来たる12月20日、ロックの聖地である日本武道館で行なわれる『THE SOLAR BUDOKAN』は、太陽光から生まれた電気だけでライヴを敢行するという実に画期的なイヴェントだ。佐藤タイジ(A100%SOLARS/THEATRE BROOK/TAIJI at THE BONNET/The Sunpaulo/インディーズ電力)の呼びかけに賛同した豪華ミュージシャンが一堂に会するこの一大ソーラー・フェスティヴァルには、「未来のエネルギーの可能性についてたくさんの人々と希望を分かち合いたい」という趣旨がある。あの〈3.11〉後の日本で生きる我々一人ひとりにとって、クリーンで安全なエネルギーへの移行は決して避けて通れぬテーマである。そのテーマを共有し、ライヴを通じて再生可能エネルギーの将来性について考えるまたとない機会と言えるだろう。
このインタビューは佐藤タイジに『THE SOLAR BUDOKAN』に懸ける思いを訊いたものだが、彼の論旨はつまりこういうことだ。「抜き差しならぬ困難な時代を生き抜かなければならないという現実を受け容れた上で、ポジティヴな姿勢を忘れずに自分たちの未来を自分たちの手でつくり上げていくこと」。それはこの『THE SOLAR BUDOKAN』にも、THEATRE BROOKのニュー・アルバム『最近の革命』にも共通するモチーフであり、現代人に課せられた大きな宿命でもあるのだ。さぁ、静かに拳をあげよう。伝わることを信じて。(interview:椎名宗之)
「賛成!」と言える座標をなるべく多く作りたい
──今回行なわれる『THE SOLAR BUDOKAN』、当初は「マヤ暦最後の日の前日にあたる2012年12月22日に日本武道館のステージに立とう」という計画だったそうですね(笑)。マヤ文明で用いられていた暦のひとつである長期暦が、2012年12月21日から12月23日頃にひとつの区切りを迎えるという。
佐藤タイジ(以下、T):そう、最初はね(笑)。あながちない話じゃないかなと思って。知ってる? ベテルギウスの話。
──オリオン座の1等星であるベテルギウスが超新星爆発へ向かうと見られる兆候をNASAが観測したという話ですね。それによって、地球にとって2つ目の太陽になる可能性があると。
T:そうそう。世界中の動向を見る限り、そんな終末論もなくはないのかな? と思ったんだよ。で、武道館でライヴをやらずに人類が滅亡するのはイヤだなと。俺、一度も武道館のステージに立ったことがないからさ。
──それ、凄く意外ですね。イヴェントでもないですか?
T:ないない。レッチリとかニール・ヤングとかを見に行くくらいだよ。事の始まりは2010年、THEATRE BROOKのツアーをやっている時に「一生に一度は武道館でライヴをやらないと死ねない」って話になったんだよね。その後に〈3.11〉があって、武道館でライヴをやりたいなんて言ってる場合じゃないってことになったんだけど、震災が起こったからって武道館でライヴをやる夢を取り下げる必要もないんじゃないかと思って。ただ、俺たちを取り巻く状況は大きく変わってしまったし、以前と変わらぬスタイルで武道館でライヴをやるのは違うだろうと。それでちゃんと意義のあるものにしなくちゃいけないということで、「ソーラーでライヴをやればいいじゃん!」っていうザクッとしたアイディアが浮かんだ。なおかつ、それを実現する以上はポジティヴに行きたい。反原発の活動自体は〈3.11〉の前からずっとあるじゃない? 俺自身も六ヶ所村にある核燃料の再処理工場の稼動反対活動に関わっているけど、稼動反対を訴える地元の人たちを、国は金をバラ撒いて力ずくで懐柔し続けている。その構図を見ていると、反対派の地元の人たちが負けグセの付いたチームのように感じたわけ。弱い時の阪神みたいなね(笑)。再処理工場は理論的にも完全に崩壊しているし、もう本格稼働はできないんだよ。政府の中にも「これを稼動させたら日本はおしまいだ」と理解している人が建設中にもいたくらいだしね。
──この再処理工場から空と海に放出される放射能は、1日分で原発1年分になるというグリーンピース・ジャパンの主張もありますしね。
T:そう、だから今も本格稼働には至っていないし、この先も絶対に稼動できない。それなのに、「六ヶ所村の反対活動は必ず勝つんだよ!」って俺が地元の人たちに言っても、“ホントなのかな?”みたいな顔をされるわけ。でも、〈3.11〉以降はもう負けグセの付いたチームではいられないし、FIFA ワールドカップじゃないけど、「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」んだよ(笑)。ただし、『THE SOLAR BUDOKAN』っていう座標は、反原発を声高にブチ上げるものじゃない。闇雲に反対を唱えるのではなく、枯渇性エネルギーに代わる再生可能エネルギーの賛成運動をしていきたいんだよ。反対をし続けるのって人間の精神的にも大変だし、ネガティヴなことだからね。賛成することは反対することよりも精神的にラクだし、俺はみんなが胸を張って「賛成!」って言えるポイントをいくつも作りたい。そのポイントがいっぱいあれば、必ず流れが良くなるはずだから。楽しく「賛成!」って言える座標をなるべく多く作ることが今よりマシな社会作りに繋がっていくんだよ。
──タイジさんは震災の直後から『LIVE FOR NIPPON』と銘打ったインターネット・チャリティ・ライヴを毎月行なったり、インディーズ電力(うつみようこ、高野哲とのユニット)として被災地を回ったり、行動が迅速でしたよね。
T:早かったね。やっぱり、阪神・淡路大震災の時に俺は何にもできなかったから。「お前が被災地に言っても何の役にも立たないし、邪魔になるだけだ」って当時のスタッフから言われて、確かにそうだなと思ってね。音楽を通じて災害の復興支援をするようになったのは、新潟の中越沖地震が起きてから。阪神・淡路大震災の時に何もできなかった自分が悔しくて、その反動があったんだと思う。
利己的な文明に成り下がったままでいいのか?
──今年の『AIR JAM』の東北ライヴハウス大作戦のステージでは太陽光発電と蓄電池でPAと楽器周りの電源がまかなわれていましたが、『THE SOLAR BUDOKAN』ではどうやって太陽光から電気を生み出すんですか。
T:今回はグリーン電力証書を使って(風力や太陽光、バイオマスなどの再生可能エネルギーで作った電気を証書化して取引することで、再生可能エネルギーの普及・拡大を応援する仕組み)、送電網は東電のを利用する。それに対するお叱りも若干あるけど、そういうことじゃないんだよって俺は言いたい。送電網と発電網は早く分けて欲しいけどね。〈3.11〉以降、多くの民間企業が再生可能エネルギーの普及に努めているけど、それに対して国が規制を掛けている事実がある。それも時間を掛けて変わっていくと思うけど、その流れの中のひとつの座標として『THE SOLAR BUDOKAN』があるんだよ。武道館はロックに携わる人間にとって聖地だし、とても象徴的な場所でしょう? その場所で太陽光を使ったライヴをやることに意義がある。実際やるとなるといろんな壁があるし、初めての試みだから成功と失敗の両面が必ずある。それをすべてガラス張りにして発表したい。「自分たちが現状できることはここまでだった」みたいな感じでね。そういうことが後々財産になっていくと思うしさ。
──1万人規模のライヴの電力を100%ソーラー・システムでまかなうことは現実的に可能か? という壮大な社会実験でもあるわけですね。
T:そういうこと。この活動は先の長いものだし、成功と失敗が毎回必ず出てくるはずなんだ。何が成功で何が失敗だったのかを提示することは、後になってみんなで話し合う時に凄く重要になると思う。
──この『THE SOLAR BUDOKAN』がきっかけとなって、いずれは世界中のホールやライヴハウスもソーラー・システムで電力をまかなうことが理想ですよね。
T:そうなって欲しいし、そういう理想を掲げたミュージシャンがいることを世に知らしめたいね。それがいずれは大きな力に変わると思うから。
──タイジさんが太陽の力を信じているのは今も昔も変わりませんよね。「ありったけの愛」の中でも「その上の太陽はありったけの愛だけで出来てると思いませんか?」と唄っていたわけで。
T:そうだね。この星は太陽や月の動きをもとに暦を作ったりしたわけだし、大昔から特別な天体なんだから。それに、地熱発電にしても風力発電にしても、結局は太陽の力抜きでは考えられないしさ。火力発電や原子力発電は明らかにリスクが高いし、事故が起こっても誰も責任が取れない。放射性廃棄物の処理なんて後手後手もいいところでしょう? 〈3.11〉以前の我々が如何に無知だったかってことだよね。たとえば『フジロック・フェスティバル』のアヴァロン・フィールドは、全体の電力をバイオディーゼルや太陽光でまかなっている。そのアヴァロン・チームに相談した時にも言われたんだよね。「何もソーラー・パネルだけがソーラー・システムじゃなくて、地熱発電も風力発電も広い意味で捉えればソーラー・システムと言えるんだから、もっと視野を広げなよ」って。確かにその通りで、この星自体がソーラー・システムなんだよ。海の潮の満ち引きだって、月と地球と太陽の引力と遠心力が影響しているんだしね。〈3.11〉以降、人類の歩みについて考えざるを得なくなってきたけど、今の状態が最終形じゃないわけで、まだまだこの先も続いていくよね。ところが今のままだと放射性物質という毒を後世に遺してしまうことになる。俺、『100,000年後の安全』っていう映画を見てさ。
──フィンランドのオルキルオトにある放射性廃棄物の永久地層処分場に監督自ら潜入して、このプロジェクトの実行を決定した専門家たちに未来の子孫の安全性について問いかける映画ですね。
T:放射性廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖されて、二度と開けられることがないわけ。放射性廃棄物が生物に無害になるまでには最低でも10万年掛かると言われているけど、10万年後にそこで暮らす人たちに放射性廃棄物の危険性を伝える方法があるのか? っていうさ。結局、石版に今ある言語全部で記してみたり、絵に描いて分かるようにするとか、どんどんピラミッドと同じようなことになってきているんだよ。ピラミッドも石版にいろんな文字と絵が遺されているでしょう? それと似てきちゃうし、まさに歴史は繰り返す。今の文明が10万年後に遺したのは放射性廃棄物だったなんて、それは果たして高度な文明だったと言えるのか? 今の時代、その問いを自分たちにせねばならない。
──今のままでは、文明は人間を堕落させただけということになりますね。
T:全然高度じゃないし、とても程度が低くて利己的な文明だったってことになる。実際そうだし、だからこそ今自分たちに何ができるのか? という考えにならざるを得ない。利己的な文明の中で育ったことをちゃんと認識してから何をすべきかを熟考する時期なんだよ、今は。俺の場合、今までずっとマーシャル・アンプを使って気持ち良くレスポールを弾いて唄ってきたし、これからもそうありたい。そのためには電気が要る。ならば電気を生むエネルギーのことを真剣に考えなくちゃいけない。レスポールとマーシャル・アンプが利己的な文明の象徴になるのはイヤだし、それよりも新たな時代の価値観の象徴になりたいしさ。俺は「ありったけの愛」みたいな歌を唄ってきたくらいだから、太陽ありきの文明だという考えがもともとあったんだと思う。