お金に困ってたから何でもやった
小春:でも、やっぱりバンドっぽいのは欲しかったんだよ。ブラスも好きだし、ドラムも好きだし。
もも:MINORITY ORCHESRTRAの最後あたりのリハで、高校生の頃から一緒にバンド組んでいたドラムのふーちんは「でもふみは小春についていくよ」って言ってて、この人はこの先ずっと小春とやっていける人だって思った。
小春:たぶん『人生のパレード』(3.11震災の2日後に出来た曲。2012年9月発売アルバム『つがいの歯車』収録)みたいな曲をあの時に作っていたら、ワンマンだけじゃなくて演奏するたびに泣いていたと思う。それで、2010年の3月にMINORITY ORCHESRTRAを解散して、6月にチャラン・ポ・ランタンと愉快なカンカンバルカンを結成するんだけど、カンカンバルカンのメンバーは、昔から対バンや仕事で現場が一緒だった人たちで、私が作る曲に興味を持ってくれていた人とか、プレイが好きだって言う人を選びに選んで。トランペットのごまちゃんはMINORITY ORCHESRTRAの最後の何ヶ月とかだけどメンバーだった時期があって、サックスのとんちゃんは小春が17の時に大道芸のイベントで一緒になったことがあって、サックスのオカピはサポートで参加していたバンドのサポート同士だったの。それでライヴをやって8月にチャラン・ポ・ランタンと愉快なカンカンバルカンで1stアルバムを出して。
望月:たぶんその結成後まもないぐらいの時に、僕は黒沢さんに連れられてレッドクロスにライヴを見に行って。
黒沢:僕もその時に初めてチャラン・ポ・ランタンのライヴを見たんだけど、小春ちゃんがよく「初めて見るヤツ手を挙げろ!」って言ってるじゃん。その日も言っていたんだけど、俺らいじられるのが怖くて(笑)。
望月:吊し上げられるんじゃないかって(笑)。
黒沢:それで手も挙げられず(笑)。でも知り合いたいなと思ってたら、ライヴ後に小春ちゃんがフラフラしてて声をかけて。
小春:全然覚えてないんだけど。
もも:小春さんはそういう感じ。嫌なことばっかり覚えてる。
黒沢:その後h.a.p.p.y.(小春がママを務めていた下北沢のバー)に行って、小春ちゃんに「(タワーレコード新宿店で)インストアイベントやってくれない?」って言ったら、「いいよ」ってなって。
望月:そこからやりとりを始めて、いろいろと経て新宿ロフトで“茶乱歩倶楽部”っていうイベント(2人がロフトのバースペースのママとしてグダグダお客さんとコミュニケーションを取る会)を始めてくれて。その時は事務所もなくて、小春ちゃんと直接やりとりしてたんだよね。
小春:ちょうど事務所を辞めた時期だったから。それと彼氏とも別れた時期でもあって“手切れ金”を払わなければならなくて(アルバム『つがいの歯車』収録『潮時』参照)お金に困っていたから、何でもやるという時でしたね(笑)。「“茶乱歩倶楽部”? やるやる! 安くても良いからやる!」って。投げ銭スタイルのライヴもすごくやってた。生活を投げ銭に助けられてました。
もも:その頃の小春って、本当に何でもやる! って、すごくギラギラしてたよね。
小春:手切れ金にしても、払いたくはなかったけど払えないって言いたくないんだよね。お金は払ったんだけど、手元に何もなくなっちゃってアコーディオンを売ろうかと考えたぐらいだった。
黒沢:えー!
小春:結局売らずに済んだんだけど。