ロフトで育んだ縁が今も財産になっている
──西新宿時代のロフトの頃から応援し続けているファンの方は健在ですか。
渡邉:今も何人かはいますね、有り難いことに。
JILL:ただ、インディーズ時代は圧倒的にお客さんが少なかったですからね。ロフトで月一でやっていた時に対バンを付けてもらったりもしたけど、全然お客さんが入らなかった。
──でも、当時のロフトのスタッフが如何にPERSONZを推しているのかは過去のスケジュールからも窺えますよね。群雄割拠の時代に『Rooftop』でも'86年3月号と'87年8月号で表紙に抜擢されているくらいですし。
渡邉:確かに、応援してくれるスタッフには恵まれていましたね。
JILL:最初、当時の店長さんに「ロフトでやらせて下さい」ってお願いしたら、「満杯にできるのかな?」なんて言われてムッとした記憶がありますね(笑)。それで躍起になったんだけど、動員は厳しかった。初めてロフトで2デイズ['86年12月18日・19日]をやろうとした時かな、「ソールド・アウトになったらステーキハウスへ連れていってやる」って店長さんに言われたんですよ。それで目の前にニンジンをぶら下げられたロバみたいに頑張って(笑)、ホントに連れていってもらったんです。あれは凄く嬉しかったですね。
──さすがロフト、当時から海老で鯛を釣るようなことをしていたんですね(笑)。
渡邉:まぁ、僕らも相当ロフトにはやり返してますから(笑)。
──結成当初からロフトでライヴをやることにこだわったのは、メンバーが出会った場所だったからですか。
JILL:と言うか、ロフトしかなかったんですよ。当時はライヴハウスも少なかったし、あるにしても屋根裏って感じじゃなかったですね。エッグマンでもないし、ルイードでもないし、やっぱりロフトしか考えられなかった。ARBもBOφWYも、ライヴをやるのはみんなロフトでしたから。
──前身のNOTHING PERSONALでも、昼のオーディションなしでいきなりワンマンをやっている['83年11月10日]のが凄いなと思って。
JILL:いわゆるネジ込んだっていうやつですかね(笑)。ライヴをやる前からお客さんとして通っていたし、顔見知りのスタッフもいましたから。でも、'86年の7月にインディーズで『Romantic Revolution』を出すまではとにかく苦戦していましたよ。どれだけライヴをやっても人が増えないし、エラく熱心なファンは10人くらいいたんだけど、みんなまだ高校生くらいでね。動員に拍車が掛かったのは作品を出してからだったんです。それ以降は東名阪でライヴをやれるようにもなったし。
渡邉:あと、その頃にARB OFFICIALがマネージメントとして付いてくれたことも大きかったですね。ARBなんて雲の上の存在だったから畏れ多かったですけど、そんな事務所が関わってくれるようになった時点で「勝った!」と思うのが普通ですよね(笑)。
──ARB OFFICE代表の藤井隆夫さんに熱心に口説かれたんですか。
渡邉:いや、全然(笑)。
JILL:ARBのキースが「凄くいいバンドがいるよ」って社長に薦めてくれたんですよ。
渡邉:藤井さんは、僕らが50万枚くらいアルバムを売った時に初めて「雇って良かった」と思ったんじゃないかな(笑)。
──じゃあ、キースさんはPERSONZにとって大恩人なわけですね。
JILL:ホントに。私は、渡邉君と藤田君が入る前から「凄くいいから頑張りな」ってキースに言われていたんですよ。きっとロフトにブッキングをネジ込めたのもキースのお陰なんでしょうね(笑)。
──ロフトでは、2デイズで深夜を含む3ステージを敢行した『C'mon 2nights』['87年8月27日・28日]のように趣向を凝らしたライヴも印象的でしたね。
渡邉:“PERSONZ祭り”ですね。ライヴ以外にも外でフリーマーケットをやったりしたんですよ。僕が昔使っていたベースを売ったり、本田君はエフェクターを売ったりして。しかもそれ、夜中のロフトの上でですよ?(笑) 今じゃできませんよね。
JILL:深夜のライヴが24時スタートでね。DER ZIBETやZELDAのメンバーたちとラフなセッションをやって。次の日の第3部に(石橋)凌とPANTAとシーナがゲストで出てくれたのかな。
渡邉:誰も呼んだわけじゃないのに鮎川(誠)さんまで来てくれてね。ステージに上がって本田君のギターで弾いてくれたんですけど、僕らもさすがに「やめて下さい」とは言えなくて(笑)。「キーは何?」って訊かれて、「Aです」って答えるのが精一杯でした(笑)。
──少し年上のバンドマンから可愛がられていたのもARBのお陰なんですかね?
渡邉:そうでしょうね。実際に付き合いが多かったのもちょっと年上の人たちだったんですよ。
JILL:同世代のバンドと知り合うようになったのは、デビューして『東北ロックサーキット』に参加してからだよね。アンジーとかZIGGYとか。ロフト時代は年上の人たちばかりと交流していましたからね。
──同世代はBOφWYくらいですか?
渡邉:BOφWYのメンバーも僕らよりちょっと上なんですよ。
JILL:PERSONZを結成した頃にBOφWYはすでにロフトを満杯にしていたしね。
──貢さんが在籍していたAUTO-MODに布袋寅泰さんと高橋まことさんがサポート・メンバーとして参加したり、手を怪我した布袋さんの代わりに本田さんがBOφWYの法政大学の学園祭に参加したり、PERSONZはBOφWYとの交流が盛んだったイメージがありますが。布袋さんは『FUTURE STAR』のレコーディングに参加していたし、PERSONZのロフト30周年イベント['06年1月19日]にも客演していましたし。
JILL:ロフトがライヴ後にバーになって、そこで初めて布袋君と知り合ったんですよ。もっと他にいい呑み屋へ行けばいいのに、当時はみんな夜な夜なロフトに集まっていたんですよね。布袋君との縁もロフトが取り持ってくれた感じなんです。
渡邉:知り合いがよくロフトでライヴをやっていたから観に行って、打ち上げにも参加して、きっちり朝まで呑んでいましたからね。そこでいろんな人たちと出会って、それが今も財産になっているところはありますよね。
















