kazu:Matina(事務所)の時?
塩谷:はい。確かLoz’a≠Veria主催のイベントか何かで。
kazu:これ読んでる人、分かんないでしょっ。
RYO:まぁ、知り合って古いという事で(笑)。
ーー10年ぐらい前ですか?
kazu:う〜ん。
塩谷:でも仲良くさせて頂いたのは、ここ2〜3年ですかね。
kazu:2〜3年って事はないかもしれないかな。意外とね〜、結構経ってんだよ。お久し振りですって10何年振りだから(笑)。
RYO:ほんまやで(笑)。
塩谷:5〜6年ぐらいの感覚のはずが。
kazu:そう。我々は大体ちょっと前の事を10年前って言うけど、10年じゃないですもんね、実は。
塩谷:確かに。気付けば中学生の時とかってだいぶ前ですもんね。
RYO:長いね〜、業界結構。
ーー事務所飲み会とかはなかったんですか?
RYO:なかったなぁ。俺らは入った時に、結構上の人達がお酒のトラブルが多かったから、ライヴをやっても打ち上げすらやらせてくれなかったし。O-WESTで東京初ワンマンやって、直帰して、俺、家で米を研いでたもん。さすがに打ち上げはやろうよって事務所に直訴して、それぐらいはやらしてもらえるようになったけど(笑)。だからあんまりそういう飲み会とかはなかったな。当時はみんな閉鎖的なメンバーだったから、なかなかね。
kazu:でもTRANSTIC NERVEは当時もうメジャーだったんで、同じ会社内って言っても、GLAYはまあ別としても、TRANSTIC NERVEも別格でしたね。扱いっていうか…。
一同:笑
kazu:あのー、存在が(笑)。
RYO:まぁ、そんな時代を経て、今やまだみんなバンドやってたっていうね(笑)。
kazu:良い事ですよ。出会いはこんな感じですね。
最初はギターをやりたかったけど…
ーーみなさんが音楽を始めたきっかけと時期はいつ頃ですか?
RYO:僕はね、2つ上の兄貴がいて全部彼の影響だったから。僕が育った兵庫県明石市っていう所はスゲー田舎でね(笑)。もう暴走族するか、音楽するかぐらいしかやることがなかったから、そんな感じですね。
ーーどんなアーティストさんに影響を受けたんですか?
RYO:一番初めはレベッカなのね。土橋安騎夫さんが好きで、キーボーディストだけど。その当時、SONYにFITZBEATっていうレーベルがあって、そこのアーティストがすごい好きでしたね。レベッカや聖飢魔Ⅱやグラスバレーとか。日本のそういう音楽を兄貴の影響で聴いていたのと、後はBOφWYですね。
塩谷:僕もBOφWYですね。
RYO:でも絶対通るよね。
kazu:通ってますね。僕の場合は、同級生が布袋寅泰信者で。だから一番最初は布袋さんですね。もうBOφWYは解散しちゃってたんで。一番最近買ったアルバムも布袋寅泰っていう(笑)。ヴィジュアル系は、LUNA SEAとBUCK-TICKとX JAPANと。
RYO:入口はX JAPANでしょっ、やっぱり。
kazu:入口はそうですね。
塩谷:僕もやっぱりLUNA SEA、BUCK-TICK辺りですね。当時好きになって聴いてたのは、イエモン(THE YELLOW MONKEY)とかジュディマリ(JUDY AND MARY)とかだったんですけど、こういうバンドに憧れて楽器触るようになった時に、友達の兄ちゃんに一番簡単に弾けるのをってBOφWYを教わったんですよね。今思えば、全然簡単じゃないんですけど。
RYO:やっぱりBOφWYは通るんですよ。やってる事やスタイルとかがどこか不良的で、女子はともかく男の憧れだからね。格好良かったですからね。
ーーいつ頃から音楽をやり始めたんですか?
RYO:中2ぐらいにギターを買って。
ーーギターからだったんですか?
RYO:自分の中でヒーローが布袋さんとhideさんだったから。俺が通ってた中学が分校みたいな中学校で、一学年に3クラスしかないの。ギターをやってるっていうのが俺ぐらいしか居ないぐらいの感じでね。だから高校に行ってバンド組めたらいーなーって思ってたんだけど、高校は高校でギターやってるヤツしか居なくて。当時の自分からしたらみんなクソ上手かったしね。それで路頭に迷ってる時に、兄がドラムやってるバンドのベースが居ないから「やれ!」って言われて2回ぐらいライヴを手伝った後に、「そろそろお前自分のベース買えよ」って言われて、あれよあれよとベーシストになったっていう。もちろん弦が少ないっていう理由もあったけど。
kazu:僕もです。
ーーお2人はベースを選んだ理由は何だったんですか?
kazu:僕は、つるんでた友達が元々ギターをやっていて、「俺もギターやりたい」って話をしたら「お前ベースにしろ」って言われて、「何で?」って聞いたら、「そしたらバンド出来るから」って言われて。まぁ、見た目が一緒だったんでどっちでもいいやって。ただあの形に憧れてただけですね。だから最初からベースですね。
RYO:ベースって1人で練習してもおもしろくないから、やっぱりバンドで音を出したくなるっていうね。だからギターを弾きたいとか、ベースを弾きたいとかじゃなくって、バンドを組みたかったんだよね、やっぱり。スタジオに入りたかっただけだったりね。
kazu:後は、どうしても(楽器を)所有したくて弦楽器しか考えなかったですね。ヴォーカルとドラムっていうのは頭になかったですね。
ーー塩谷さんは?
塩谷:そうですね、やっぱりBUCK-TICK、LUNA SEAっていうのが音楽的に好きな中で、Jさんの存在がすごく大きくて。あとは、当時憧れていた女の先輩が割と音楽が好きな人で「ベースは子宮に響くのよ」って言ってて、こっちかなって(笑)。僕も最初はギターかなって思ってたんですけど、弦少ないし。
kazu:最初、何のベース買った?
塩谷:何やろ? 最初はAriaProを買いましたね。
kazu:あー、多いね〜。でも最近我々の周りにAriaProを使っている人、いないね。俺Grecoなんだよね。
RYO:俺、東海のジャズベース。東海だよ!(笑)
ーー当時、ベースを買う時の決め手って何でした?
RYO:一番初めは、自分が持ってる金で買える値段の物しか選択肢がなかったかな。ちなみに僕は店では買ってなくて譲ってもらったけど。5000円で売ってやるって言われて。「5000円で楽器が手に入る!」って興奮しましたね〜。
kazu:僕は見た目と金額ですね。小遣いとお年玉をかき集めて。
塩谷:新品買いました?
kazu:あのね、新古品みたいなやつで、BUCK-TICKの『Climax Together』っていう横浜アリーナのビデオがあって、その時にユータさんが使ってたGrecoのベースと同じヤツを買いましたね。
塩谷:僕は最初、本当はJモデルが欲しかったんですけど、中古で格好良いやつを選びましたね。音とか気にした事がなかったですね。
RYO:まぁ、最初は気にせーへんよね、音は。
kazu:そう言えば、どこに行っちゃったんだろうな、あのベース。
ーー文化祭とかには出てたんですか?
RYO:文化祭には出なかった。
kazu:出た事ない。軽音部に入れなかったもん。
RYO&塩谷:軽音部はなかったですね。
ーー軽音部はないけど、文化祭の時期になったら友達同士でやったりしませんでした?
RYO:やってた人も居たけど。俺ね、高校1年の頃からMASCHERAってバンドのボーヤをずっとやってたんですけど、学校に友達がいなくて(笑)。だから文化祭の時に同級生がバンドやってるの見て、楽しそうでエエなぁって感じでしたね。高校の時の思い出があんまなくて、担任の顔すら思い出せない(笑)。楽しそうやったなー。BUCK-TICKのコピーバンドとかいたな。結構みんな上手やったし。
塩谷:高校の時は割と出ましたね。イエモンやって、NIRVANAやって、マッド(THE MAD CAPSULE MARKETS)っす。
kazu:割とバラバラな。
RYO:その頃からライブハウスに出入りしてたから、あんまり学校でどうのとかはなかったかな。