一気に引き戻される感覚のあるシェルター
──シェルターでのワンマンのことはよく覚えていますか。
K:いやぁ、それがあまり…(笑)。ここへ来る前にいろいろと思い出しておけば良かったね。頭のメモリを増設したいんだけど、何せ古い機種なんでね(笑)。当日はいっぱいいっぱいだったし、あっと言う間に本番が来たっていう感じだった。お客さんが階段のところまでいたのは覚えてるけどね。この間、友達のバンドのライヴをシェルターに見に行ったんだけど、ステージこんなに狭かったっけ? と思ってさ。でも、当時はメンバーが1人抜けたし、ちょうどいい広さだなと思ってたんだよね。ムダに広くなくて、トリオ・バンドにはピッタリだなと。自分たちに凄くフィットしたステージだと感じたのは覚えてる。4人時代の初ワンマンはロフトだったし(1989年1月27日)、ロフトではワンマン2デイズもやらせてもらったし、昔懐かしい芝浦インクスティックでもワンマンをやってたけど、シェルターはとにかく新しいライヴハウスでやることの意義が大きくてね。確かにこぢんまりとはしてるけどロフトの匂いもちゃんとあるし、新たな船出を迎える自分たちには申し分のないハコだった。ホントにここしかなかったね。まぁ、無謀なライヴをやらせてくれたのもここしかなかったんだけどさ(笑)。
──当時の下北沢で頭ひとつ抜きん出ていたのは屋根裏でしたよね。
K:当時はまだQueもなかったしね。Queの現店長の二位(徳裕)君と元タイガーホールのイシケン(石川健一)さんはインクスティックで黒服をやってたから、よくライヴを見せてもらったり、生ビールを内緒で出してもらってたよ(笑)。デビュー直前のボ・ガンボスを見に行ったりしてさ。
──それにしても、シェルターの20周年という節目にグルーヴァーズが還ってきてくれるのはファンとしても嬉しい限りです。
K:お互いが続いていなければこういうことはできないからね。その意味でも凄く感慨深いよ。
──“20years×20years”は20年間の集大成的ライヴになりそうですか。
K:普通はそうするんだろうけど、ウチのバンドはいろいろと事情があって、アニヴァーサリー・ライヴをやりづらいんだよね。実際、ちゃんとした周年イヴェントをやったことがないしさ。結成した年(1988年)とデビューした年(1989年)だけでも違うのに、それに加えてトリオとして再出発した年(1991年)と再メジャー・デビューした年(1993年)まであるから、節目をどこから数えたらいいのかよく判らない(笑)。でも今回は、シェルターのオープン20周年なんだから、トリオの初ライヴから数えようぜ、と。
──それに、シェルターのオープン当初から今日に至るまで出演し続けているバンドも少ないですからね。
K:そうだね。その意味でもレアなケースだし、やる意義は大きいね。
──20年前が全部新曲だったということは、もしや今回も…という勝手な想像をしてしまいますけど(笑)。
K:いや、全部新曲はムリだよ。それは24歳じゃないとできない(笑)。それに、前回と違ってメンバーが代わるわけじゃないからさ(笑)。
──シェルターでの初ライヴではどれくらいの新曲をやったんでしょうね?
K:確か2時間もやらなかったはずだから、カヴァーも入れて15、6曲くらいだったんじゃないかな。
──ちなみにどんなカヴァーを?
K:ボブ・ディランの『LIKE A ROLLING STONE』やリトル・リチャードの『SLIPPIN' AND SLIDIN'』を日本語にして唄ったりしたね。英語を覚えて唄うよりも伝わるかなと思って。考えてみれば日本語吹き替え版カヴァーも長いよね、トリオでの初ライヴからずっとやってるわけだから。
──今のシェルターに対してはどんな印象を抱いていますか。
K:残念ながら当時のスタッフは誰もいないけど(笑)、茶沢通りの場所も空間も20年間何ひとつ変わってないからね。だから今も行くと一気に引き戻される感覚がある。当時は近所に住んでいたから、自分たちのライヴの打ち上げはもちろん、パブタイムにも普通に呑みに行ってたんだよ。呑み始めて助走が充分付いてから行く2軒目の店として重宝したね(笑)。夜中の3時頃に行っても受け入れられるのが嬉しかった。家で曲作りをしていて煮詰まったり眠れなくなると、よくシェルターには足を運んだね。
──「シェルターは生ビールが年中呑めるっていうのが、その頃凄くハマっていた」と、以前『ROCK is LOFT』(1997年、ロフトブックス刊)のインタビューで語っていましたよね。
K:シェルターにはサーバーがあったから生ビールに目覚めちゃったんだよね。今じゃとてもあり得ないことだけど、ジョッキを勝手に取り出して自分でサーバーから注いでたんだよ(笑)。金がない時はフードは全部ツケで。それだけでも充分厚かましいのに、店のフードに飽きてくると平野君に上のコンビニで材料を買ってこさせて、勝手に厨房に入ってチャーハンとか作ってたから(笑)。ホントにいい時代だったと思うよ。行けば必ず誰かしらいたしね。三原重夫さんとか。
──当時、下北ではシェルター以外にどんな店へ通っていたんですか。
K:ラカーニャの前身のレイズブギという店でよく呑んでた。そこもシェルターほどじゃないけどツケが利いたんだよ(笑)。レディ・ジェーンとかはちょっと敷居が高くて、誰かオトナの人に連れていってもらえると喜んでたね。