震災以降に歌の意味が変わった『100メートルの恋』
──広島の地名が随所に盛り込まれたマックショウ流のラヴ&ピース讃歌『100メートルの恋』が再び収録されていますが、この曲が今回のEPではとても重要な位置を占めていますよね。
K:レーベルのA&Rに「どうしても入れたい」って言われてね。これも『トゥイスティン・ナンバー・ナイン』と同じくB面扱いってことで。
──楽曲自体は追憶のラヴ・ソングなんですが、「リメンバー、ラスト・サマーナイツ/ここが世界の真ん中で」や「思い出のサマーナイツ/永遠と信じてた」といった歌詞を震災後に聴くと、1年前に聴いた印象とはまるで違うなと思って。
K:そうなんだよ。ライヴでやってても、震災以降は意味が変わってしまったと言うか。
T:そういう感じするよね。ちょっとためらったりする時もあるし(笑)。
K:曲のほうが勝手に独り歩きしてる面もあるね。でも、自分じゃよく判らないんだよ。何の狙いもなく作った曲だからさ。
──100メートル道路は広島平和記念公園に隣接しているし、その広島平和記念公園と原爆ドームを結ぶ“相生橋”が歌詞の中に出てくることから、僕は『100メートルの恋』を勝手に“マックショウ流『イマジン』”と呼んでいるんですけど(笑)。
K:曲を書いてる時にそういう感覚は全然なかったね。それよりも、意外とシミったれた感じになったなぁ…って思った。何だよ、また昔の女の歌かよ? って(笑)。
──通り一遍のラヴ・ソングとも取れるし、ラヴ&ピース讃歌とも取れる懐の深い楽曲ではありますよね。
K:要するに、俺やトミーにとっては原爆ドームや100メートル道路がそれだけ日常的な風景だったということだよ。重く捉える人もいるかもしれないけど、広島の人間は毎日あの辺を通勤してるわけだからさ。まぁ、寂しい部分はあったけどね。市民球場がなくなったりさ。そういう気持ちは曲を書いてる時にあったね。市民球場の横にバスセンターっていうのがあって、そこは広島の交通網の発着地点なわけ。発着地点は広島駅じゃないんだよ。バスとチンチン電車がメインだからね。
──バスセンターこそが“世界の真ん中”だったわけですね。
K:うん。だからバスセンターの周辺を歩いてるおばちゃんは割と正装してるんだよ。上品に日傘をさしたりしてさ。
T:完全によそ行きだよね。
K:原爆ドームの辺りを通るっていうのは、広島の人間でもピリッとするところがあってね。短パンに草履じゃ通れないみたいなところがある。そういう光景が徐々になくなりつつある寂しさが個人的にはあった。まぁ、建物が街に溶け込んでいるんだからそれはそれでいいんだろうし、あんなに目立つ建物がずっとあれば誰も戦争のことを忘れようがないとは思うけど。全国いろんな街をツアーで回ってきたけど、そうやって街が様変わりする寂しさはどこにだってあるよね。『100メートルの恋』を作った時はそんな喪失感みたいなものがあった。でも、震災以降は意味が変わってしまったのを自分でも感じる。街が様変わりするどころか、街そのものがなくなってしまったわけだからさ。
──なるほど。タイトル・トラックの『ロックンロール・スルー・ザ・ナイト』を直球で勝負した意味が何となく判りました。
K:そういうことだよね。『100メートルの恋』の他に新しく入れるんだったら直球のロックンロールが良かった。
──それはやはり、ある種の照れ隠しと言うか…。
K:まぁ、そうなのかもしれないね。
ヒロシマで被爆二世として生まれ育って
──カップリングは他に最新のライヴ音源が2曲あります。“ナタリー”(広島県佐伯郡廿日市町阿品にあった遊園地)が歌詞に登場するご当地ナンバー『熱帯ドライヴ』と、まるで念押しするかの如き『100メートルの恋』。でも、この『100メートルの恋』に入る前のコージーさんのMCがいたく感動的で、今回のEPを発表する意図がここにすべて集約されていると思うんですよ。
K:そうかな?(笑) そのライヴ音源を入れたいっていうのもレーベルのA&Rからのリクエストだったんだけどね。
──MCでは福島の子供が避難先で「放射能が移る」といじめを受けたという報道にも触れていましたね。
K:真剣な話だから、客もどういうリアクションをしていいのか判らないっていう顔をしてたね。「僕もトミーも被爆二世で」って言われてもなぁ…っていう(笑)。今は1年に何ミリ・シーベルトの放射線を浴びると人体に影響を及ぼすとか、大気中の放射線量がこれくらいあったとかニュースでやってるけど、俺たちの時代はそんなことも判らなかった。当時の広島なんてホントに田舎で、子供の頃は裸足で歩いてたし、メシ屋をやってたウチの前なんて舗装道路じゃなかったからね。
T:普通に砂利道だったよね(笑)。
K:便所は汲み取りだったしさ。「それ、戦後すぐの話?」なんてみんな笑うけど、俺たちが広島に住んでた頃はそれくらい田舎だった。
──「雨が降ったら必ず傘をさしなさい」とか、親御さんから注意を受けたりとかは?
K:なかったね。ただ、そういう教育の時間は学校であった。俺たちが住んでいたのは広島の中心地で、思い切り被爆してる土地だから、原爆の教育映画を見たり、被爆した人が学校まで話をしに来たりしてた。話をするのがテメエの婆ちゃんだったりするんだけど(笑)。知り合いの爺ちゃんだったり、お好み焼き屋のおばちゃんとかね。当時から水道管なんてそのままだったし、橋だって波を打ったみたいにガタガタだった。俺たちは自転車でジャンプして遊んでたけどね(笑)。
──幼い頃から放射能の影響が身近すぎるほど身近にあったと。
K:公園の木とか寺、電車にまで「被爆しています」って書いてあったからね。
T:まぁでも、「これは放射能がある」とかそういうのは一切言われなかったよ。
──そんな状況下で育ったコージーさんが発する「僕らもずっと放射能に汚染された電車に乗って、汚染された道路を歩いて、汚染された水道を使って、こんなに大きくなって、ここでロックンロールしています」という一言にはとても説得力があると思うんですよ。
T:説得力、ありすぎるほどありますよね。
K:東京の人間としてはリアクションできない?(笑)
T:下を向きっぱなしになりますよ(笑)。でも、凄い説得力のあるMCですよね。
──最後にちゃんとトミーさんをイジってオトすところが如何にもマックショウらしいし、ユーモアを交えながら真摯なメッセージを放つという実に理想的なMCだし、掛け値なしに素晴らしいライヴ音源だと思うんですよ。
K:まぁ、あれくらいのことを日常的に考えてるし、ああやって日常的にライヴをやってることを伝えられるのはいいよね。ただ、ライヴ音源なんて今はそんなに聴かれないと思うんだよ。ライヴを見に行こうっていう求心力も今は減りつつあるって言うしさ。そんなご時世にライヴ音源がいいって言ってくれる人がいるのは純粋に嬉しいよね。昔、モッズのシングルを買うとB面に『TWO PUNKS』のライヴ音源が入っててね。
──『激しい雨が』ですね。
K:うん。あのライヴ音源を聴いて“ライヴに行きてぇ!”って思ったよね(笑)。当時はB面ばかり聴いてたくらいだよ。
T:B面は33回転だったよね(笑)。
K:その頃は大した資料もないから、“どこの国のモンだ? 一体何を食ってるんだ!?”って思った(笑)。ロックなんてそれくらいのイメージだったよね、昔は。博多出身って書いてあるけど、同じ日本人とは思えない現実離れしたところがあった。それでライヴ音源なんかが入ってると、単純に凄ぇなって思ったよ。