自分の声が嫌いだった
── はい。で、89年8月、キャプテンから1stアルバム『ペーパー・エピタフ』がリリースされ、翌90年2月には2nd『エイクス・フォー・レラティヴス』、同90年11月には3rd『ジプシー・アイズ』と立続けに発表。当時キャプテンと言えば、一応インディーズではありましたが実は下手なメジャーよりも遥かに流通しており、かつそもそも宝島という雑誌媒体が会社の大本でしたから、宣伝効果もかなり大きかった。ので、ジムノがキャプテンから出すと聞いた時は「遂に来た!」と思ったものですが、これはどんな経緯だったんですか?
宝島は、何の予兆もなく、すごく突然だったんですよ。確か当時、映像会社のミラクル・ボックスっていうところがウチを気に入ってくれて、そこが宝島のVOSの映像を撮ってたから、多分その経緯なんだと思う。キャプテンから出さないか? っていう話になって。盤に関しては2枚目と3枚目が好きだね。エンジニアの人が凄く相性が良くて、あと織田哲郎さんのスタジオで録ったんだけど、そこが凄くよくて、アコースティックのギターの音とか、かなりいい音で録れてるんですよ。壁が鉄板の部屋とかがあって、すごく自然に音が反響して、歌っててもギター弾いててもすっごく気持ち良かった
── 気持ちよく歌えるってすごく重要な気がします。特にヒデタカさんは、その独特な声が大きな魅力なわけですし。ちょっと子猫を思わせる少年声と言いますか(笑)、キュートでカッコよくてクセが強くてもう最高!
うへへ
── その良さを最大限発揮するのがその鉄板の部屋だったという。
鉄板最強すね!
── そう言えばね、もう随分前、それこそキャプテン盤の1stの時のインタビューかな。私、ヒデタカさんの声を大絶賛したんですよ。そしたらヒデタカさん、自分の声が嫌いなんですと仰ってて、びっくりしたのを覚えてるんですが。
そう。昔、嫌いだった。何か変な声だなあと我ながらずっと思ってたんですよ。にゃーにゃー系みたいな(笑)。『にゃーにゃーにゃーにゃー言ってんじゃねーよコノヤロー!』とか言われたりして
── ははははは。でも、言わばバズコックスとかディッキーズとかと同じ系譜の声じゃないですか。苦手な人は苦手かもしれないけど、ハマる人はもうずっぱまりですよ。つうか声に関しては本当、好きか嫌いかはっきり分かれて、どうでもいいっていうのがないのも大きな強みだと思います。
そうだね(笑)。ただ、ジムノも後期ぐらいになると、自分の声がだんだん好きになってきたんだよね。まあ、だいぶライヴやってたからさ。歌い込んでいって、それなりに存在感のある声になったのかなあと
── はい。で、このキャプテン盤の3枚の内容についてなのですが。
1枚目は正直、『音、軽っ!』っていう(笑)。CDが出たての頃だったんだけど、アナログの方がいいよとつくづく思ったなあ。まあほんと、何も判らず録ったっていう感じだったし、レコーディングしてても何か歌い方とか『子供っぽい!』とか意見されて、毎日ムカムカしながら録ってたみたいな(笑)。まさに最初の洗礼だったな
── まあ、最初にむかつく経験をしておいた方が、後々いいスタッフやいいエンジニアに会った時に有り難みが判ってよかったのかもしれません(笑)。それと今回の復刻盤では、リマスタリングで当時より音もよくなってますしね。収録曲自体は素晴らしいし。
楽曲はほんと、当時ライヴでよくやっていた曲だしね
── ええ。で、2ndは、私コレ、とにかくもう大っ好きなんですよ〜。
コレは、やっぱ1枚目の反省を生かして、相当根詰めて作った。自分の持っている方向性もこの辺りで掴めた感触はあったし
── 具体的に言うと?
ちょっとダークな部分とか
── えっ? それ、自覚してなかったんですか?
全然ないっす(笑)。あと、正直自分はパンクの影響が物凄く強かったんだけど、このアルバムではよりヘヴィーな、重いハードロックみたいな部分も取り入れてみた。まあ、子供っぽいって言われたんで
── 根に持ってたんですね(笑)。そしてそれから僅か半年で作られた3rdでは、さらなる音の大胆な変化があって驚いたんですよ。
2ndを作った直後ぐらいから、もう次のことを考えてたんですよ。レコーディングは毎回地獄なんだけど、でも曲を作るのは大好きだからさ、毎回、地獄が終った瞬間に曲作りに入っちゃう(笑)。で、この時はブルース・テイストを......実はブルース、昔から好きだったんですよ。でも、自分の声はブルースと合わないと思って、葛藤がずっとあったんだよね。でも、ライヴやってて声もいい感じに潰れてきたし、『ちょっといってみようか?』と。あと、他のメンバーにも歌わせたり、いろいろやってみた
バンドの休止、そしてメタルピルへ
── さらなる挑戦の一枚だった。が、この3rdのリリース直後、突然の活動停止。ライヴも、ホールクラスを軽く満杯にするようになっていて、バンドとしては絶好調と見えただけに、当時はすごく驚いたんですが。
3rdを出して、煮詰まっちゃったんだよね
── うーん。あと、この頃ね、ブランキー・ジェット・シティーが出てきたじゃないですか。当時ぶっちゃけ、ジムノのサウンドと似てるなと思ってたんですよ。そしたらジムノの方が音を変え、仕舞いには休止してしまった。何で? という思いが強かったのは、それもあるんです。
とにかく当時は、より新しい音を鳴らしたかったんですよ。でも、それでどんどん煮詰まっちゃって......で、ちょっと休みたくなっちゃった
── まあ、それがかれこれ20年前の話で......もう20年前か、ついこの前な気もするのに(笑)。とにかく、この後ヒデタカさんはソロをリリース。そしてサポート等も含め、様々なバンドで活躍。ジムノぺディアとしても99年に第2期メンバーで04年まで活動。現在はジムノぺディアの初代ドラマーと共にメタルピルというニューバンドをスタートさせ、先頃4thアルバム『セックス・モンゴロイド』をリリース。折角なので、メタルピルの話も聞いておきたいのですが、初期のジムノをより鋭角的にしたようなサウンドだと思ったんですよ。デジロック等も取り入れていた第2期ジムノぺディアよりも、ある意味ジムノらしい音だなあと。メタルピルはどのようなイメージでスタートしたんですか?
2回目のジムノが終って割とすぐかな、さらにロックなものがやりたいと思ったんですよ。具体的に言うと、もっと歪ませたのがやりたいなあと。それともう一つ、英詞をやりたいと思って
── 日本語による言葉のインパクトを大事にしてきたヒデタカさんとしては、それこそ大きな挑戦ですね。
昔からやってみたかったんだよね。で、考え込まず、できるだけいい加減にやることを心がけてやるというか
── それは、意味性よりも、衝動や勢いといったものを全面に出すということですよね。また、真面目で考え込みやすい性格を持つヒデタカさんだが、敢えて考えず、今まで培ってきて強化した地力を、スポーンと出すという。
うん。そんで結局俺、やっぱりパンク大好きなんですよ
── まさにそういう音ですものね(笑)。クール、ドライ、ダーク、ラウド、ノイジー、アグレッシヴ、そしてポップ。つまりヒデタカさんの根本というか核をむき出しにしたサウンドがここにある。
そうだね。とにかく、如何に考えずに突き詰めずに、ノリでやれるかが課題です
── はい。では最後に、12月に予定されているジムノぺディアのライヴについて!
ワンナイトなんで、明解にキャプテン時代のジムノぺディアをやります。オガ(B.マサヒロ)は出ないんすけど、西山(Dr.トモヨシ)は出ます。で、こないだ西山と2人でスタジオに入ったんすけど、西山、完璧でした!
── マジすか!? すごくアガるんですけどその話。
(笑)。西山はちょうど新たにバンドを始めるとこで、そっちで既にスタジオ入ってたんですよ。凄く気合い入ってました
── おおー。そして、シェルターでのこのライヴが決まったからこそ、今回のキャプテン盤の再発が決まった。これ、本当に嬉しいんですよ。名曲の数々が再び入手できるようになるわけで。しかも今回、当時より音が良くなってますし、加えてソノシート音源を始めとする初CD化のレア曲も多数収録。2枚にわたって収録分数限界ギリギリまでびっちり入って大容量!
改めて聴くと、やっぱり当時の事とか思い出すね。ちょっと感慨深いです、はい(笑)