ここへ来てお客さんとの結束力が強まってきた
JILL:メンバー個々で感じていることは違うでしょうけど、私の場合は不埒な歌詞の歌を一切唄えなくなりましたよね。ちょうど私がラジオをやっていた頃で、番組の中で被災者の気分を害するような言葉を使ったり、震災を連想するような歌を流すことが憚られたりしたんです。それと震災以降、自分たちのレパートリーに別の捉え方ができるようになったと言うか。たとえば「DEAR FRIENDS」は純粋な青春謳歌みたいなところがあったけど、震災以降は被災者を励ますような歌にも聴こえたりして。「PRECIOUS LOVE」にしてもそうで、あの曲の歌詞は湾岸戦争が起こった頃に書いたんです。ベタに社会的なことを書いたわけじゃないんだけど、それも十数年後に9.11以降の世界情勢を取り巻く歌だと捉えられるようになった。シンプルな歌詞だから、聴く人の解釈やその時々の状況によっていろんな意味に捉えられるんでしょうね。
──「2014年に武道館を」と宣言して以降、お客さんの意識も変わってきたんじゃないですか。
JILL:ここへ来てお客さんとの結束力、お客さん同士の結束力が強まってきているんですよね。私たちが夢を持って突き進むことに対して、何らかの形で参加させて欲しいという人たちも多くて。私たちの夢を追いかける姿がお客さん1人1人にとって何らかの励みになったり、生きる目標を持つきっかけになれば嬉しいですよね。若いバンドが若い人たちに向かって「もう一度夢を叶えようよ」って言うのとは重さが違うと思うし。
──10月20日に新宿ロフトで行なわれる『PERSONZ MANIA Vol.03』、来年の1月12日に赤坂ブリッツで行なわれる『PERSONZ DREAMERS ONLY SPECIAL 2013』は、夢の実現に向けた前哨戦的な意味合いもあるわけですね。
JILL:いきなり武道館に行くことはできないので、ちゃんと段階を踏んでいこうと思ったんですよ。バンド・ブームに乗ってステップアップしていた頃はそのタームが凄く早かったんですけど、今は今なりのタームでやっていこうと思って。ロフト祭りと赤坂ブリッツの昼夜公演はそれぞれ全く趣向の違うライヴにしようと思っています。
──去年の『PERSONZ MANIA Vol.02』は西新宿ロフト時代の楽曲オンリーで構成された貴重なライヴでしたが、今年はどんな内容になりそうですか。
貢:Vol.02までは「あの曲もやれるよね?」みたいな感じだったんですけど、さすがにVol.03ともなると「この曲もやらなくちゃいけないんだ…」っていう感じになってきましたね(笑)。今度のロフトはそういう曲を遂に蔵出しすることになりそうです。
──当然のことながら、今やることに衒いがありますよね?
貢:いろんな理由があるんですけどね。単純に物理的な問題でやれない曲もありますし。たとえば本田(毅)君が昔使っていたエフェクターが今はもうなくて、あの独特の音が再現できないっていうこともあるんですよ。僕らは「別にその音じゃなくてもいいんだけどなぁ…」と思っているんだけど、本田君には「いや、あの音じゃないとできないんだよ」って真顔で言われちゃうので(笑)。ライヴでやってリアクションが今ひとつだった曲ももう一度見直して、今はふるいに掛けている段階ですね。
──ふるいに掛けられた曲を再現してみて、新たな発見もあるものですか。
貢:ありますね。曲の構成やアレンジが新鮮に響いたりして。「なるほど、昔はこういうことを考えていたんだな」と思いますよ。
JILL:私は昔の曲もちゃんと覚えているし、テープを起こして聴き直したりもしたんだけど、他のメンバーが覚えていなさすぎなんですよ。藤田(勉)君なんて、何を叩いているのか全然分かっていなくて(笑)。
貢:それは人となりの問題ですね。「こんな曲は絶対に叩いたことがない」って平気で言いますから。あなた以外の誰が叩いていたんだよ!? っていう(笑)。
JILL:まぁ、自分で書いた曲でも忘れるくらいだからね(笑)。
──貢さんは覚えているほうですか。
貢:一応覚えていますね。忘れていても、意外と手なりで弾けちゃうことが多いですし。ただ、「今だったらこんな構成にはしないな」って思うことがありますよね。
JILL:そう、立て込んでいるんですよ。1曲の中でアイディアを詰め込みすぎ(笑)。
貢:あと何小節かでエンディングを迎えるところで転調していたりとか。「いいじゃん、このまま終われば!」って思いますね(笑)。
JILL:インディーズ時代の曲は、私以外の3人が作っているのが多いんですよ。プレイするのが楽しいからアレンジも凄く凝っているんです。ただ、誰が作曲したのかをもう覚えていないんですよ。「これ作ったの本田君でしょ?」「違うよ!」みたいな話になったりして(笑)。確かに曲の原型を持ってきたのは本田君かもしれないんだけど、アレンジを詰める段階で渡邉君のアイディアでガラッと変わったことも大いにあり得るわけで。メジャー・デビューしてからはメロディ・メーカーである渡邉君の作る曲がメインになっていくんだけど、その一方で“裏PERSONZ”みたいな感じで藤田君と本田君の存在があった。本田君が抜けた後は、渡邉君1人じゃ大変だから私が割とシンプルな曲を作って、それがシングルになったこともあって。そんなバランスで曲作りをしていると、初期の頃のような自由な感覚がなかなか出てこないんですよ。3人も曲作りには長けているんだから、もっと自由にやればいいのにと思うんですけどね。まぁ、藤田君の場合は自由にやらせると江戸時代の大衆音楽に行っちゃうから、それはそれで問題なんだけど(笑)。
















