「ビッグママ・ヘイヘイ」の作詞者=故・片桐博文さんのこと
──話が前後してしまうんですが、「ビッグママ・ヘイヘイ」の作詞としてクレジットされている片桐博文さん(故人)というのはEPIC・ソニーのディレクターだった方なんですよね? 博多のザ・モッズと出会って、デビュー前から手掛けていたという。
K:そうそう。俺たちも片桐さんにスカウトされて東京に来たんだよ。片桐さんはエピックの設立時からのスタッフで、野中(規雄)さんたちと一緒にクラッシュをやっていたんだよね。日本人で初めてクラッシュのライヴをロンドンで見たんだけど、最初はセックス・ピストルズと勘違いしたらしいんだよ(笑)。
──いつも皮ジャンにリーゼント姿の名物ディレクターだったそうですね。
K:うん。モッズをスカウトしに行く時にクラッシュのスタッフ・ジャンパーを着ていたみたいで、俺たちをスカウトしに来た時はモッズのスタッフ・ジャンパーを着ていたんだよね(笑)。
T:それにまんまと引っ掛かったよね(笑)。
K:モッズのスタッフ・ジャンパーを着た人が「お前らエピックしかないだろ?」だからね。そりゃ「分かりました」って言うしかないよね(笑)。片桐さんはとにかく人の書く詞が気に入らない人でさ。「曲なんてどうでもいい、音楽は詞なんだよ!」っていつも言う人で、俺が書いてきた詞にも「バカ! 全然違うよ、お前!」としか言わない。俺よりもだいぶ年上だったこともあって、ずっと意見が合わないままだった。でもね、そこまで強く印象に残ってる人は後にも先にも片桐さんだけだし、これまで出会ってきたレコード会社のスタッフ、ディレクター、プロデューサーの中で俺が信用して付いていったのはあの人だけだった。バブルに浮かれる前のレコード制作に携わる本気の人代表って言うかさ。
──そんな片桐さんが持ってきたのが「ビッグママ・ヘイヘイ」だったと。
K:「お前、最高のタイトルを見つけちゃったよ、『ビッグママ・ヘイヘイ』!」って。当時は80年代の終わり頃だったから、「何すか、そのタイトル? ダサすぎないすか!?」って言っちゃったけど(笑)。で、それから10年以上経ってマックショウを始める時に、当時打ち合わせをした資料とか紙に走り書きしたものとかが山ほど出てきて、その中に「ビッグママ・ヘイヘイ」と「エルヴィス・ポーズも金縛り」って書いてあるのを見つけたわけ。「『ビッグママ・ヘイヘイ』って…こんなの、今の時代でも全然ダメだよ!」と思ったんだけど(笑)、それで1曲作れちゃったんだよね。
──でも、2012年の今なら「ビッグママ・ヘイヘイ」というタイトル・センスは全然アリですよね。
K:アリになっちゃったね。まぁ、この10年でマックショウがアリにしたのかもしれないけど。あるいは、アリの方向に俺たちが進んだのかもしれない。片桐さんからの影響っていうのは凄く大きくて、今みたいな詞を書いたり曲を作ったりすることのスタート地点を作ってくれた人なんだよね。「自分が一番思うことを唄うべきだし、やるべきなんだ」と言い続けた人なんだけど、そこまで言った人が「ビッグママ・ヘイヘイ」って、全く意味が分からないんですけど? みたいなさ(笑)。まぁ、そんなこと言ったら「意味が分からないのがロックンロールなんだよ! 『トゥッティ・フルッティ』の意味が分かるのか、お前は!?」って片桐さんに言われそうだけどね(笑)。でも、俺は片桐さんの言っていたことを忘れたくないんだよ。すべての基本だからさ。
──「あの娘はロック・シャム(Rock'n Roll Sham)」はマックショウの定番メニュー的安心感のある曲で、クリアな音の質感は前作『ROCKA-ROLLA ZERO』寄りですよね。
K:それはたまたまそうなっちゃったんだよね。定番メニュー的なものはムリに変えられないんだろうね。守備で言えばセカンドみたいなものかな。ファースト、サードは必要だし、ショートも何かと動き回るけど、「セカンド、要る? でもやっぱり要るよね?」みたいなさ(笑)。
音がデータとして並んでりゃいいわけじゃない
──来月発表となる通算9作目となるオリジナル・アルバムはどんな内容になりそうですか。
K:“ROCKA-ROLLA”の続きでもあるし、俺の気持ちとしては“ROCKA-ROLLA III”みたいな捉え方なんだけど、そこに初心を忘れないことを加味したいと思ってる。10年進化を続けた上で“ROCKA-ROLLA”シリーズに辿り着いたわけだから、10年前にマックショウを結成した気持ちをキープしたまま次に行きたいって言うか。まぁ、結局はいつもとやってることは変わらないんだけどね(笑)。
──でも、ベスト・アルバム『ROCK'N-TWIST PARADE』を聴くと、マックショウが着実に進化を続けてきたことが如実に窺えますよね。
K:そうだね。自分でも曲を並べながら「進化してるんだな」って思った。マックショウが凄いのは、途中で迷ってないことだね。俺なんかはロック・バンドのストーリーとして、どこかで迷って欲しいとか思うわけ。途中でちょっと迷っちゃうのが俺の好きなロック・バンド像なんだよね。
──ビートルズに感化されたストーンズが『サタニック・マジェスティーズ』みたいなアルバムを作ってしまうとか。
K:そうそう。迷っちゃうんだけど何とか持ち直して『ベガーズ・バンケット』に行く、みたいなね。マックショウにはそういうブレがない。細かい音の変化とか、ちょっとした成長の跡はあるけどね。たとえばビートルズみたいに最初はシンプルなサウンドで、どんどん新しいものを作っていって、最終的にまたシンプルに落ち着くっていうストーリーがあるじゃない? マックショウのこの10年はそういうのがなかったからね。プロデューサーとしては、そこをもうちょっとストーリー付けしたかったというのが本音としてはある。ビートルズの劇的な8年間の変化に比べれば、俺たちは多少理想的な音に近づいてアナログ感が増したくらいだから、進化とは言えないかな。
──深いほうの“深化”は絶えずしてきたんじゃないですか。
K:まぁね。それならもう少し紆余曲折の跡とかドラマティックな要素、煮詰まったところがあってもいいんじゃないかと思うよね。
──でも、煮詰まったところを微塵も見せずに常に前作越えの作品を発表し続けているからこそマックショウの格好良さがあるとも言えますからね。
K:だから多分、同じようなことをやるバンドがいないんだろうね。煮詰まったり迷ったりするのが人間だし、だからこそ応援したくなるものだけど、マックショウは一向に迷いがないわけだからね(笑)。
──とは言え、マックショウも日比谷野外大音楽堂でのステージを最後に一旦活動休止になったりもしたじゃないですか。
K:うん。まぁ、マックショウを始めた時点で俺たちは新人じゃなかったからね(笑)。トミーなんてメジャー・デビューだけで3回してるからさ(笑)。要するにマックショウにはバンドの初期感と言うか、突っ走ってやっちゃった感があまりないから、何事も楽しんでやってきた10年間なんだよね。
──ローリー時代に為し得なかったことを、コージーさんとトミーさんがフジー・マックこと藤井セイジさんを交えていろいろと形にしているのが痛快でもありますね。
K:それはあるね。当時できなかったことがいっぱいあるしさ。自分でギターを弾きながら唄う良さももちろんあるんだけど、もう1本ギターとコーラスが欲しい気持ちが常にあって、藤井には「ちょっと頼むよ」って気軽にお願いできるんだよね。藤井とトミーに任せておけば、とりあえず俺は家に帰れるしさ(笑)。他の人じゃ帰れないから。自分のケツは自分で拭くじゃないけど、俺は基本的に何でも自分でやらなきゃ気が済まないんだよ。そこまでこだわって自分でやりたいっていうのと、誰にも責任を押し付けたくないっていうのがあってね。でも今はある程度まで任せられるようになったし、自分で作ったデモも、これをみんなで演奏したらどういうふうになるのかを楽しんでる。ただ、3人だけでやっていくには手狭な部分が多くて、自分に聴こえる音としてピアノがあったり、LとRでギターが2本欲しかったりするわけ。そこで俺がダビングしてもいいんだけど、それじゃ面白くなくなってしまった。やっぱり藤井や伊東(ミキオ)君の音じゃなきゃダメなんだよ。何と言うか、音がデータとして並んでりゃいいっていう時代は過ぎたんだよね。
──そういうコージーさんの意識の変化があったからこそ、自ずと“ROCKA-ROLLA”のレコーディングの手法に行き着いたんでしょうね。
K:うん、そこがそれ以前との決定的な差だよね。前は曲を作ってアレンジして、練習までやったら、もう後のことは知らねぇぞって感じだったから(笑)。「お前ら、行くぞ!」で「せーの、ドン!」だもん。